櫻「ちょっとじゃん。いいじゃん」
"足が痛い、"
電話越しに聞こえるざわつきだけで、その場の熱や雰囲気が伝わる。外は随分暑苦しいだろうに、その上人集りに入るなど考えただけで息苦しい。それでも、帰り際でも声が明るい名前を若いなと思った。そして、きっと小野は少し無理をしたんじゃないか、とも思った。
櫻「楽しかった?」
"うん。すごく"
櫻「そうですか」
"あ、お土産に金魚とかないよ?"
櫻「うん、いらねえわ」
"えー可愛かったのにい"
まあ、それくらい彼女を喜ばせたかったんだろう。多少の無理を強いてでも、なんてあいつも健気なやつだなと少し同情する。
櫻「もう小野とは一緒じゃないの?」
"先ほど解散したところ"
櫻「そっか」
"明日早いから、送らなくていいよって言った"
櫻「え、おまえどうやって帰ってるの」
"タクシーですいっと帰る"
櫻「おーリッチー」
"だって歩くのは無理。痛いもん"
限界だ、と嘆く名前はきっとそんな男事情やおじさん事情を知るわけもなく、今頃下駄をカラカラと鳴らしながら歩いているのだろう。暑い、浴衣は着るもんじゃない、とか夏に楯突きながら、団扇で顔をあおぐその姿は多分それなりに様になっているんだろうなと、なんとなく想像がつく。
"と、いうことで写真の私を楽しんで。私は直帰します"
櫻「・・・、ぁいー」
"え、なにその返事"
櫻「あいあいー、」
"・・、名前ーー?"
櫻「ん?」
"?わ、でぃー!"
"良かったー、まだいた"
冷房が効きすぎる夜更け前。ぴりっと肌が感じたのは、きっと浸かりきったぬるま湯のような会話に、急に混ざりこんだ冷水のせい。小野の声は随分と優しく、俺の耳にまで届く。誰得なんだと突っかかったところで、この温度差を逆転させる手立てが、どこかにあるわけではない。
"電話してた?"
"うん。さっくんが花火どうだったかって"
"櫻井さんかー。相変わらず心配性だねえ"
"うんー。もうおじさんだから"
"おじさんにしたら随分かっこいいけどね"
"洒落ついてるだけ"
"言い方、"
"ほんとだよ?で、でぃーはどうかしたの?"
"あ、いや大したことじゃないんだけど"
"ん?"
"これ。忘れてた"
"・・・?わ、なにこれ綺麗"
"ご褒美もらったお返し。じゃあねっ、"
櫻「・・・」
電話口から聞こえる数少ない情報だけでも分かることがある。これがよくある少女漫画のワンシーンのようなことだとか、小野に対して信頼しきった話し口調の名前の声だとか、小野の、少し切れた息とか。全部が全部、淡くて優しい色をしている。颯爽とフェイドアウトしていく小野の声だって、最後まで色味がついたまま。
"・・・ごめーん。さっくんまだ繋がってる?"
いつまでも喧騒を担うセミの鳴き声は、いつからやけに大人しくなったのか。彼女の手に乗った何かに、みんな気が惹かれているわけじゃないだろうに。
櫻「、やっぱ家来て」
"え?"
櫻「鍵、開けとく」
一方的に電話を切った。あたふたとした彼女を想像しながら携帯を閉じた。妙にリアルに浮かんだ情景は、名前に会うことで、単純に、払拭できる気がした。ただ単に、自己満足だ。