02


朝。霞んだ視界が天井を捉えた。その後に隣にあった温もりが消えていることに気づく。

「…わ最悪」

昨夜には居たはず、と考えながら痛む身体を起こして散らばった衣服を身に付けた。11:13ーー昼間とも取れる時間である。下はきっともう店で忙しいだろうが、きっと赤葦とクロがどうにかしているのだろう。とりあえずシャワーを浴びなければ、と着替えを出して部屋を出る。

「…あ、」
「…おはようございます」
「おは、よ」
「今日シフトじゃなかったですっけ?」
「まあ、…見ての通りだよね」
「…大体わかりはします」

出た先の廊下でばったりとツッキーに会う。2人が妙にぎこちないのは、きっといまのわたしの格好のせいだ。言えば、同じ屋根の下にいる時点でそういうことは仕方ないのだが。

「はは、ということでシャワー浴びてきまーす」
「…早くした方がいいですよ。黒尾さんも頭に青筋立ってるだろうし、赤葦さんからも小言絶対言われます」
「やばい、容易に想像つく…」
「まあ僕も今日の依頼の準備が忙しいので」
「おーおつかれ、」
「人のこと言ってる場合じゃないですケドね、紫那さん」

月島蛍ーーなんとも言い難いいい性格をした彼はこの中では1番年下である。しかし相当頭のきれるために自分が年上と感じた事はあまりなかった。主な役割はハッキングや毒薬製作。故か、共に現場に出ることは少ないが、実戦も卒なくこなしてしまうところに彼の余念の無さが見える。

「今日は木兎さんですか、」
「え?」
「昨日任務同じでしたからね」
「あー、…そうだけど」
「まあオレには関係ないけど」
「、?」

メガネくん、とクロや木兎が呼ぶと彼は露骨にイヤな顔をする。だが黒縁のメガネは確かにトレードマークであった。その、メガネの奥に潜む目が静かにこちらを見て、薄い口が開く。

「その匂い、あんま気に食わないです」

早くシャワー浴びてください。
それだけ言ってツッキーは部屋に戻ってしまう。

「…す、すいま、せん」

そういった廊下には、もうわたししかいないのだが。


▽▽▽


「おはよう!そしてごめんなさい」
黒「!紫那遅いぞ!」
赤「随分な社長出勤、」
「開店時間過ぎに目が覚めたの。…スミマセン」
黒「ったく。叩き起こしにいこうかと思ってたわ」
「かたじけないデス」
赤「とりあえず紫那、それお願い」
「あ、はーい。窓のテーブル席?」
赤「そ」

騒がしいカフェは、自分との温度差を強く押し付けてくる。案の定クロからもらった小言を平謝りで返して、赤葦の作る趣味のいいランチを運んだ。昨夜とはあまりにも掛け離れた世界は、平和というよりマヌケな気がして、私はずっと好きになれない。

「赤葦なんでもできるよね」
赤「どうしたのいきなり」
「いや、朝からツッキーと会って頭いいけど体術も上手いよなあって考えてたから」
赤「紫那が極端に頭が弱いだけでしょ」
「ええっ」
赤「本能タイプでしょ、紫那。木兎さんと同じ」
「木兎と一緒はやだ」
赤「…とか言って今日誰と過ごしてたから寝坊したの」
「それ触れてはいけないヤツ」

今日も店内は慌ただしく、人々は憩いの場としてここに集まっていた。女友達で足を運ぶもの、高校生であろうカップル、取引中であろう接待客。全部が全部、普通だ。クロの提案で開いた、この街の小さな情報を掴みやすくするための"The Secret"はとても上手くいっている。

黒「赤葦が考えたランチ、好評だな」
赤「みたいですね」
「わたしも食べてみたい」
黒「寝坊したくせによく言うぜ」
「だからその分働いてるでしょう」
赤「お客さん減ってきたらいいけど」
「やった、赤葦優しー」

