October

どうせ誓いは破れるけれど//田中琴葉
「琴葉ちゃんのお休みって、次はいつなの?」
私のお隣に住む、年上の可愛い人。私が思い慕う、素敵な女の子。それが、今現在芸能界を駆け回っている田中琴葉さん。
「どうだろ。最近リリースしたCDの宣伝があるから、いつかはわからないなあ。そんなこと聞いてどうするの? もしも出かけたい所があるなら、プロデューサーに休み貰ってくるのもできると思うけど……」
行きたい所、というのは何処にもない。琴葉ちゃんの隣にいられるだけでいいのだ。琴葉ちゃんが私を見てくれて、触れてくれて、私を愛してくれれば、それだけで世界は回る。
「特別行きたい所があるわけじゃないから、大丈夫だよ。お仕事頑張って欲しいし。今日みたいに家でごろごろするだけで充分」
「そう。行きたい場所があったら言ってね。なまえと一緒にいると、私もゆっくりできるから、私も誘ってくれると嬉しい」
そうやって、私に甘い言葉をかけてくる琴葉ちゃんは、ずるい女の子だ。私の隣が居心地がいいと言われているように思えて、私の隣にいたいと言われているみたいで、どきどきしてしまう。こんなにもうるさい心臓の音を琴葉ちゃんにも聞いてほしい。どくんどくんと、琴葉ちゃんのことを思いながら脈打つこの音を。
「ゆっくりできるなら、なおさら外に出るのは気がひけるよ。休みも少ないからさ、疲れが取れるように、今日は一緒にお昼寝しよ?」
「折角のオフをこんなふうにだらだら過ごすのもどうかと思うんだけどね。なまえがしたいならいいよ。実は私も、ご飯食べてちょっと眠かったんだ」
ああ、可愛い。すごくすごくかわいくて、どきどきしちゃう。私が男の子だったら食べっちゃってたのかも、なんて。嘘に決まっているけど。
「これから先も、ずっとずっとずうっと、一緒にいられるといいね。琴葉ちゃんがすっごい芸能人になってもさ」
わたあめみたいなお布団と琴葉ちゃんに包まれながら、叶わない願いを口にする。ふわふわとした気持ちでいてくれたなら、明日には忘れちゃってくれてるのだろうか。そうだといいな。
「友情はそう簡単に消えないわ。仕事が忙しくなっても、絶対に会いに来るから。なまえは、私にとってのいちばん大切な人なんだから」
お友達はずっとずっと続く。変に喧嘩して変に意地を張らないで、適度に連絡を取り合えば、一生続いていくのだ。私が望む関係がそれじゃないとしても、ずっとずっと続いていく。好きだって言葉を言わなければ、変わらないのだ。


ブリキの太陽の昇る国//島原エレナ
エレナは、私の笑顔を太陽だと言った。きらきらと空に浮かび、世界中を照らすような笑顔だと。アイドルにとって、そういう表情っていうものは必要不可欠なものだとは私も思うけど、多分その言葉は私以上にエレナのほうが似合う。私に当てはまるような言葉ではない、と思っているのだ。エレナの笑顔のほうが、生まれたブラジルの国みたいに明るくて、誰かのことを幸せにできるようなものなのだろうと。
「エレナ、今日のレッスンは新曲の練習しない? ちょっとだけ聞かせてもらったんだけど、すごくライブが楽しみになっちゃってさ!」
私は、エレナに会うときはひどく緊張をする。なんというか、気が引き締まるというか、嘘を付きづらくなるのだ。その理由は、はっきりとしているわけじゃないが、きっとエレナの笑顔の眩しさに自分が引け目を感じているんだと前々から考えている。エレナに言われた言葉が、彼女に会う度、頭の中に反響するのだ。
「ウン! いいと思うヨ! CDはあるの?」
「あるよ。ここに。実を言うならばプロデューサーに頼まれてたんだよね、この曲練習しろって」
「オッケ! 着替えてくるネ!」
「いってらっしゃーい」
うまく笑えていただろうか。太陽になりきれない、造り物の笑顔は、その嘘を突き通せていたのだろうか。私は心配で仕方がないんだ。私の嘘がバレていないか。君の心を傷つけていないか。だって、君の笑顔だけが、汚れた世界を輝かせてくれる魔法なのだから。


