ふと、目の前に気配が迫っていることに気づき、ゆるりとまぶたを押し上げる。 こんなにまぶたが重かったことなど、今まであっただろうか。 「おっ!お前、目ェさめたのか?!」 文字通り目の前にあった黒髪の少年の表情が笑顔になる。 とりあえず、返事をしなければ。 「……ぁ」 出した声はかすれていて、自分で思っていたよりも小さな声だった。 「あんまり起きないから、もう起きないのかと思ったぞ!」 あ、起きたら呼べって言われたんだった!と叫びながら嵐のように去っていった黒髪の子。見覚えもない彼はだれだろう。そもそもここはどこなのか…。 そこまで考えて、自分の意識が途切れる前にしていたことを思い出して背筋が冷える。が、急いで身体を起こそうとして、失敗した。力が、まったく入らなかった。 確か、浜辺にギリギリまで力を使って倒れこんだところまでは覚えているけど、でも、どうなった?わたしはあの後、船のみんなことを伝えられた?いや、わからない…。 でも今は、体を起こすことも、声を出すことすら億劫な状態で、わたしができることは誰かが来てくれることを待つことだけだった。 焦る気持ちを抑え、移動する気配を感じながらまぶたを閉じてじっと待った。 少しして、ドアが開くのに合わせてわたしもまぶたをあげた。先ほどよりましとはいえ、まだまだ重い。 「大丈夫?…とはまだ言えないわよね。とりあえずこれを飲んで?お水よ。ゆっくりね」 部屋に入ってきたのは、先ほどの少年が呼んだのか、とても優しそうな女性だった。彼女はストローのささったコップを差し出してくれ、寝たままで良いというお言葉に甘え、首だけ軽く動かしてひと口すすると、自分が随分とのどがかわいていたことにやっと気づき、ゆっくりと、少しずつ飲み干した。 「…はあ」 「大丈夫?おかわりいるかしら?」 答えの代わりに小さくうなずくと、女性は笑みを深め、ピッチャーから水を注いでくれた。 「無理はしないでね。あなた、見つかってからもう三日も目を覚まさなかったのよ?」 そうだったのか…。でも、とにかく今は状況を聞かないと。 その焦りが表情に出ていたのか、女性はわたしが動こうとするのを制した。 「待って、まだ無理をしない方がいいわ。栄養失調な上、あなたは気を失ってしまったから食事もできなかったのよ。点滴をお医者さまに打ってもらっていたから、最低限はとれていたけれど…。とにかく話すのはもう少し休んで、落ち着いてからにしましょう」 「でも…」 「でもではありません。大人の意見は聞いておくものよ。ね?」 「…わかり、ました」 食い気味に真剣な表情で制され、渋々うなずくと、また女性は優しい笑顔に戻った。 ただし、どうしても、これだけは聞かなくては、休むことすらままならない。 「ひとつだけ、これだけは…、船のみなさんは、あの、」 言葉を制するように、しかし安心させるように、優しい手がわたしの頭に触れた。 「大丈夫。救難船に乗っていたみなさんは無事よ。あなたのおかげ。よくがんばったわね」 「あぁ…」 安心と一緒にぐっとこみあげるものを抑えて目をおおい、口許をゆるめた。ああ、ほんとうに…。 そうすると、また急に眠気に襲われた。 「ありがとう、ございました…」 まぶたが閉じる前になんとか言葉を発し、そのまままた意識を投げ出した。 あなたは誰なのか、黒髪の少年は誰なのか、どこにいったのか、誰がどうやって沖の船を救出してくれたのか、みんなは今どこにいるのか、そもそもここはどこか。 いろいろ聞かねばならないことはあるが、とりあえず今は、もう少し、休もう。 「もう少し、休んでね」 暖かい言葉がしみるようだった。 結局わたしが目を覚ましたのは次の日の朝だった。 それを教えてくれたのは、心配そうに様子をうかがいに来てくれた、昨日の女性だった。彼女はわたしが今度こそ目を覚ましたことに気づくと、やわらかく煮たミルクがゆを用意してくれた。 正直、食欲はあまりなかったが、食べなければ治るものも治らない。そう思ってゆっくり食べ始めると、どうやら身体の方は栄養を求めていたのか、気持ちとは裏腹にぐぅーっと音を立て、恥ずかしい気持ちを笑ってごまかした。 ずっと食べられなかったのだから、ゆっくり、かんで食べるようにという助言にしたがって、もう随分と柔らかく煮てあったおかゆを、じっくりかんでから飲みこんだ。 「おいしいです、とっても」 「ありがとう」 きれいで、とてもあたたかく笑うその女性。そう言えば、名前を聞いていない。…というか、名前も名乗らないままでとんでもない迷惑をかけてしまっているんだ。 と、急いでたたずまいをできるだけ正した。 「いえ、あの、こちらこそありがとうございます。えっと、もしかしたら誰かから聞いているかもしれませんが、わたしはヨウと申します。いろいろとご迷惑をおかけしてしまって、本当にどう申し上げればいいのか…、本当にありがとうございます」 深々と頭を下げると、あわてたような様子で頭をあげてと言われ、もう一度お礼をのべてから頭を上げた。 「私が好きでやっているんだから気にしないでいいの。あ、私の名前はマキノっていうの、よろしくね」 「よろしくおねがいします」 「あ、そうそう。いろいろと聞きたいこととかあると思うから、それ食べ終わったら、私にもわかる範囲でお話しするわね」 ゆっくり食べように、とわたしにクギをさすことを忘れずにマキノさんは一度部屋を出て行った。 オレンジジュースを持って戻ってきたマキノさんから聞いた話によると、わたしがなんとかこの島の海岸までたどり着いて倒れてしまった後、たまたま海岸を散歩していた昨日の黒髪の男の子、ルフィくんというらしい、がわたしを見つけてくれ、マキノさんが営むこのお店まで背負って連れてきてくれたらしいのだ。 わたしは覚えていないのが、わたしはどうやらルフィくんに背負われながら沖に救難船があることを伝えられたらしく、それをちゃんと聞いていてくれていたルフィくんがマキノさんとお店にいたお客さんに頼んでくれ、沖合にまだかろうじてあった船を見つけて救出してくれたということだった。 船のみんなも憔悴はしていたものの、意識を失うまででもなく、この村で休ませてもらってから今は元気を取り戻しているという。 わたしがマキノさんに面倒を見てもらっていた理由は、わたしが倒れていた原因が不明だったため、念のためあまり動かさない方が良いと判断されたためらしい。 マキノさんには本当に、本当に頭が上がらないし、船を助けれくれたというお店のお客さんにはわたしからもお礼を言わなくてはならない。 それにルフィくん。彼がいなければ誰も助からなかったかもしれない。ルフィくんはわたしの、わたしたちの命の恩人だ。 「そう、でしたか。マキノさん、改めて、いろいろと本当にありがとうございます」 「いいのよ。ヨウちゃんが助かって、本当に良かったわ」 「はい…。もう少しだけ休ませていただくことになってしまうかと思いますが、そのあとはお店のお手伝いなどさせてください」 「そんなこといいの。ヨウちゃんはちょっと気にしすぎよ!まだ子どもなんだから、こういう時くらい、大人には甘えておくものよ。ね?」 ああ、この人には一生勝てなさそうだ。 苦笑いを浮かべてうなずきながら、そんなことを考えた。 |