震える箒

 シンシアたちがホグワーツに入学してしばらくが経った。あれほど圧倒されたホグワーツやスリザリンの寮は見慣れてきたし、ホグワーツ城に関しては授業の度に移動が遠かったり、動く階段の気まぐれのせいで遅刻しかけたこともあったり、不便なところが目につくくらいの余裕ができた。
 一通りの授業を終えて、なんとなく先生と科目のクセを掴めてきた。エリザベスは自らの主張の正当性を高めるためにも、学年トップを目指してとても熱心に勉強に取り組んでいる。ローズマリーは本が好きと言っていたので勉強も得意なのか、と思ったが、好きな本のジャンルは物語で、実は勉強は最低限のみのマイペースっぷりだ。フレデリカはそんなローズマリーを心配して宿題などは熱心だけれど、予習復習をしっかりやる程ではない。シンシアはフレデリカと似たような感じで、別に勉強好きなわけではないのだが、一緒にいるエリザベスに触発される形で、比較的真面目に取り組んでいる。
 よく談話室で、エリザベスとシンシアが予習、フレデリカが宿題、ローズマリーがさも終わったかのように読書をしているのだが、はたから見るととても真面目な生徒に見えたのだろう。エリザベスが理解に苦しんで、分厚い参考書をペラペラしていると、一学年上のユーフェミア・ヘイスティングスが助け舟を出してくれることがあった。ユーフェミアは真面目すぎて少し浮いているようだったが、女性的な柔らかく繊細な所作であったり、去年は学年トップの成績を修めただけあって、エリザベスの憧れになっていた。
 そんな穏やかで順風満帆に見える学校生活だが、シンシアに限定して暗雲が立ち込めていた。というのも、もうすぐ初回の飛行訓練の授業が控えているのだ。

「元気を出して、シンシア。ほら、とっておきのお茶を淹れたから」
「ありがとう、フレデリカ」

 フレデリカの淹れる紅茶はとても美味しい。ご実家から送られてくる茶葉は一級品(らしい。エリザベス曰く)だし、ティーウェアも趣味を兼ねて色々揃えている。今日はシンシアが沈んでいるからか、とっておきの茶葉に、とっておきのウェッジウッドのティーウェアを使ってくれている。口をつけると芳醇な香りとフレデリカの真心入りの温かな味にホッとするが、それでもシンシアの気分は上向いてくれなかった。
 シンシアの気分をこんなにも沈ませる原因は、シンシアが箒に乗るのが壊滅的に苦手だからだ。魔法族として幼い頃から遊びで箒に乗ることはあった。それでも足が地面に着いていないと落ち着かないし、地上から離れれば離れるほど不安定になる。弟のレイヴィスにも散々馬鹿にされて、事実すぎて何も言い返せなかった苦い思い出もある。

「魔法族として箒にロクに乗れないなんて、私はスリザリンの恥晒しよ」
「そういう風に自分を下げるのはよくないわ。誰にだって苦手なことはあるものよ」
「エリザベスの言う通りよ。シンシアは箒に乗れない訳ではないわ。ゆっくりであればちゃんと浮いて移動できるじゃない」

 エリザベスとフレデリカに励まされ、ローズマリーに優しく背中を押されながら、飛行訓練を行う会場に向かう。ちなみに、このやりとりを聞いていた同級生のハルバート・バッテンベルクがからかってきて、三人が総出で何倍にも言い返していた。ちょっといい気味である。
 飛行訓練は、なんの因果かあのグリフィンドールと合同である。一学年全員揃うとかなりの大人数になるので、大体の授業は二寮ずつに分けて行われていた。全部の授業がそうというわけではないが、スリザリンはグリフィンドールと犬猿の仲だというのに、グリフィンドールと組まされることが多い印象だった。飛行訓練はせめてハッフルパフと合同なら平和だったと思うのに、そう思い通りにはいかないようだ。