オペラグラス貸出所//二階堂千鶴
稽古が終わった舞台は、すこしだけ騒がしい。色んな人の声が飛び交って、誰も自分の役割以外気にしない。
「千鶴さん、この部分のエルメスはどんなことを考えていたか教えてくれませんか? 私はわからなくて……」
だから、いつも声をかけづらい千鶴さんにも、質問ができた。やっぱりどきどきしたけど。
「そこは、きっと悲しんでいたのだとわたくしは思いますわよ。原作にもありましたが、彼女は強く握りこぶしを作っていらっしゃったそう。比喩表現が判断しづらい場合もありますが、話の文脈からよく考えるとよろしくてよ」
「なるほど。ありがとうございます! 私、悲しみと怒りの感情の見分けがつかないんです。特に、文字で感情を表しているんじゃなくて、行動が文字になっている場合は本当にこんがらがっちゃって。前に先輩にアドバイスを貰ったことがあるんですけど、人間観察をするといいよって言われて、実践したんですよ。でも余計にわかんなくなっちゃって……」
千鶴さんは、今回の舞台が初主演だそうで、すんごく気合が入っているらしい。私はまだまだひよっこで、千鶴さんに指導されてばかり。千鶴さんとおんなじ事務所の可奈ちゃんと志保ちゃんとは、この前の舞台で仲を深めたけど、二人が言うには千鶴さんは私をそうとう気に入っていると言っていた。二人が嘘をついているわけがないけど、こんなにも叱られているのに、気に入られているとは到底思えない。
「確かに、人の感情を行動から読み取るといったことは少々難しいことかもしれませんね。じっと怒りを堪える人もいれば、すぐに泣いてしまう人だっていますし、人というのはとても様々な感情を持っていて、その表現の仕方もそれぞれですから、わからなかったらわたくしに聞けばいいのですよ。その先の演技に生かすために。もちろん、一度聞いたことはきちんと学ばなくてはいけませんよ」
「め、迷惑じゃないんですか……?」
「わたくしの時間は割かれてしまいますが、その分この舞台の完成度があがるのならば、そんなこと気にしませんわ。わたくしは、あなたに素晴らしい演技をしてほしいのです。このステージが、これからのわたくしの俳優人生を決めるんですから」
鏡に向き合っていた千鶴さんは、くるりと後ろの私と顔を合わせる。舞台は化粧も表現の一種だから、演じるキャラクターに合わせた化粧をする。だから、舞台で見る千鶴さんとは違う、素顔の瞳に見つめられてしまった私は、一瞬だけ思考が止まってしまった。
「は、はい! 千鶴さんの舞台に泥を塗らないように頑張ります!!」
「別に、わたくしのためだけに頑張る必要はないのですが……まあ、なまえさんはとても勤勉な方ですから、人に頼ることを覚えれば、もっと伸びると、私は思いますよ」
何も飾らない千鶴さんの笑顔は、舞台の上で見る笑顔とはまた違くて、私はときめく。千鶴さんの新たな一面が見れたことが、とても嬉しい。
「……ありがとう、ございます!」
「いい返事ですね。これからの成長、期待していますよ」


われわれが衛星を失う日//我那覇響
ベットがぎしりと音を立てる。シングルベッドにふたりは、やはり狭いものだ。電気を消した真っ暗な世界は、まるで宇宙のよう。目の前にいる響しか見えなかった。直ぐ側に、ほんの数センチしか私たちの空白はないから、私の耳には心臓の音が響いてくる。響にも私の音は聞こえているのだろうか。なんだか、自分の心臓の音が聞かれていると思うと、恥ずかしくなってくる。いつも気にしないでいるのに、そんな気持ちを抱いてしまうのは、世界に二人きりしかいないような気分に浸っているからなのだろうか。
「今日ってオリオン座流星群なんだって」
「ふ〜ん、みたいの?」
「ううん。なまえとここにいたい」
「私も、星なんてどうでもいいや」
「二人だけでいれば、何も怖くないもんね。星なんてなくても、こんな暗闇の中でだって、きらきら光って見えてくるよ」
「響は案外ロマンチストだね。確かに、私もそう思ってるけど」
「でしょ? 自分たち以外なんて、なにもいらないんだよ」
私たちは、こんなにも近くにいる。生きているという証である鼓動さえ鮮明に聞こえるのに、私たちはこの思いを共有することが出来ずにいるのが、とても寂しく思えた。何をしたって、どんな言葉を口にしたって、それが本心だって証拠はないんだ。それが、私にとっては怖くて怖くてしかたがなかった。本当は私しか響のことを好きじゃないのかもしれないって、私しかこの永遠を信じていないのかもしれないって、ずっとずっと頭の片隅に残り続けるのだ。信じることしか出来ないことが、ひどく憎らしく感じた。