杖選び

「ねえ、杖はまだ買わないの?」
「あー、楽しみは最後に取っておいた方が良いと思って」
「ふーん」

 シンシアとしては、杖が早く欲しかった。まだ何も習っていないから、魔法が使えるわけではないが、お子様を卒業して大人の仲間入りをした気分になれそうなのだ。買い物のリストはもう終盤なのに、全然オリバンダーの店に行こうとしないから、シンシアは痺れを切らして父親に尋ねた。
 父親は少し目を泳がせて濁した後、観念したように行こう、と呟いた。紀元前から続くというオリバンダーの店は、なんというか想像より寂れて見えた。掃除が行き届いているようには見えないし、床は踏み抜いてしまいそうな程軋んで、一歩一歩慎重に歩かなければならなかった。店員は店主のオリバンダーのみで、シンシアたちがお店に入って何度か声をかけてようやく裏から出てきてくれた。独特のオーラを持った人で、シンシアはちょっと苦手なタイプに感じで、不安になりながら杖をくださいとお願いした。

「…貴方はもしや……」
「コホン、ご無沙汰しております、オリバンダーさん。私の娘のシンシアが今年ホグワーツに入学するので、杖をお願いしたい」
「ベスティアン・カーライルさん、覚えていますよ。ハンノキとユニコーンの毛、33センチ。とても安定していて、無言呪文に向いている」
「もう二十年は前のことなのに、本当によく覚えておいでですね。さ、シンシアオリバンダーさんの所へ行って、採寸してもらうんだ」

 シンシアは父親に背中を押されて、おずおずとオリバンダーの方へ進み出る。オリバンダーはシンシアが今まで接したことのないタイプだし、今もシンシアをまじまじと観察していてとても居心地が悪い。それに、シンシアと同じように入学の時に売ったであろう父親の杖を事細かに覚えているのも、常人離れしていて引いてしまった。

「シンシア・カーライルさん、杖腕はどちらですかな」
「えっと、右です。多分」
「では腕を伸ばして。杖の長さは………」

 そこからオリバンダーのうんちくがとにかく長かった。最初こそ緊張から一字一句聞き逃さないように集中していたが、シンシアの理解など関係なしにオリバンダーは早口で説明する。しかも途中から愚痴っぽくなってきて、シンシアはますます混乱した。杖にかける情熱は凄まじく、職人として素晴らしいことだと思うが、周りの人が気後れしているのを察してほしい。
 父親に泣きそうな顔で助けを求め、ようやくシンシアはオリバンダーの長話から解放されて、杖選びを始めることができた。

「リンゴと不死鳥の尾羽の杖、25センチ。高度な呪文に適している。振ってみて」
「…っ!」

 言われた通りに差し出された杖を持って軽く振ると、お店の照明がチカチカと点滅した後消えてしまった。外はまだまだ明るいが、薄暗く埃っぽい店内の照明が消えると、冬の夕暮れのような不穏な感じだ。シンシアが不安そうにしているのに目もくれず、オリバンダーはシンシアの手から杖を取り上げるとまた店の奥への消えていった。

「リンゴの杖は滅多に出回らず、闇の魔術と相性が悪い。それに、この杖を持つ人は愛され長生きすると言われているので、貴方にはピッタリだと思ったんですがね。おかしい…」

 ぶつぶつ何やら言っているが、シンシアはどう反応して良いか分からず、目線を泳がせるしかできない。オリバンダーが大きな独り言を言っているのか、シンシアに話しかけているのかも判断がつかなかった。

「サクラとドラゴンの心臓の琴線、28センチ。癖はあるが、強力な魔法を使える」

 渡された杖は、手触りが良かった。しかし、シンシアが振るとカウンターの向こうに無造作に積まれた杖の箱が、ガラガラと崩れてしまった。シンシアはオリバンダーに杖を押し付けるように返して、他の杖が壊れたりしてないか、弁償することにならないか戦々恐々としていた。
 オリバンダーは慣れたように自分の杖を一振りして元に戻すと、次の杖を探しに行ってしまった。二本目にしてシンシアは心労がとんでもないことになっており、父親に縋るような視線を送るが、父親はこればっかりは仕方がないと肩をすくめるだけだ。

「…もしや……。イトスギとユニコーンのたてがみの毛、32センチ。癒しの力がある」

 恐る恐る杖を握る。とても高級感のある持ち手のデザインで、母親が好きそうだとシンシアは思った。振ると、なんとなく予想はしていたが、店中の窓や扉がバタバタと開いたり閉じたりを繰り返して、ダイアゴン横丁の喧騒から隔離された静かな店内が騒がしくなった。
 それからシンシアは、トネリコやクリ、ヨーロッパナラ、ハシバミなどの杖を試したが、どれも合わずにおかしなことばかり起こって、その度に父親やオリバンダーが後処理に追われた。

