一番好きな魔法
あっという間に9月が終わった。結局、あの後は休んだ分の課題に追われることになったので、シンシアは大きく変わらない生活を送っている。レディ・レッスンは、エリザベスが指摘、お手本を担当し、フレデリカが甘やかし、ローズマリーは二人のバランスの調整薬に落ち着いた。ローズマリー曰く、飴と鞭は均等でなければならないらしい。確かに、厳しすぎると友情にヒビが入りそうだし、甘やかされすぎても後で痛い目に遭いそうだった。
エリザベスのご両親からの返信は、翌日には来た。夕食前に手紙を出したから、届いたのは朝だと思うが、そこからすぐに手紙を書いて速達で送ってくれたらしい。エリザベスのご両親は、家族で過ごすのが一般的なクリスマスを一緒に過ごそうと、シンシアを歓迎してくれた。レディ・レッスンの講師も快諾してもらえて、シンシアは一安心だ。
そうと決まればシンシアもクリスマス休暇は家に帰らず、エリザベスの家で過ごすと知らせなければならなかった。エリザベスの家への手土産など、何度も手紙のやり取りをして決定しなければならず、シンシアはこの時ばかりは地下にあるスリザリン寮の立地を恨んだ。
今日は休日だ。宿題は出された当日に終えるようにしているし、最近は勉強だけでなくレディ・レッスンもあったので、忙しない日々だった。久しぶりの休日なので、シンシアは今日ばかりは何もしないと宣言している。日頃の頑張りを見ていたからか、三人の先生たちも息抜きしてらっしゃい、と快く送り出してくれた。
のんびりあてもなく歩いていると、外に出た。10月に入って秋めいてきて、長袖にカーディガンだけでは少し肌寒かった。雲間から日が差すとポカポカ暖かく、シンシアはそのまま散歩を続ける。
いつもはスリザリン寮の窓から水中を見ている湖を、上から見てみる。そういえばこっちへくるのは新学期の時、ボートでホグワーツへ向かった時以来かもしれない。昼の湖はとても凪いでいて、陽の光が当たるとキラキラ輝いていた。
「シンシア?」
「レギュラス」
ぼーっと湖を眺めていると、呼びかけられて振り返る。レギュラスは、目を丸くしてシンシアを見ていた。まさかシンシアが居るなんて、みたいな顔をしていて、いつもの紳士的な表情ではなく年相応に見えたのが、なんだかおかしくて内心笑ってしまう。
シンシアはレギュラスに歩み寄った。まだそんなに変わらないけど、少しレギュラスの方が高い背。ネイビーのシャツに綿のサマーニットを着て、黒のジャケットとデニムを合わせている。制服と変わらないアカデミックでフォーマルなスタイルに、スリザリンでよく目にするせいか親近感と、紳士な彼らしいと納得を覚える。
「レギュラスもお散歩?」
「ええ」
「それなら一緒に行かない?」
「もちろん、喜んで」
レギュラスがいくら紳士でも、グリフィンドール生だから受け入れてもらえるか分からなかった。けれどレギュラスは、どうぞ、なんて言ってエスコートまでかってでてくれた。シンシアの身近な男の子は意地悪でヤンチャなレイヴィスくらいだし、同級生の三人はそこまで仲がいい訳ではない。こんな風にエスコートされるのは初めてで、シンシアは自分がお姫様になったと勘違いしてしまいそうだった。
「この前は心配してくれてありがとう」
「いえ。その様子だと無事に解決できたんですか?」
「解決とは行かないけど、受け入れる?ことはできたよ」
「そうですか」
レギュラスと一緒に過ごす時間は心地よかった。彼は多くを語らないが、とても聞き上手で自然と会話が続いた。シンシアが主体で話しているが、決して質問攻めにされたりシンシアが一辺倒に喋っていたりするわけではなかった。
楓が色づく木の下で、二人は少し休憩することにする。シンシアは気にしないのに、レギュラスがハンカチを敷くから、汚してしまうのが気になった。レギュラスが譲らなかったのでありがたくお尻に敷かせてもらっているが、絶対に洗濯はシンシアが担当しようと心に決める。
