祖母からの手紙
シンシアたちは大広間で宿題をしていた。ルームメイトの女子4人だけでなく、男子たちも比較的近い位置に座って、同じく宿題をしている。今は授業の空きコマで、これから薬草学の授業がある。
薬草学は週に3コマ授業があって、そのうちの2コマは温室に行って実際に植物を見て観察したり、実際にお世話する。もう1コマは座学で、見たり触ったりする前の注意事項などを学ぶのだ。今回は座学の薬草学である。
「シンシアやローズマリーは薬草学の実技が上手で羨ましいわ」
「私は庭の手入れを手伝ったりしてるから」
「私の家も似たような感じ」
確かに、シンシアとローズマリーは薬草学の実技や魔法薬学の調合が比較的得意だった。エリザベスとフレデリカは、それこそ良家のお嬢さんなわけで、自分で土いじりをしたり食事以外でナイフを持つことなんてない。その経験の差だろうとシンシアは思っていて、それにローズマリーも似たような意見を持っていた。
「私としては、二人がどうして魔法史がそんなに得意なのか知りたいわ。あの授業で、しかも内職をしているのに、どうしてレポートを書き終えるのがあんなに早いの?」
「それは…家で勉強していたからよ。私たちって祖先を遡っていくと大体の家と繋がりがあって、歴史上の偉人も実は大叔父とか高祖父だったりするのよ」
「私には大叔父も高祖父もどういう関係性か分からないわ」
魔法史の授業はゴーストのビンズ先生が行う。最初こそ黒板の奥からぬっと透過して現れたビンズ先生に驚いたものだが、授業が始まると教科書を読むだけの単調さに寝るのを我慢するのが非常に大変な科目であることがわかった。
早々に授業を真面目に聞くのは諦めて、内職をするようになったのだが、宿題を出されるたびにシンシアとローズマリーは教科書を遡ることになり大変苦労している。それに対して、エリザベスとフレデリカは図書室に参考書を借りに行ったり、さらりと終わらせていていつもギョッとする。
どういうカラクリなのか理解して少し納得したが、ローズマリーの言う通り大叔父だとか高祖父なんてどういう間柄なのか見当もつかない。シンシアは自分の家系を遡ろうとしたところで、祖父母を知らないので土台無理な話である。
「そろそろ行きましょう」
「そうね」
ちょこちょこ無駄話をしつつ、宿題を進める。意外と時間が経つのは早くて、教室までの移動を考えるとそろそろ大広間を出た方が良かった。
薬草学の教室に入ると、シンシアたちが一番乗りだった。手頃な席に座って、先程の宿題の続きをしていると、ワイワイ騒がしくレイブンクローの女子生徒が入ってきた。
「あら、エリザベス・ハワードじゃあありませんか」
「…ご機嫌よう、Ms.ハームズワース」
エリザベスの貴族令嬢モードに、シンシアは内心うへぇと声を漏らす。スリザリンの仲間内では随分打ち解けたエリザベスの様子に、彼女の使う貴族令嬢モードは二種類あると気付く。先生など敬うべき人に自然体で畏まるモードと、戦闘態勢のモードだ。このびっくりするほど綺麗だけれど、親しい人になら凄んでいると分かる笑顔に、シンシアは辟易とする。
隣に座っているフレデリカも貴族令嬢だ。バレないようにローブを摘むと、耳元で事情を説明してくれる。
「ハワード家と同格の貴族なんだけど、代々その…性格に難ありなのよ」
「あぁ…」
「しかも何故か天才肌の人が多くって」
「ワォ、地雷祭り」
「そういうことよ」
エリザベスは秀才型だ。誰よりも努力して、誰よりも優れている証明を自分でしていくタイプの人間だ。貴族令嬢として努力を人に見せずに涼しい顔をしていることが多いが、その実誰よりも熱心でストイックな熱血だ。
それに対して、あのハームズワースとかいうレイブンクロー生は、そうは見えないが天才型らしい。あの口振りからして、それを誇るタイプでもある。金髪の巻き髪を得意げに肩から払って、緑色の目をギラギラさせて、エリザベスを笑っている。エリザベスの一番嫌いなタイプである。
「そういえば先日の飛行訓練のこと、聞きましてよ?スリザリンに組み分けされるような家柄で、箒から落ちてしまうなんて。お怪我はありませんでした?」
パキ、と隣のフレデリカの方から音がする。フレデリカが羽ペンを折った音だった。
ハームズワースの言い方はスリザリン、ひいてはシンシアをこき下ろす含みを持たせていた。要は、スリザリンに組み分けされるような名家なのに、箒から落ちるなんて無様ですね。多分、エリザベスやフレデリカには、さらに副音声で本当に純血なんですか?くらいまで聞こえていそうである。
「ええ、紳士的な方に助けて頂きましたの。それにしても、先生の指示を守れず他の生徒を驚かせてしまった方には困りましたわ。とても箒がお好きな方なんでしょうけど、元気が有り余っていたようですね。2年生になったらきっとクィディッチの選抜を勝ち抜けることでしょう」
