まことの友
シンシアが目を覚ますと、ほんの少しさっぱりとした気分だった。やけに外が静かなのに違和感を持って、のそのそと身体を起こして、ベッドのカーテンを開ける。部屋全体が木漏れ日のような明るさで照らされていて、自分が寝坊をしたことを察する。
昨日、祖母から届いた手紙のせいで、自分のルーツや背負うべきものを知ったシンシアはとても混乱した。そんなシンシアにエリザベスは寄り添ってくれたが、シンシアには一人でゆっくり考える時間が必要だった。部屋にローズマリーとフレデリカが帰ってきたのもあって、シンシアは逃げるようにベッドに潜り込んでそのまま眠ってしまったのだった。
寝坊してしまったのなら、今更急いだところで大して変わらないだろう。シンシアはベッドのカーテンを柱にくくって、軽く整える。緩慢な動きで椅子に座って、鏡を出してやけに丁寧にブラシを通す。いつもならフレデリカが起こしてくれそうなものだが、エリザベスに言われてあえて起こさなかったのだろう。
「(なんかムカムカして気持ち悪い…)」
起き抜けのさっぱりとした気持ちが消え失せ、祖母や家系のことを考え出すとムカムカと胸焼けのような気持ち悪さが支配する。ブラシを置いてもう一度横になるか考えたところで、ドアのそばに小さなテーブルが置かれていることに気付いた。
丸テーブルには、可愛らしいティーコゼーと伏せられたカップが置かれている。カップの側にはジャムとリンゴが並んでいる。
おはよう、シンシア。
エリザベスがそっとしてあげてと言うから、私たちは授業に行ってくるわね。先生には上手く伝えておくから、ゆっくり休んでね。
リンゴなら食べやすいと思って、大広間から取ってきたの。
紅茶にはジャムを入れて。落ち込んだ時は甘いものよ。私のとっておきなんだから。
ユーフェミアが時間が経っても冷めない、渋くならない魔法をかけてくれたの。私もこの魔法を覚えたいわ、今度一緒に練習しない?
フレデリカ
スリザリンの寮は大広間から近いとは言え、朝食の後わざわざ戻って準備してくれたらしい。弱った心にフレデリカの親切が沁みて、シンシアはぼろぼろ涙をこぼした。フレデリカのとっておきのジャムをティースプーン1杯落とした紅茶はいつもより甘くて、優しい味がした。
気分が悪いせいで食欲はあまりなかったが、親切を無碍にしたくなかったので、リンゴを齧る。食べ出すと思っていたよりお腹が空いていたのか、小ぶりなそれをペロリと平らげる。食べ終わるとムカつきが少しマシになった気がした。
「どうしよ」
せっかく友人たちの計らいで考える時間を貰ったのだから、活用しなければ誠実じゃない。とはいえ、自分の手に負えることではないので、どうしようもない、というのが正しい。
そもそも貴族令嬢である母が、ちゃんとシンシアを貴族として、次期当主として教育すれば良かったのだ。シンシアは昨日まで祖母のことも、ペンバートンのことも、母や伯母のことも、家督のことも、何一つ知らされていなかった。母が最初から言っていれば、受け入れる時間はたっぷりあっただろうし、一般人と貴族当主のギャップに戸惑うことだってなかったのだから。
そんな考えに至ると、母への怒りがふつふつと沸いてくる。感情のままにシンシアはテーブルに向かい、たくさん手紙を書くと約束して買ってもらったレターセットを取り出す。ガリガリと音がするほど、普段より強い筆圧で書きなぐり、寝巻きの上にローブを羽織っただけの姿で寮を飛び出した。
地下にあるスリザリン寮からフクロウ小屋のある西塔のてっぺんまでは結構遠い。幸い、今は授業中だから誰も出歩いていなかった。最初こそ怒りに任せて小走りだったが、二階から三階あたりで息が上がってきたので、今は普通に歩いている。
たどり着いたフクロウ小屋は、フクロウが出入りできるように窓ガラスがはまっていない。少し曇ってきたが、秋の心地よい風が吹いてきて、シンシアの心を少し沈めてくれた。
「どの子にしようかな」
シンシアがフクロウ小屋をキョロキョロすると、真っ黒な羽にちらほら白の混じるフクロウが目の前にやってきて、手紙を出せと足を出してきた。
「手紙を届けてくれるの?貴方とっても綺麗ね。羽が星空みたい」
黒い羽にどこか気品を感じるフクロウだ。まるでエリザベスみたい、なんてちょっと失礼なことを考えていると、痺れを切らしたフクロウがシンシアの肩に飛び乗ってホーと鳴いた。
「そうしたら貴方にお願いするわね、美人さん」
褒めながら手紙を足につけると、フクロウはシンシアの横顔に頬擦りしてから飛び去った。飛び去った方を見守っていると、まだ手紙があると勘違いしたのか、他のフクロウたちがシンシアに寄ってきたので、シンシアは大慌てでフクロウ小屋を飛び出した。