「(ああ、なんだか嫌な予感がする)」

 シンシアの嫌な予感は的中することになる。
 魔法の宿る道具には意思が宿ることがある。ホグワーツで用意される箒はずいぶん古いもので、物によっては箒のくせに高いところが苦手で震える箒や、左による癖のある箒だったり、色々な箒がある。
 数ある箒の中で、シンシアが引いた箒は、よりによって高いところが苦手で震える箒だった。マダム・フーチのの示す高さまで上昇できたのは良いが、箒が震え出して、シンシアもいっぱいいっぱいになった。そのままゆっくり周回するようにマダム・フーチが指示を出し、みんなが思い思いのゆっくりな速度で旋回する。
 シンシアのゆっくりは、友人たちのゆっくりよりさらにゆっくりだった。気を遣われるのが嫌だったし、ずっと見られていては集中できないので、友人たちを先に行かせた。シンシアはとても集中して震える箒から滑り落ちてしまわないよう、汗でびっしょりした手に力を入れる。それでもシンシアの不安が伝わったのか、箒の震えはもっと酷くなったように感じた。
 誰かが猛スピードでシンシアの横をすり抜けた。その風圧に驚いて、シンシアはバランスを崩す。緊張で手汗をかいていたせいで滑ってしまい、しがみついて耐えることもできずにシンシアは転落した。
 体が宙に投げ出され、一瞬時が止まったような浮遊感。そのあとは落下に伴う風が耳元でびゅうびゅうとうるさかった。恐怖のあまり悲鳴も出ず、体をぎゅうっと硬くするしかできなかった。
 遠くの方で、エリザベスが大声で呼ぶ声だとか、フレデリカの悲鳴が聞こえた気がした。みんなに先に行くように促したのが、こんな風に裏目に出るなんて思いもしなかった。みんなに着いてきて貰えば良かったと、シンシアは心底後悔した。

「シンシア!!」

 聞き覚えのないアルトが近くで聞こえた。誰、と考えるほどの余裕はなく、その後ドンという衝撃と共に落下が緩まったのを感じ、それに安堵してようやく考える余地が生まれた。シンシアは縮こまって強張らせていた体の力を少しずつ抜いていき、恐る恐る目を開けた。シンシアを見下ろす心配そうなグレーの瞳、少しクセのある黒髪、そして、深紅とゴールドのネクタイ。合同授業で何度か見たことあるグリフィンドールの男の子だ。物静かで優秀で、そのくらいしか記憶になく、名前も思い出せなかった。
 男の子はシンシアを抱えたまま、ゆっくりゆっくりと降下していき、そっと地面に下ろした。シンシアの体は恐怖にガクガクと震えており、地面に足がついても膝が笑うせいで立っていられなかった。男の子はそんなシンシアを抱えるように支えて、なんとか立たせてくれた。

「あぁ、シンシア!!」

 いつも気品に満ちたエリザベスは、何事にも動じず冷静で、感情を表に出さない。そんなエリザベスが大きな声を出して、顔を青くさせながら取り乱すのを、シンシアは初めて見た。真っ先に駆け寄ってきて、シンシアに怪我がないかあちこちわさって、聞いて、確認する。
 少し遅れてフレデリカとローズマリーもやってきて、みんな顔色が悪いし、余程怖かったのか目に涙が浮かんでいた。

「だ、だいじょうぶ…」

 こんなにも心配をかけたのが申し訳なくて、シンシアは安心させようと声をかけるが、その声も体と同じように震えていて、なんとも安心できないか細い声だった。ぎゅ、と助けてくれた男の子が安心させるように、支えてくれている腕に力を込めた。温かくて、とても力強い。彼のおかげでなんとかなったのを実感し、冷えた体にほんの少し熱が戻る。

「Mr.ベネットでしたよね?本当に、本当に感謝致します」

 エリザベスが彼の名前を呼んで、思い出した。そうだ、彼の名前はレギュラス・ベネットだ。

「そんなに畏まらないでください。僕が助けたのなんて、当たり前のことをしたまでなんですから」
「いいえ、それでもです。貴方のおかげでシンシアが、大切な友人が怪我をせずに済みましたもの…」

 そうだ、レギュラスにお礼を言わなくては。シンシアは後ろから支えてくれるレギュラスをかえりみる。シンシアより少しだけ高いところにある顔は、優しい笑みを浮かべている。声を出そうとするが、上手く形にならない。
 そんなシンシアを見て、レギュラスは心配の色を濃くする。

「怖かったですよね。まだ顔色が悪いですし、こんなに震えて…。マダム・ポンフリーの所へ行って、暖かいココアでも飲んだ方が良い」
「そうですね、それがいいですわ。マダム・フーチ、このままシンシアを医務室にお連れしても宜しいでしょうか」
「許可します。ただしMs.ハワードではMs.カーライルを支えられないでしょう。そのままMr.ベネットにお願いします」
「畏まりました。Ms.ハワード、貴方の大切なご友人をお預かりして、医務室までお連れします。よろしいですか?」
「どうか、よろしくお願いします。シンシア、休み時間になったら皆で迎えに行きますから、待っていてくださいね」

