July

小鳥になりたくなったらおいで//木下ひなた
「なまえねえちゃんも出ていっちまうのかい?」
「うん。ここいらじゃ農家になるぐらいしか道はないからね」
「そうかい。東京行っても、私は応援してるからさ」
 半年前、従兄弟の木下ひなたは、そう言って上京する私を見送った。私よりも六歳年下で、その瞳は世界をまだまだ知らなかった。
 それでいて、私もまだまだ世界のことを知らなかった。上京して仕事を見つけようとしたものの、資格なんて何一つ持っていない私は右往左往して、結局ごくごく普通の、地元でも同じような会社がありそうな職に就いたのだ。
 今日は夏季休暇をもらったから、地元に帰ってきた。昔の私と、ひなたのいる、この場所に。
「おかえり、なまえねえちゃん」
 変わらない姿のひなた。いや、私のいない少しの間に背も伸びて顔つきも大人っぽくなっているけれども、まとっている雰囲気は半年前と同じなのだ。だからなんとなく、挨拶がしにくい。自分は変わらずにいられるのだろうかと思うと、声が上ずる。
「ひ、ひなた……ただいま」
「東京はどんな感じだい?」
いつもどおり。変に気取らないで……そうやって自然体を装っても、隠しきれない何かがあるのかもしれない。ひなたが私のそういう部分に触れてくれないことを祈って、少しの愚痴を漏らす。
「うん。ここより全然空気が悪いよ。ひなたみたいな子はここにいたほうがいい気もするくらい。夜は日が沈んでないんじゃないかってくらいに、どこもかしこも明るくて、もう参っちゃう。あと、電車の音がすごくうるさい気もする。ここじゃカエルと虫の声しか夜中は聞かなかったから、変な感じがするよ」
「あれまあ、ずいぶんこことは違うんだね。お仕事の方はどうなんだい?」
「あ〜まあまあ、って感じ。可もなく不可もなく、普通に仕事してるよ」
「そうかい。なまえねえちゃんが元気そうでよかったよ」
柔らかくはにかむひなたを見ると、心が落ち着く。それでいて、上京した話はこれで終わらせられるんだと思うと、長く息を吐いていた。
「うん。ありがとう。ひなたは最近は?」
「特に変わりはないね。学校も楽しいよ」
「そっか。勉強頑張ってね」
「うん。なまえねえちゃんも東京でたくさん頑張ったんよな。大変だと思うけど、きっとなまえねえちゃんが頑張ってることを知ってる人はいると思うよ。私はここで応援してるからね」
その言葉をずっと言ってほしかった。半年前にこの場所で、ひなたから聞いた言葉。やさしくて、あまくて、私の心にゆっくりと溶けていく。ひなたが待っていてくれるから、この場所に帰ってこられる。ひなたが応援してくれるから、また頑張ろうと思える。
「ありがと……また、くるね」

くちづけには長すぎる//三浦あずさ
あずささんとお話をする時は、いつもどきどきする。あずささんの柔らかい髪が揺れるたび、赤い唇が動くたび、瞳が私を見つめるたびに、胸の鼓動が強くなる。
「なまえちゃん、今日も頑張りましょうね」
「は、はい! よろしくおねがいします!」
一言、私の名前を呼ぶ、少しの時間の会話だけでも、私の心臓は止まっちゃうんじゃないかってぐらいにどきどきしてる。好きって気持ちが溢れてくる。
今日のお仕事はバラエティ番組の撮影。そんなに面白いことを言える自信がないから、せいぜいきちんとした返しをできるように頭の回転を早くしようとチョコを食べようと思った。甘いものは脳にいいからって、雪歩が言ってたんだよね。
「あら、なまえちゃん、そのチョコわたしももらっていいかしら?」
「ど、どうぞ!!」
大袋に入った個装のチョコをあずささんの差し出した手のひらにいっぱい乗せる。少なすぎる、かな?
「ぜんぜん! この、袋に入ってるの食べてもらっていいんで! なんなら全部!」
「そんなに食べたら肌が荒れちゃうわ。お言葉だけもらっておくわね」
「すみません……」
袋に少しづつ返されていくチョコ。なんだか私の好きみたいだ。気付かれないようにって思って、少し優しく、少し甘えたりしたいのに、気持ちが溢れてどんどん失敗してしまう。あずささんが優しく、溢れ出た好きを私の中に戻してくれる。そういう日常。
いつもよりもほんの少し長い会話。時たまある、あずささんとのやり取り。そのすべてが、私をどきどきさせる。