マクラーゲンに苦言を呈している。マクラーゲンもそこそこの家柄のはずだったが、要は先生の指示を守れず、己の力をひけらかし、自分を律することもできない馬鹿と同じ授業なんて、スリザリンにとって迷惑すぎる。それだけお得意なら、クィディッチの選抜メンバーになれなきゃ、恥晒しも良いところよ。この嫌味については、あの飛行訓練の日から散々聞かされているので、シンシアにも翻訳できた。
「ご無事なようで何よりですわ」
ほっとしたように見えて、ハームズワースの視線が、シンシアたちスリザリンの一年生女子を往復した。きっと、誰が箒から落ちたのか知って、バカにしたいのだろう。それが目をつけているエリザベスなら上々、そうでなくても友人としてお付き合いは、なんてこき下ろすのだろう。
シンシアが耐えられなくなったところで、隣のフレデリカが、これまた寒々しい笑みを浮かべてシンシアの手を握って制止する。これはとても怒っている顔だ。フレデリカがシンシアと目を合わせて、にっこりと笑いかける。何も言うな、ということだろう。
丁度やってきたスリザリンの男子たちが、ハームズワースとエリザベスの間に走る緊張に、何事だと訴えてくる。一番そういうことに首を突っ込みがちなハルバートが、一番端に座って傍観していたローズマリーに、事情を尋ねていた。唇を読まれないように読んでいた本で口元を隠して、ローズマリーが一連の流れを教えると、ハルバートは片眉を釣り上げた。
「Ms.ハームズワースもお気をつけて」
「わたくしはそのような無様な真似は致しませんわ」
「ええ、そうですね。でもそのお身体では、うっかり隣を飛ぶご友人にぶつかってしまうかもしれないでしょう?」
エリザベスは心底心配だという顔で、わざとハームズワースの頭からつま先までねっとりと見る。それにつられてハームズワースをみると、エリザベスの言わんとしていることが分かって、シンシアはちょっと顔がヒクついた。隣のフレデリカと野次馬のハルバートが、堪えきれず、フッと息を漏らした。
ハームズワースはとても、なんというかグラマーだ。ふくよかで美味しいものをたくさん食べて育ったのだと思う。彼女が飛んでいる間、うっかり隣の人に当たってしまったら、確かに跳ね飛ばされてしまいそうだった。
「そういえば、この授業が終わったら夕食ですね。今日のご飯は何かしら。最近成長期なのかとてもお腹が減ってしまって、体型のキープが大変なんです。でも今日はなんだか、ハムステーキが食べたい気分」
エリザベスはとても健康的な痩せ型だ。わざとらしく体型のキープが、なんて言っているが、彼女がダイエットをしているところなんか見たことない。ただ暴食をしないだけである。それに、ハームズワースとハムをかけているんだろう。もう彼女のワガママボディを見たらハムを連想する体になってしまった。
顔を真っ赤にして、腰巾着の友人を連れて離れた席についたハームズワースを見て、とうとう堪えられず、シンシアは黒板の方を向いてニヤつく唇を堪えられずもにょもにょさせる。フレデリカとハルバートも、わざとらしい咳払いで笑いを誤魔化しているし、無関心そうに見えたローズマリーもちらっとハームズワースを見た小さく鼻で笑っていた。
勝った、とでも言いたげな得意げな顔で、エリザベスは授業に取り組んだ。その日の薬草学は座学なこともあり、エリザベスが10点も加点してもらっていた。
「イカした言い回しだった。俺もハムステーキが食べたくなった」
「それは幸いね」
授業の後、ハルバートの賞賛にエリザベスはドヤ顔で応えていた。ハームズワースはキィー!と奇声を上げながらどしどしと追い抜いて、大広間へ入って行った。きっと夕食をしっかりと食べるのであろう。その様子が目に浮かんで、全員が思わず吹き出してしまった。
そんな爽快劇のあった後の夕食。本当にハムが並んでいて、ハルバートが笑いすぎてくすぐりの呪いでもかけられたみたいに、酸欠になっていたのは置いておいて。食後のお茶を飲んでいる時のことだった。
いつもは朝か昼に届くフクロウ便が、珍しく夜に来た。グレーの艶やかで美しい羽のフクロウは、滑るようにシンシアの元へ手紙を落とした。少し前にレイヴィスや両親に向けて近況報告の手紙を書いたが、返事が来るには早すぎる。他に手紙を貰うような相手もいないので、シンシアは署名を確認するが記載されていなかった。宛名は美しい字でシンシアの名前が記されており、送り間違えたわけではないらしい。手がかりらしいのは、封蝋に押されたスタンプくらいである。
ひとまずシンシアは手紙を受け取るだけ受け取って、綺麗なフクロウを撫でる。
「貴方美人さんね。どこから来たの?お水は?夕食の時間だからお肉もあるけど、フクロウ小屋のフードの方が良いかしら」
フクロウが答えるわけがないが、シンシアは現実逃避に世話をした。なんとなくベーコンをとってあげると、フクロウはそれを器用に足で掴んで、飛び去ってしまった。
「ああ、行っちゃった…」
「ご家族から?」
「そうだった、このシーリングスタンプって、エリザベスなら分かる?家紋に見えるんだけど」