日が当たって、少し眩しい。目を細めて輝く湖面を見ていると、こんな穏やかな時間がずっと続けば良いのに、なんて思ってしまう。きっと、フレデリカならバスケットにお茶の準備をしているし、ローズマリーは本を用意するだろう。いつも一緒にいるが、それがくどく感じない友人に恵まれて、スリザリンに入って本当に良かったと思う。
「それでね、私がドタバタしてる間に、ローズマリーの誕生日だったの。言ってくれれば良いのに、水を差すのはよくないからって誰にも言わなかったのよ」
「Ms.フィッツロイは思慮深い方なんですね」
「ええ、そうね。とってもマイペースなんだけど、とっても気の回る子なの。友達としては、そこは気を回して欲しくなかったんだけど」
10月の頭、私たちルームメイトの中で、ローズマリーが最初に誕生日を迎えた。誕生日の話になった時、中々教えてくれないローズマリーを訝しんでいたら、過ぎたことをカミングアウトされたのだ。エリザベスもフレデリカも仰天して、教えてよ!と皆で文句を言った。
エリザベスやフレデリカは両親に頼んでローズマリーにプレゼントを贈っていた。シンシアもお小遣いは貰っているのでプレゼントを買う余裕はあるのだが、何を贈っていいのか分からなかった。
「レギュラスなら、誕生日に何を貰ったら嬉しい?」
「男性と女性ではあまり参考にならないと思いますが…」
「今の僕の欲しいものはペンケースでしょうか。マグルは羽ペンやインクを使わないので、サイズが合わなくて」
「じゃあマグルは何で文字を書くの?」
レギュラスは鉛筆や消しゴムのことを教えてくれた。書いた文字を間違えた所だけ消せる消しゴムというのは、とても魅力的なものだと思った。便利だな、良いななんて顔に出ていたのかもしれない。レギュラスが指定した箇所のインクを吸い取って消してくれる呪文を教えてくれたので、シンシアはちょっと恥ずかしかったが素晴らしく実用性のある魔法に、大喜びで使い方を教わった。
ジャケットの内ポケットに入れていた杖をレギュラスが取り出したので、シンシアもそれに習ってポケットから杖を出す。レギュラスの杖は真っ黒で、とても高級感がある。持ち手と杖先の境目に螺旋の捻りがあって、持ち手もとてもシンプルな大人っぽい杖だ。その隣にシンシアの黄金色の杖が並ぶと、いつもと違うように見えて興味深かった。
「綺麗な杖ですね」
「貴方の杖も。とっても大人っぽいわ」
「黒檀の杖だそうです。家具や楽器に使われることの多い杖ですね」
「よく知ってるのね。私の杖はナシなの。オリバンダーさんが言うには、ナシの杖を使う人で闇の魔法使いは居なくて、心が温かく寛大だとか賢い魔法使いが持って初めて力を発揮するとか、大それたことを言われてちょっとプレッシャーだったの」
「シンシアにピッタリじゃないですか?」
「全然そんなことない!この杖に決まるまで、本当にいろんな杖を試したのよ。リンゴとか桜とかイトスギとか。レギュラスはすぐに決まった?」
「僕は最初に持ったのがこの杖だったので」
「わぁ、運命的ね」
レギュラスは一発で杖が決まったらしい。杖選びに難航した苦い思い出のあるシンシアにとって、それはとても羨ましいことだった。
「オリバンダーさんは最初に試したリンゴの木の杖に自信があったみたい。合わなくてちょっと残念そうにしてたな」
「そうだったんですか。でも、オリバンダーさんが言いたいことも分かる気がします。リンゴの木の杖の持ち主は愛され長生きすると言われていますから」
レギュラスは照れくさいこともはっきり言う。そんなことを言われたら、シンシアがまるでみんなから愛されるヒロインのようではないか。シンシアは人見知りもするし、交友関係は狭く深くのタイプだし、マクラーゲンやハームズワースなど一部から目をつけられているくらいなのに。