死んだ星を忘れないため//舞浜歩
「歩はアイドルで好きなことやれてる?」
なんとなく気になったことを口に出してみる。歩は毎日を楽しそうに、精一杯過ごしているからずっと聞いてみたかったのだ。
「急に変なこと言うんだな。ダンスが踊れてる時点で、アタシは満足だよ」
「そー。いいね」
そっけない返事になってしまったかもしれない。そう思っても、口に出した言葉は音に変わり、歩の耳へと届く。取り消し機能があればいいのに。
「なんだよ。なまえはできないこととかあるの? アイドルって、結構万能っていうか、なんでもできるし感じするけどな」
「うん。私先生になりたかったから」
「あ〜そういうのは無理か……でも、なんで先生になりたかったのにこの事務所に入ったの?」
「それは、スカウトされたから。どうせ売れないだろうし、だらだら勉強するよりはマシかなって。今は全然違うけどね」
そう、今は違う。今はアイドルが楽しくて、わくわくして、ほかの何にも変えられないぐらい、大切なのだ。
「先生になりたいのにそんなこと考えてたのかよ〜」
「勉強は嫌いだけど、好きな先生はいたから。優しくて、私にいろんなことを教えてくれた人。この前ライブに来てくれたんだ」
「へー! いいな! そんときはすごく嬉しかったんじゃないの?」
「うん。私の一番の夢は叶わないけど、私が一番楽しめる場所はここかなって言ったら、精一杯頑張りなさいよって。もう頑張ってるつうの」
「よかったな。それで、夢は諦めたのか?」
諦めるってどんな状態なんだろう。今からなれるかって言われたら、少し考え込んでしまう。でも、ステージに立つ私と、教壇に立つ私、そのふたつが、私の頭の中にはずっとある。ずっと消えないままでいる。叶わないかもしれないけど、少しだけ高くなったあの場所から、なつかしい教室を眺めてみたい気持ちもあるのだ。
「うーん。これから先も、アイドルはやるつもりだけど、もしもこの場所に立てなくなったら、いつの日か教壇に経つ、かも」
「ま、アタシもアイドルできなくなったら、きっとダンサーやってると思うからな。みんなおんなじだよ」
「うん。今はアイドル、楽しもうね」

いつでもないいつかの星図//伊吹翼
「ねえねえ、なまえさんって、てんもんがく部?なんですよね?」
彼女は伊吹翼。現役中学生。私と同じアイドルで、主にビジュアル系のモデルとかのお仕事を多くもらっている子。おんなじ事務所だけど、お仕事が被ることが少ないから、あまり話したことはない。
「うん、一応そうだけど、今は忙しいから活動してないよ。どうかしたの?」
「今度のライブで、美奈子さんとのり子さんと一緒にリブラってユニットを組むことになったんです。でもリブラって何なんだろうな〜って思って、てんもんがく部のなまえさんに。星がテーマの公演だから、きっと知ってるんだろうなって思ったんですよ」
リブラ、とはてんびん座のことだろうか。夏の夜空に見える。
「あ〜そうだね、次のテーマは星座だった。リブラは日本語でてんびん座だよ」
「え〜わたししし座なんですけど〜! プロデューサーってばそういうところ配慮してくれないんだ〜!」
「まあまあ。翼にはリブラが一番いいと思って配役してるんだよ」
そうそう。あんまり配役の星座とか気にしてなかったけど。きっとプロデューサーは細いことまで凝る人だから色々考えて当てはめてくれたんだよ。
「え〜そうですか?」
「うん。きっと私よりもプロデューサーの方が翼のことをよく知ってるよ。当たり前だけどね」
「……でも、なまえさんしか知らないわたしもいますよ。な〜んて!」
そういって、大人っぽい表情から、いたずらっぽい顔をした翼に、私はドキドキしていた。翼はずるい女の子だ。
「つ、翼、からかわないでよ!」
「からかってないも〜ん!」