「……急いで寮に戻りましょう」
「え?うん、わかった」
エリザベスはまだカップに紅茶が残っているのに、ソーサーに戻して立ち上がる。シンシアもエリザベスに置いて行かれないよう、慌てて席を立った。早足なエリザベスの後を追いかけて、スリザリンの寮へ戻って、談話室には目もくれず寝室まで一言も発さず来た。ちょっとは歩く速度を緩めてほしいし、どういうわけか説明して欲しかった。
「ちょ、エリザベス。心当たりがあるってこと?」
「…ええ、あるわ。それはペンバートン家の紋章よ。赤い薔薇に鹿の角。最近はめっきり話を聞かないけど、貴族なら誰でも知っている、それこそブラックやキングスコート、に並ぶ超名家よ」
「えぇぇ、なんでそんな家から私に手紙が来るの?」
「分からないわ。手紙を読めば、何かわかるかもしれないけど…」
シンシアには、そんなコネクションなんてない。ホグワーツに入学するまで、本当に友達なんていなかったし、両親の知り合いにそんなやんごとない家の人がいるなんて聞いたこともなかった。とにかく、手紙を読むしかないだろう。
赤いシーリングワックスには、薔薇と、金色で色付けされた鹿の角が押されている。それをベリっと剥がして、シンシアは中の羊皮紙を取り出した。羊皮紙には宛名と同じく、とても整った字で記されている。時候の挨拶から始まり、詩の引用など難解な文章で記されている。幸い、詩は母の文字の書き取りの練習のおかげて少し分かり、シンシアはなんとか解読することができた。
「読みにくいけど、私のおばあさんから夏休みに遊びにおいでってお誘いみたい。夏の間はうちで過ごさないかって」
「なんですって!?」
エリザベスがギョッとした様子でシンシアを見てくるので、エリザベスに手紙を差し出す。読まれて困る内容ではないし、エリザベスに読んで解釈が合ってるか確認もしたかった。エリザベスは恐る恐る手紙を受け取り、二度、三度と何度も読み返しているようだった。
「セラフィーナ・ペンバートン、確かに聞いたことがあるわ」
「ねぇ、ペンバートン家ってそんなに凄いの?ブラックとかキングスコートは魔法史でもよく見る名前だし、なんとなく凄い家門なのが分かるけど、私ペンバートンなんて聞いたことがない」
「パンバートン家は特殊なのよ。一般的には後継に困らない限り長男に家督を相続させるでしょう?男子がいなければ養子を迎えたり、長女を跡取りにすることもあるわ。私も一人っ子の長女で、跡取り娘なんだけど、私はあくまで仮の当主にすぎないの。私が婿をとって、私が将来産むであろう長男に、正式な爵位が授与されるの」
「あー、そうなんだ、それで?」
「パンバートン家は代々女性が正式な爵位を継承している家門なのよ。表舞台に出てこないだけで、旧家ならみんな知っている古くからある間違いなく純血の貴族よ」
「私のパパかママがペンバートン家出身で、私がその産まれた長女だから連絡が来たってこと?」
「失礼だけど、ご両親の名前を教えてもらえる?家の教育である程度の貴族家の名前は把握してるから」
「すっご。ああええと、パパはベスティアン、ママはナタリアだよ」
「……お母様がペンバートン家のご出身よ」
「そうだったの?知らなかった。あれ?それならママは女性なんだし当主になって、パパを婿に迎えてたんじゃないの?」
エリザベスの歯切れが急に悪くなった。何か良くない事情があるのだろうか。
「それは…、多分、ナタリア様は当主教育を受けていなくて、お嫁にいってしまったからだと思うわ。その、私が言っていいのか分からないんだけど、ナタリア様にはお姉様がいらっしゃって、お姉様であるシンシア様が当主を引き継がれる予定だったんだと思うの」
シンシアはよくある名前だ。イギリスの名付けなんて、親と全く同じ名前だとか、親族から貰うことは一般的だ。でも、シンシアにとって伯母にあたるその人が、同じ名前を持っているのはなんだか変な感じがした。今まで家族といえば両親と弟しか居なかったのに、急に祖母と伯母が現れて、戸惑っているのかもしれない。
「続きがあるんでしょう?はっきり言って」
「その、シンシア様は若くして、名前を言ってはいけないあの人の手にかかって…」
パンバートン家は代々女系で爵位継承をしてきた家門。その跡取り娘が若くして例のあの人によって亡き者となり、次女はすでに結婚して家を出ていた。その場合、爵位を受け継ぐべきは次女の娘であるシンシア、こういうことだ。
「私、今日までおばあちゃんと伯母さんがいることも知らなかった。お母さんが貴族出身なのも知らなかった。ペンバートン家の名前すら知らなかった。でも純血の旧家なら誰でも知ってるようなすごい家で、私そんな家の跡取りなの?私、私……」
混乱するシンシアを、エリザベスはぎゅっと抱きしめて落ち着くまで背中をさすってくれた。でも、何も知らなかったのに、急に重たい荷物をいくつも渡されて、平気でいられるシンシアではなかった。