足を運んだ誰もが、きっとわたしたちの本職を知らない。みんな太陽に照らされて生きることを許されているように笑って、当たり前のように生きている。でも、それはなんとなく程遠い別な者でしかなくて、その距離はだれにも測れない。

「…紫那、」
「、ん?」
「食べないの」
「あ、食べる。ごめん」

ピークを過ぎた店内は、段々と静かになっていた。どこからか用意してくれていたらしい赤葦がまかないを作っていて、向かい合うようにしてカウンターに座る。柔らかい髪質が光に照らされて、細く線を映していた。

「うん…美味しい」
「それはどーも」
「どこで身につけたのそのスキル。なんかずるい」
「紫那もやれば出来ると思うけど。まあ、そんな爪じゃできないね」
「それは、…そうかも」

整えられた爪は私の自慢の1つであった。季節や気分によって変えられるこれは、所詮女である事の誇張でしかないのだが、それでも綺麗なものに惚れる女の性。これを崩すくらいなら料理はお預けだと諦めがついてしまう程度には、整えた自爪は嫌いじゃない。

「まあ、赤葦が作ってくれれば困らないしいいか」
赤「なにそれ結局?」
「うん。結局、」
黒「なに話してんだ?」
赤「あ、おつかれさまです」
「赤葦の料理美味しいってはなし」
黒「結局作ってもらったのか?」
「うん。美味しいよ」
黒「へえ。俺も一口ちょうだい」
「ん、…はい」

先ほどまで口にしていたサンドイッチを指さして、こちらにくれと促される。はいはい、と口に運べば、大きなクロの口の中にサンドイッチは吸い込まれていってしまう。

黒「んーうまっ」
「でしょう?」
赤「…紫那からあーんして欲しかっただけでしょ、」
黒「わるいか?」
「なにそれ。にしては食べすぎじゃない?一気に減ったし」
黒「まあまあ、気にしねーの」

クロの口端がにやりと右に上がって、そのまま大きな手を頭に乗せられる。折角の昼ごはんを盗られたのは気に食わないのだが、先ほどまでの怒りはもうなくなったようなのでとりあえず安心した。同時に、安い男だとも平行に思うが。

黒「じゃあ、紫那いくぞ」
「え?」
黒「情報屋。今日って言ってなかったっけ?」
「うそ…。お休みかと思ったのに」
黒「んなわけ。ほら、支度してさっさと行くぞ」
「あの人たち面倒くさいのに。はあ…」
黒「お前連れてこねえと、あいつらうっせーんだよ」
赤「及川徹、ですっけ?」

名前を聞いて、ああそういえば、と今週頭に言われていたことを思い出した。彼らはピカイチの情報屋であるが、会う度にいつもカマをかけてくる、面倒くさい人々でもある。会うとなると、足取りは妙に重い。

黒「そうそう。正しくいえばSEIJOだな。結構大きなグループだかんなー。その中の取締り的存在は、その及川ってやつだけど。」
「及川さん、何考えてるかわかんないから怖い…」
黒「今日は及川と花巻と、もう一人来るらしい。いつも及川を管理してる岩泉いねーから、心していくように」
「最悪、はじめさんだけ話通じるって思っていたのに」

とは言え断ることなどできるわけがない。第一、今日はクロが同行なので悪いことは起きない。木兎やツッキーと行くといつも話にならないが、うちのリーダー格なら大体向こうも真面目に駒を進めてくれる、はずだ。結局のところ、いつも最終的に頼れるクロ、であるのだ。

「クロ頼むよ?」
黒「おー、何かあったらまかせろ」
「さすが。じゃあ着替えるね」
黒「いそげよー、」

ちなみにクロと出会う以前の私の記憶はない。


ーーー
(なんかこう、)
(はい?)
(頼られるってグッとくるな)
(…まあ、そうですね)
(だよな。男の本能がこう、クる)
(わからなくもないです)

こっそり紫那がいなくなった後の話。

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