その後シンシアは、寮に戻ってベッドでゴロゴロして過ごした。真面目なエリザベスと一緒にいると、自然と予習復習していたので、こうして何も考えず一人で過ごす時間は久しぶりだった。流されやすいだけで、実は真面目でもなんでもないシンシアには、ぼーっと過ごす時間も苦ではなかった。
起きたのがお昼くらいで、そのままゴロゴロしている内に二度寝してしまったらしい。周囲が騒がしいと感じて、シンシアは目を開ける。
「あ、起きた?顔色は良さそうね。これから夕食なんだけど、一緒に行く?それともまた何か持って来ようか?」
丁度シンシアを覗き込んでいたフレデリカと目が合う。そういえば、ゴロゴロしていてそのまま寝たから、カーテンを開けっぱなしにしていた。
「大丈夫、一緒に行く」
フレデリカの後ろで、エリザベスが心配そうにシンシアを見ている。エリザベスは何も言わずずる休みさせて、考える時間を作ってくれたり、本当にシンシアに良くしてくれている。飛行訓練だって誰より心配して、誰より腹を立てて、ハームズワースからも庇ってくれている。エリザベスから貰ってばかりで、何を返せるかシンシアには見当もつかなかった。
夕食に行くと、フレデリカが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。ベルトラムも体調大丈夫?と声をかけてくれた。ローズマリーは図書館に行ったらしく、多分就寝近くまで帰ってこないだろう。フレデリカが調子の優れないシンシアならまだしも、元気なローズマリーのために食事を取っておくのは話が違う!なんてぷりぷりしていたけれど、しっかり包んであげる辺り彼女らしいと思う。
「シンシア」
「あ、エヴァンジェリン」
エヴァンジェリンはシンシアの2学年上の3年生だ。ふわふわしたまばゆい金髪に青い瞳の、まるでプリンセスのような少女である。いつも穏やかな笑みを浮かべていて、慈愛に溢れている。そんな素晴らしい人だから、まだ3年生になったばかりだというのに、監督生ほぼ確定だと言われている。
「体調が優れないと聞きました。この時期は体調を崩す生徒が多いんです」
「えっと、ホームシックとかではなくって…」
「そうだったんですね。談話室を背にしてお部屋へ向かうと、男性と女性で左右に分かれるでしょう?その一番奥の壁際に4つお部屋があるのが分かりますか?」
「はい、わかります」
「そこは昔監督生のお部屋だったんです。今は監督生も学年で同じお部屋を使うようになったので、そのお部屋は現在使われていません。そのお部屋を改装して、お茶会室として使っているんです。そのお部屋は盗聴防止の魔法がかけられているので、誰にも聞かれたくない相談事があれば、そこで話を聞くことも出来ます。私でも、誰でも、一人で抱え込まず頼ってくださいね」
「ありがとうございます。あの、そのお部屋ってお借りする時どうしたら良いんですか?」
「覗き穴から中が見えれば空いているので、好きに使って構いませんよ。使用中の時は魔法の蛇が、覗き穴を隠してくれるので。あ、使用中の時に外で待つのはマナー違反ですから、気をつけてくださいね」
「はい、エヴァンジェリン」
鈴を転がしたような清らかな声でエヴァンジェリンはふふ、と笑うと、シンシアの隣から立ち上がって、友人であるアデレードと共に大広間から出ていった。先程エヴァンジェリンを監督生ほぼ確定と言ったのは、アデレードが居るからだ。アデレードはエリザベスと少し似ていて、エヴァンジェリンと同じく美しく聡明だが、ほんの少し気が強い。保育士のように優しく導くタイプのエヴァンジェリンと、軍師のように厳しくもきっちり導くタイプのアデレード。どちらにも良さがあるため、どちらが監督生だと断定するのは難しかった。
それにしても、寮にそんな部屋があるなんて知らなかった。大体の話は談話室や寝室でしていたし、今まで誰かに聞かれたくない話をする機会がなかったからかもしれない。ペンバートンのことはエリザベスしか知らないし、いずれフレデリカやローズマリーに話すことになるが、シンシア本人ですら混乱している状態で二人にも話す気にはなれなかった。
「エリザベス、このあとちょっと良い?」
「ええ、もちろんよ」
「あの、フレデリカ…」
「ごめんなさい、シンシア。今何か言った?このブドウがとっても酸っぱいのよ。意地悪でローズマリーにあげようかしら」
「…ありがとう」