 レギュラスはとても丁寧で紳士的だ。貴族出身のエリザベスに対してとっても礼儀正しい。そんな彼だからだろう、エリザベスは安心したようにシンシアを託して、迎えの約束をして授業に戻って行った。
 レギュラスに促されて、シンシアはなんとか歩こうとする。足が震えて言うことを聞かないせいで、とんでもなくゆっくりだし、酔っ払いの千鳥足よりふらふらした足取りだったが、レギュラスは不満そうな感じを一ミリも出さず、急かすことなく付き合ってくれた。

「あの、ありがとう」
「いえ、とんでもないです。当然のことをしたまでですから」
「えっと、私、シンシア・カーライルって言います」
「僕はレギュラス・ベネットです」

 さも当然そうに言われる。紳士的で物腰の柔らかい優等生、そんな風に見える。だけどこうして歪み合ってるスリザリンのシンシアのことを、困ってる人を助けるのは当たり前だ、なんて言ってくれるなんて、確かに彼は騎士道溢れるグリフィンドールだ。

「スリザリンとグリフィンドールだけど、仲良くしてくれると嬉しいな、なんて…」
「寮なんて関係ないですよ。ぜひ、よろしくお願いします」

 その後はようやくまともな声が出せるようになったので、レギュラスは箒が上手だから来年はクィディッチの選手に立候補したらどうか、とかそんな話をした。レギュラスはマグル生まれの魔法使いらしく、クィディッチを見たことがないらしいので、楽しみだと話してくれた。
 ということは今日の授業が初めて箒に乗ったことになるが、それで落下するシンシアに追いついてキャッチして、その後支えながら片手で箒を操縦するなんて、天才以外の何者でもない。来年以降はグリフィンドールのチームで活躍するのが、今から楽しみだというと、レギュラスは困ったように笑っていた。
 確かに、まだクィディッチの試合を見たことがなく、ポジションもルールも知らないのに、チームに入れだなんて困惑してしまうだろう。シンシアはしまったな、と思ったが、医務室に着いてしまったので会話はそこで切り上げることになってしまった。
 マダム・ポンフリーはシンシアの真っ青な顔にまあまあ!と驚いた様子だったが、その一方でとても冷静で、シンシアをベッドに座らせ、温かいココアを準備しながら、付き添ったレギュラスから事情を聞いていた。ココアのマグをシンシアに渡す頃には事情説明は終わり、レギュラスは授業に戻るよ医務室を追い出されてしまった。ひらり、とシンシアが控えめに手を振ると、レギュラスは綺麗な微笑で会釈して医務室を後にした。



「シンシア、落ち着いた?」
「ローズマリー。うん、マダム・ポンフリーがココアをいれてくれたの。もう大丈夫なんだけど…、その、何かあった?」
「あー、その話は大広間に向かいながらするよ。ここで話し始めると、マダム・ポンフリーに怒られそうなんだ」

 ローズマリーの後ろには、いかにも不機嫌なエリザベスとフレデリカがむっつりと立っている。ローズマリーの説明に、とりあえずシンシアはマダム・ポンフリーに挨拶をしてから医務室を出る。
 出た途端、エリザベスとフレデリカがマシンガンのように何やら嫌味を言い出し、シンシアは目を丸くする。二人とも生粋の貴族だから、感情のままに口汚く罵ることはしない。ただ、こういうところに育ちが出るとか、教育がとか言っていて、彼女たちがとても怒っていることが分かった。
 どういうこと?とローズマリーに視線で語りかけると、彼女は重いため息を一つついた後、事情を説明してくれた。

「シンシアがベネットと一緒に出て行った後、犯人探しが始まったんだ。初回の授業だしマダム・フーチはゆっくり周回するように言ってたのに、トップスピードを出したのは誰だって。シンシアみたいに箒が苦手な子、ましてやマグル生まれで今日初めて箒に乗った子だっているのに、危ないでしょう?それで、犯人がコーマック・マクラーゲンってやつだったんだけど…」
「何をやらかしたの、その人」
「全部は何言ってるのか、本当に理解できなかったから、要点だけね。俺の才能に恐れ慄いたか、フハハハハって感じ」
「それどういうこと?」
「だから私にも分かんない」