咳払いをして、話しの続きを言う。桜の木の杖を試した時、杖の箱をドミノ倒ししてしまって弁償が怖かったこと、イトスギの杖が母の好きそうなデザインだったがドアがバタバタして騒がしくなったこと。そのあと試した杖のことも話す。
イトスギの杖の時、レギュラスの表情が一瞬凍りついたように見えたのは、気のせいだろうか。今は楽しそうにシンシアの話を聞いているし、気のせいかもしれない。
「それでようやく、その杖に決まったんですね」
「そうなのこの杖先と持ち手のここ、よくみると彫刻が入っているでしょう?可愛い杖だなって思って振ってみたら、花が噴き出して床に着く前に小鳥に変わったの」
「綺麗な魔法ですね。僕は花を出す魔法なら知っていますが、小鳥に変えるとなると変身術を頑張らないといけませんね」
「花を出す呪文なんてあるの?ねぇ、それも教えて」
レギュラスがオーキデウス、と唱えた。黒檀の杖先から蔓薔薇がニョキニョキとのび、やがて白い花を咲かせた。くるりと杖を回すと、蔓薔薇が軌跡をなぞるように丸まって、花冠になった。レギュラスを花冠を確かめたあと、シンシアの頭に乗せた。
とても綺麗な魔法で、シンシアは一番好き魔法を聞かれたらこの魔法だと答えようと思った。それにしても、こんなキザなことをされたら、勘違いしてしまいそうになる。もちろん、シンシアは身の程を弁えているので、そんな勘違いはしないが。
「オーキデウス」
試しに同じ呪文を使ってみる。思い描いたのはローズマリーだ。友人と同じ名前の可憐な花。
シンシアの杖先から松に似た針のような葉が生えて、その間から紫色の蕾がポツポツとつく。少し時間がかかったが、蕾はゆっくりと花開き、小さなブーケになった。
「やった、上手くできた!!」
小さなブーケを抱きしめてレギュラスを見ると、彼はなんだか泣きそうな顔をしていた。
「どうしたの、レギュラス。寒い?どこか痛い?風邪引いた?」
「いえ。ただ、懐かしいな、と」
レギュラスの言葉の意味がよくわからなかった。親族の誰かが得意だったり好きな魔法なのかな、と思ったが、彼はマグル生まれの魔法使いだったはずだ。ローズマリーのブーケ?ローズマリーはハーブだし、割と庭先に生えている花だから、別に珍しいものでもないのに、どうしてそんな顔をするんだろう。
「保存魔法をかけて贈ってはどうですか?」
「え?」
「ブーケ、Ms.フィッツロイへのプレゼントに」
「あ、ああ!そうね!名案だわ!」
とは言っても、シンシアは保存呪文を知らない。レギュラスに頼るき満々で彼を見ると、失礼します、と断ってからシンシアの頭に乗った花冠を取って呪文を唱えた。これでよし、とレギュラスは花冠を頭に戻してくれた。
シンシアもそれに習って、手元のブーケに呪文を唱える。シンシアには呪文がちゃんとかかったか分からなかったが、彼がにっこりして頷いたので成功だと分かった。
「永久保存魔法ではないので、もって1年くらいですね」
「でもレギュラスのおかげでとっても素敵な魔法を覚えられたわ!プレゼントも、こんなに素敵…いや、うーん、ちょっと寂しいかしら」
「確かに、ローズマリーだけだともの寂しいですかね」
もう一度レギュラスがオーキデウス、と唱えると、水色の小さな花が出てきた。とても綺麗で、小ぶりなのが控えめなローズマリーにぴったりな花だと思った。レギュラスがそれをシンシアの持つブーケに合わせて、これならどうですか?と提案してくれる。レギュラスの手が触れて、ちょっとだけ胸が高鳴ってしまった。
エリザベスを思い出し、貴族たるもの感情をおもてに出してはならないと、彼女が口酸っぱく言う言葉を復唱して平静を装う。
「素敵な花だけど、これは私が贈りたいの。その花をよく見せて欲しいな、同じ花を出してみるから」
「そうですよね、気が利きませんでした。これはネモフィラという花です」