「私に合う杖なんてあるのかな…」
「大丈夫、杖は合う合わないが激しいから、自分にぴったりの唯一無二が見つかるまで、大体こうなるんだ。シンシアは気にせず、根気強く試せば良い」

 気苦労のせいでぐったり疲れたし、あまりにも杖が見つからないので肩を落とすシンシアに、後ろで見守っていた父親が背中をそっとさすって励ましてくれる。今までは早く杖を手に入れたいとワクワクしていたのに、こんなにも気分が沈むことになるとは思ってもみなかった。

「ナシとユニコーンのたてがみ、24センチ。しなりが強く、素早く反応する」

 差し出されたのはシンシアの髪とよく似た明るい茶色の杖だ。持ち手の部分が少し膨らんでいて軽く握ると、しっくりくる太さだった。杖はまっすぐで、今までの杖より少し短い。全体がニスで艶やかだがベタつくことなくさらさらしていて、持ち手と杖先を隔てるところには優しい金色で縁取られた黒の装飾が付いており、よく見ると何やら模様が刻まれている。紋様は花や蔦、鳥などの動植物で、シンシアは可愛らしい杖だな、と思った。
 しっかり握って今までのように振ってみると、体の芯がじんわりと温かくなるような感覚がして、杖先から色とりどりの花がひらひらと舞い、それが床につくと同時に花弁と同じ色の小鳥に変わった。

「ブラボー!これほどの魔法を見せてくれるとは、余程相性が良いのでしょう」
「綺麗…」
「ナシの木は闇の魔法使いが持っていたことは一度もない善良な木材で、最も弾力性があるため何年も使用しても美しさを保ちます。そして、心が温かく寛大で、賢い魔法使いが持って、初めて最大限の力を発揮する木でもあります」
「あー、はい。頑張ります…」

 ナシの木の杖というのは、使いこなすにはとんでもなくハードルが高いらしい。折角ようやく合う杖を見つけて、初めての綺麗な魔法に感動していたというのに、その高揚した気持ちが穴の空いた風船のように急速に萎んでいく。シンシアは自分を優しく勤勉だとは思わないし、賢いとも思わない。母親に勉強を強制された時のような窮屈な気持ちになって、微妙な気持ちになりながら杖の入った箱を抱えた。
 オリバンダーの店を出ると、夏なので外はまだ明るいが随分親子連れが減ったように思う。そろそろ家に帰って夕食の支度の時間だからだろうか。それだけシンシアの杖選びは時間がかかったと突きつけられたようで、先程より歩きやすい道に少しも嬉しさはなかった。

「必要なものは全部買えたし、杖と小物以外は配送の手続きも済んでる。そろそろ漏れ鍋に戻って、ママとレイヴィスを待とう」
「うん…。少し疲れたから、お茶を飲んで休みたい」
「まだディナーには早いから、休む時間は十分にあるよ」

 シンシアは漏れ鍋に戻って、父が注文してきてくれるのを荷物番をしながら席で待つ。椅子に座ると、お行儀が悪いがテーブルに肘をついて、ぐったりと頭を乗せる。薬問屋の変な匂いなんか序の口で、ペットショップで具合が悪くなったり、オリバンダーの店では杖選びが難航し、身も心もクタクタである。あんなに楽しみにしていた外出だが、普段こういう機会がないからか、とにかく疲れて早く家に帰りたい。でも、この後は滅多にない家族でのお出かけ、ディナーが待っている。ここでお茶を飲んで、エネルギーを回復しなければならない。
 父親を待つ間、手持ち無沙汰で杖の箱を開ける。やっぱり、とても素敵な杖だ。素敵な杖だからこそ、自分が釣り合わないと感じて息が苦しくなる。握ったり、魔力を込めずに振ってみたり、手の中で転がして遊ぶ。

「杖が気に入ったんだね」
「うん、とても素敵な杖だと思う。私にはもったいないくらい」
「これはパパの経験談だけど、杖は使えば使うほど馴染んでいくんだ。人と同じで、初めましてだとお互い気を遣ったりどうするのが正解か分からない。でも、一緒に学んで、色々なことを試す中で、唯一無二のパートナーになるんだよ」
「私もいつかこの杖にふさわしい魔女になれるってこと?」
「シンシアはまだスタートラインに立ったばかりだよ。これからホグワーツでお友達を作ったり、勉強したり色々なことを経験していくんだ。ゴールばかり見ていたら、身近な大切なことを見落としてしまうから、今を頑張ればおのずと見えてくるよ」
「よく分かんないけど、分かった」