 ちょっとハメを外したくらいで、エリザベスとフレデリカがここまで激怒するとは思えない。シンシアが危ない目に遭ったので、それなりには怒るだろうが、廊下で表情に出して怒る程じゃないはずだ。一体マクラーゲンは何をしでかしたのか、ある意味心配になる。
 ローズマリーは疲れたように、彼の言い分をようやくしてくれた。さっぱり意味がわからない。正直にそう返しても、ローズマリーは同じようにさっぱりだと肩をすくめる。推測になるが、箒の才能が溢れてしまったのだからスピードを出してもしょうがない、きっと俺の才能に恐れ慄きうっかり箒から落ちてしまったのだろう、とかそういうことを言いたいのだろうか。ローズマリーに聞いてみると、同じように推察したようで、多分、と返ってきた。

「あー、なんというか、傲慢な感じね。しかも会話がキャッチボールというよりブラッジャーの打ち合いみたい」
「それにハルバートが噛みついたの。彼もシンシアをからかっていたけど、身内以外の他人からいじられるのは許せなかったみたいよ」

 ハルバートは嫌味ったらしく、そんなに天才的ならクィディッチのプロリーグからスカウトが来るさ、と上げてから、マダム・フーチの指示すら守れないプレイヤーなんてお荷物にしかならないだろうけど、と思いっきりこき下ろしたらしい。そこでマクラーゲンが黙ってくれれば、エリザベスもフレデリカもローズマリーも、溜飲が下がって納得できたという。
 しかし貶されたことにマクラーゲンは顔を真っ赤にして腹を立てて、シンシアの出自を憶測でなじったらしい。これにエリザベスとフレデリカは怒髪天、ローズマリーは一周回って冷めたようだ。ベルトラムが箒が苦手な人やマグル生まれの同級生だって他にいるのだから、とど正論パンチを喰らわせたのだが、かえってそれがわざとらしく感じられたようで、シンシアのことを侮辱し続けた。これには同寮のグリフィンドール生もドン引きだったようだ。
 この後のやり取りで、結局スリザリン対グリフィンドールのお決まりの構図となり、ドン引きしていたグリフィンドール生もマクラーゲン単体ではなくグリフィンドール全体を馬鹿にされたことで参戦してしまい、授業は大混乱だったという。

「それ授業中だよね?途中でベネットが戻ったと思うんだけど…」
「戻ってきて、マクラーゲンに絡まれてたよ。俺も助けられたけど、スリザリンだから当然箒の扱いなんて分かると思って、とか。あんな奴らのことも助けるなんて、親切だな、とか」
「それでベネットは?なんて答えたの?」
「それがザマァって感じでさ。困っている人を助けるのは当然ではないですか?箒に乗れて楽しくって羽目を外したくなるのも分からなくはないですけど、ああいう飛び方は危ないのでやめた方が良いと思います。だってさ!!」

 ローズマリーがレギュラスの口調を真似した。声色なんかは似ていないが、レギュラスの丁寧で紳士的な言い回しの特徴を掴んでおり、思いの他似ている。レギュラスの言い分は一つも間違ってないが、マクラーゲンにとっては最高の皮肉だろう。わぁ、なんて正論。とシンシアは少し驚いた。
 大広間に着いて昼食を取ると、先に席についていたベルトラムが心配そうにシンシアを気遣ってくれた。その隣のハルバートは、事情を知らない先輩たちにさっきの飛行訓練のことを愚痴っており、ローズマリーから聞くよりかなり泥沼な事情を語っていた。

「ありがとう、ベネットがキャッチしてくれたお陰で怪我はないし、もう落ち着いたわ」
「それなら良かった。あー、ハルバートにも声をかけてやって。君をからかってたけど、彼なりにリラックスして欲しくて冗談を言ってただけで、結構心配してたんだよ」

 ベルトラムから事情を聞いていた先輩がシンシアに目を留めて、本当に心配してくれた。シンシアはマクラーゲンと関わりはないし、もうすっかり箒から落ちたショックは癒えたので、笑顔で心配を跳ね飛ばす。
 まだご機嫌斜めのエリザベスとフレデリカの手を取って、にっこり笑いかける。

「なんだかシンシアったら嬉しそうね」
「だって、親友や寮の仲間たちがこんなに心配したり、私のために怒ってくれるんだもの。こんなに嬉しいことってないでしょう?」

 エリザベスがちょっと眉を吊り上げて、その後破顔する。おばかさんね、なんておでこを小突かれて、美味しいランチを一緒に食べた。

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