エリザベスに声をかけるとちょっと驚いたみたいだが、力強く頷いてくれた。気まずさと申し訳なさでいっぱいになりながらフレデリカに声をかけると、彼女はすっとぼけてみせた。わざとらしくはなかったが、聞こえなかったふりをしてくれているのはわかって、シンシアはお礼を一つだけ言った。今は話せないけど、絶対に皆に話すから。と心の中で誓って、シンシアとエリザベスは早めに食事を切り上げて寮に戻った。
寮に戻って、エヴァンジェリンに教えられた部屋の前に立つ。ドアの覗き穴は見えていて、幸運なことに空室のようだった。シンシアとエリザベスが入ったのは右から二番目の部屋だ。部屋に入ると同時に蝋燭に火が灯り、薄暗いながらちょっと落ち着いた大人の雰囲気のあるお部屋だった。
元々監督生の部屋だったというのは確かなようで、埃よけの布がかけられたベッドが隅に寄せられてあった。シンシアたち寮生の寝室は部屋の中央にストーブがあるが、この部屋は壁側につけられたマントルピースタイプで、装飾やその上の飾り棚が豪華だった。暖炉の周りには長椅子やソファ、ローテーブルが置かれていて、シンシアとエリザベスは二人で並んで長椅子に腰掛ける。
「あのね、正直まだ受け止められてないし、どうしたら良いのかも分からないの」
「ええ」
「でも、それって仕方のないことじゃない?そもそも、ママが初めからそう教えて、エリザベスやフレデリカみたいに育ててくれたら、こんな風に戸惑うこともなかったし」
「そうね」
「だから…、昼間にママに手紙を書いたの。どういうことなの!?って」
「まぁ」
「早ければ明日、返事が届くと思うの。一緒に見て、私だけじゃどうしようもないから、エリザベスに助けて欲しいの」
「もちろんよ」
エリザベスは静かに聞いてくれた。ポツポツと話すシンシアを遮ったり、先を促すことなく、ただ聞いてくれた。そして、助けて欲しいとお願いすると、間髪いれず頷いてくれた。
「私、いつもエリザベスに助けてもらってばかりで、何も返せてないけど。エリザベスみたいに強くも勉強ができるわけでもないし、私がしてあげられることなんてないかもしれないけど、それでもエリザベスが悩むことがあったら、私絶対助けになるからね」
申し訳なさ、不甲斐なさ、悔しさ。祖母やペンバートンのことを考えると憂鬱な気持ちになって、何も教えてくれなかった母に苛立って。色々な気持ちでぐちゃぐちゃになって、シンシアはとうとう泣き出した。
ああ、泣かないで。エリザベスがレースのハンカチでシンシアの涙を拭ってくれる。
「私、シンシアにかけがえのないものを貰ったのよ。ホグワーツ特急で一人ぼっちだった時、家柄のせいで友達もできず、スリザリンで孤立すると思っていたの。こんな性格だからホグワーツは勉強する場所なんだから、勉強に集中すべき。友達なんていなくてもなんとかなるって、本当は意地を張ってたの。でも、貴方はホグワーツの寮より誰と過ごすかが一番大事だと言って、世間では闇の魔法使いだって偏見も強いのに、身内に優しいスリザリンも良いって!」
今度はシンシアがエリザベスの話を聞く番だった。ホグワーツ特急で貴族相手に緊張していたシンシアを気遣っていたエリザベスはとても大人びて見えた。実はこんな不安を抱えていたなんて、微塵も思わなかった。
「貴方はきっとスリザリンじゃないって思った。だから別の寮に組み分けされたら、どこでどうやって会おうとか、沢山考えた。それなのに、貴方はスリザリンに行きたいって組み分け帽子に頼んでくれた。私、私、とても嬉しかったのよ」
「私は…エリザベスが本当に素敵だったから、一緒に居たかっただけなのよ」
「貴方がいないスリザリンなんて考えられない。フレデリカもローズマリーも貴族出身だから、ベッドを決めた時みたいにきっと私に遠慮してたわ。貴方が居たから、私たちこんなに仲良くなれたの」
そんなにも思ってくれているなんて、知らなかった。しっかり者のエリザベスは、貴族らしく弱いところを見せたがらない。こうして弱いところを晒してくれるほど、シンシアは信頼されているということだ。
シンシアはぎこちない家庭で育った。母は特にそっけないし、父も優しいがどこかぎこちない。弟は一番自然だがちょっと意地悪だし、弟なのもあって愛情を感じるような機会はなかった。家を出るまで、毎日単調な生活を送っていた。ホグワーツに来てからはエリザベスやフレデリカ、ローズマリーたち友達に囲まれて、たくさん人の温かさに触れることができた。ホグワーツでの生活は、今までの生活と比べると極彩色のように鮮やかな日々だった。
「エリザベスが好きよ」
「私の方が大好きよ」
その夜、二人はお互いの頬をハンカチで拭い合い、まことの友を得られたことを実感しながら幼い子供のように泣きじゃくった。