レギュラスに見守られる中で使う魔法は、少し緊張した。無事に成功して、自分で出したネモフィラをローズマリーと一緒にブーケにする。綺麗になるように整えて、もう一度保存呪文をかけた。
「ねえ、レギュ…」
「はい、どうしました?」
「あ、えっと、保存呪文が、ちゃんとかかってるかなって…」
「ちゃんとかかっているので、安心してください」
びっくりした。レギュラスは行き場を失ったネモフィラに同じように保存呪文をかけて、シンシアの花冠に足していた。シンシアはレギュラスの前で魔法を失敗するなんて恥をかきたくなくて集中していたので、レギュラスがこんなに近くに居るなんて思いもしなかったのだ。レギュラスの手がシンシアの髪に触れる。たちまち緊張して、シンシアは目線を泳がせて体をカチコチに固くした。ごめんなさい、エリザベス。私は優秀な生徒にはなれなかったようよ。エリザベスなら、まだまだ修行が足りないのよ、なんて言いそうである。
「それだと贈り物には向かないので、」
レギュラスの杖の一振りで、青紫とそれより細い銀のサテンリボンが現れた。レギュラスはマグル生まれだと言うのに、生まれてからずっと魔法界に居るシンシアより魔法を知っている。純粋にすごいと思うし、尊敬もする。でもちょっぴり悔しい気持ちだった。
だけど、確かに彼の言うとおり、花を束ねただけでは贈り物にはならない。リボンを出す呪文は唱えていなかったし、変身術のような習得に時間がかかるような類の魔法なのかもしれない。それだとシンシアに練習の時間が必要だし、主役は自分で魔法をかけたのだから、これくらい甘えても良いだろう。ありがたくリボンを受け取って、ブーケを束ねる。
「可愛い」
「可愛いですね」
ブーケがね。シンシアは脳内でレギュラスの言葉に倒置法で主語を足した。レギュラスの思わせぶりでキザな感じに、シンシアは慣れつつあった。
「風が少し出てきましたね」
そう言ってレギュラスは着ていたジャケットを脱いで、シンシアの肩にかける。だから、そう言うところ。大丈夫と遠慮して、そろそろ城に戻ろうと立ち上がる。レギュラスが手を出す前に、パッとハンカチを回収して洗濯させて、と念を押す。
レギュラスもシンシアが頑として譲らないのを察したのか、少し困ったような顔でとりあえずお礼を言ってくれた。ホグワーツに戻るまでの道すがら、呪文の話をした。
「どうしてそんなに色んな呪文を知ってるの…?」
「えーっと、本で読んだんです。僕はマグル生まれなので、色々な魔法が知りたくて…」
「なるほどね!便利な呪文をたくさん知っているから、羨ましくって。なんて本?」
「あー、えっと、そう、確か『実用的な家庭の呪文集』でした。著者は…」
納得である。マグル生まれだからこそ、どんな呪文があるのか、魔法でどんなことができるのか想像もつかなくて、色々調べたと言うことだろう。脳内に刻み込むようにして本のタイトルと著者を覚えた。
「そうしたら、僕は寮に戻るので」
「あ…、うん、そうよね」
レギュラスは城の少し手前で、別れを告げた。そうだ、彼はグリフィンドールで、シンシアはスリザリン。お互い、邪推をされるのは嫌だった。
ホグワーツという幼い子供たちを集めて長期間集団生活を送る以上、子供たちは常に刺激や娯楽に飢えている。当然、誰かのはれた惚れただの、悪評だのは瞬く間に拡散され、尾ひれがついて事実が書き変わることだってある。
そういう風にレギュラスとシンシアの穏やかな時間が奪われるのは嫌だった。
「また機会があれば」
「ハンカチ、返すから」
「では、その時に」
素敵な時間が終わってしまう寂しさから眉が下がってしまう。レギュラスも名残惜しそうな顔をして、お別れを言う。また機会があれば、なんて機会なんてない時の定型文だ。でも、シンシアにはハンカチという人質がある。それを言うと、レギュラスは楽しそうに笑って、今度こそさよならをした。