 ソーサーには、ジャムクッキーが二枚置かれていた。サクサクして甘いそれを口に放り込んで、温かい紅茶に口をつける。シンシアはころっと機嫌を直してリラックスした様子を見せる。それに父親が、まだまだ子供で単純だと温かい目で微笑んでるなんて、お子ちゃまで視野が狭いシンシアは気付くことはなかった。

「パパ!」

 レイヴィスが小走りで駆け寄ってきて、シンシアの向かいの父親の隣に座った。煙突飛行でくるはずなのに、ダイアゴン横丁の方から来たことに、シンシアはうろんな視線を向ける。

「またクィディッチショップを見てたんでしょう。どうやってママを説得したの」
「今日の勉強を頑張ったご褒美だよ。シンシアと違って何も買ってもらってないんだし、それくらい良いじゃないか」

 少し遅れて、上品なローブに身を包んだ母もやってきた。父親とよく似たネイビーで、合わせているのがわかる。そういえば、レイヴィスのズボンや小物もネイビーであり、こうして見ると白と水色のギンガムチェックのサマードレスを着たシンシアは少し浮いているかもしれない。
 このサマードレスもヘアピンもお気に入りだが、家族で揃えるならそう言って欲しかった。なんとなく感じている家族なのに仲間外れにされているような疎外感は、寂しいが慣れてしまったというか、半ば諦めている。シンシアにはどうすることもできないし、母親の厳しさも愛情の裏返し、父のどこか距離を感じてしまうのも優しく良くしてもらっている、と無理やり納得させる。レイヴィスと比べてしまうこともあるが、ヤキモチを焼いても何も変わらないことを、シンシアは分かっていた。

「ねえ、どんな杖にしたの!?」
「選んだというより、選ばれた?って感じだけど、これだよ」
「なんか小さいし模様とか女子っぽい、シンシアはこういうの好きじゃん」
「まあ、好きだけどさ。これに決まるまでもの凄い時間がかかったんだから!」

 レイヴィスがグイグイくるので、シンシアのネガティブな考えは中断された。杖を選ぶ大変さを、二年後に同じことになるであろうレイヴィスに忠告しておいた方が良いだろう。シンシアはついさっき、夢を見すぎて痛い目に遭ったところなのだから。

「良いなぁー、俺も早く自分の杖が欲しい」
「ちょっとレイヴィス、今の私の話聞いてた?本当に大変だったんだから!」
「シンシア、そこまで。そろそろディナーに行こう」

 ムッとしてしまったが、レイヴィスのおかげでネガティブから抜け出せたし、いつもの調子を取り戻せた。シンシアは出かける時と同じ、胸を弾ませてレストランに向かった。漏れ鍋からイングランド南東部の沿岸のブライトンへ姿現しで移動した。ブライトンはイギリスの海辺のリゾート地で、いろいろなお店があって賑わっている。
 ミスルトゥという白い外観のレストランで、窓のサッシには色とりどりの花が飾られ、ドアノッカーはお店の名前らしくヤドリギがモチーフになっており、とても高級感のあるお店のようだった。ウェイトレスに迎えられ、奥の庭の席へ案内される。

「どうぞごゆるりとお寛ぎください」
「それじゃあ、シンシアのホグワーツ入学を祝して、乾杯」

 乾杯の後、上品なディナーを食べた。学校に入学する年齢のシンシアはまだしも、まだ10歳にもなっていないレイヴィスも、高級感のあるレストランに気後れすることがなかったのは、意外とマナーにうるさい母の教育のおかげだろう。母は所作がとても綺麗で、マナー違反をすると物凄い不快そうな顔で見てくるのだ。そんな中で生活するシンシアとレイヴィスの所作は自然と洗練されたものとなっており、こういった格式高い場ではいかにも両家の息女、子息に見えることだろう。
 食事中は魔法の勉強のことや、ホグワーツについての話題が多かった。どんな教科があるのか、ホグワーツの寮生や学校内のイベントなどの様子などを、ホグワーツ出身の母から聞き出した。両親の杖の素材を聞いたり、レイヴィスの杖はどんなものか予想したり。母親はあまり多くを語らないタイプだが、子供たちの熱心な質問に渋々回答しているようだった。しかし、ダームストラング出身の父親が、母親の想像以上に楽しげに聞いていることに気付いてからは、ぽつりぽつりと思い出話しもこぼすようになった。
 いつもは会話が少なくぎこちない家族だが、この日ばかりは自然で温かな家族に見えたはずだ。

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