傷つけない弾丸



その後ろ姿に巳弦も思わず笑みを零し、三の丸の狭間を尋ねる。

「皆さん、本日は丸部隊から昼餉を食べに行ってください。正方形部隊、三角部隊と順にお願いします。」
「あの、巳弦様。」

おずおずと声を掛けてきた男性の傍に腰を下ろした巳弦に、居住まいを正した男性は数刻前には具合が悪くなって三角部隊と正方形部隊に欠人がいると言う。丸部隊が穴を埋めてくれていたそうだ。

「……そうですか、後で様子を見に行かないといけませんね。では、有志で構いませんので二名残って下さい。残りの穴は私が埋めましょう。」
「い、いいのですか!?」
「勿論です。私程度の実力ですが、多少はお役に立ちましょう。」
「そんな!助かります!」
「ならば、良いのです。」

立て掛けられた鉄砲を掴んだ巳弦は空いた狭間から城外を狙う。銃口に火薬と弾丸をかるかで押し込み、火皿に点火薬を入れる。火縄に火をつけて火鋏を挟んだ。
すい、と構えた巳弦の姿に鉄砲隊は思わず動きを止めた。手馴れた動きで、恐らく誰よりも早く装填した彼女は、四郎と同じ月よりも濃厚な金色の瞳を細く鋭く尖らせる。瞳の奥に佇むのは冷たさではなく、常に見せる慈愛であった。

巳弦の目には、遠く遠くまではっきりと見えていた。きゅっと視神経を締めて顔、心臓………そして、その人物が持つ鉄砲に焦点をあてる。煙で悪くなる視界、相手が狙いを定めるために揺れる銃身。

――それでも、巳弦の銃口は微動だにしなかった。指先が引き金に掛かり、迷いない動作で撃鉄を起こす。耳を劈く爆発音、広がる火薬の匂い。まるで気にしないかなように、ふわりと舞った艶やかな黒髪の隙間から同じ場所を見ていた。

巳弦の放った弾丸は空を切り、狙い通りの軌道を描く。標的は一人の幕府軍―――ではなく、その男の持っていた鉄砲。重い音を打ち鳴らし鉄砲に着弾するや否や、握っていた手まで届いた衝撃に男は思わず取り落とした。驚愕に開く瞳が捉えたのは、先程まで火を吹いていたはずの鉄砲。その銃身には、火皿を破壊して貫通した穴が生まれていた。恐らく三の丸から撃たれたであろうこの弾丸は、恐ろしいほど正確に鉄砲を無力化するために有力な火皿とその奥の銃身、位置から察するに火薬と弾丸を詰める所を狙っていたのだろう。火皿が壊れれば使えないし、更に言えばこれでは火薬と弾丸詰めても仕方ない。その一発は、男が戦意を喪失させるには十分過ぎるものだった。

そんな男の姿に慈愛の笑みを浮かべたまま、次弾の装填を手早く済ませ、巳弦はただ只管に鉄砲や刀だけを狙い尽くした。ひとだび放たれれば、銃弾は吸い寄せられるように武器を打ち抜き、破壊させる。心臓を狙えば、きっと幕府など恐るるに足らないのに。

鉄砲隊には、その姿が酷く美しく、高潔な人であると表しているように見えた。


・・・


鉄砲隊の全員が昼餉を食べ終えたと報告され、狭間からどいて鉄砲も元の場所に戻す。

「揃ったようですので、私は一度具合が悪くなった方々の様子を見てきます。この場は引き続きお願いしますね。皆さんに主の良きお導きがあることを祈っております。」
「ありがとうございます、巳弦様!」
「もしまた人手が足りないようでしたらお声掛けください。武器しか狙えませんが、負担を減らせるとは思いますから。」

そう伝えて、三の丸の一室を訪ねた。具合が悪くなったとは聞いたが、直接見に行かねば状況は分からない。まして、本丸や天草丸、出丸といくつもあったとしても、閉鎖空間に等しいので早めの処置は欠かせないのだ。中には二人の女性が看病している。

「巳弦様!?」
「三の丸の鉄砲隊の方に聞いて参りました。…………ふむ、皆さん風邪でしょう。疲れたことで免疫力が下がったと見るべきですね。」
「何ともないんですね!?」
「はい。大きな病気ではありませんよ。私も軽く治しますが、一番は安静にして身体に優しいものを食べること。そうすれば数日以内に治りますから、心配いりませんよ。登米さんに頼んでおきますね。」

数名の顔を見渡した巳弦はその理由をすぐに言い当てて見せた。冬の寒い時期なので、なるべく温かい服装をと呼びかけても、そもそもそういった服を持ってない人が殆どだったため薄着で動いていたのだろう。
ひとりひとりに一番簡単で軽いものではあるが治癒を施していく。これで明日には元気になるだろう。少し休んで貰うが、復帰に時間はかかるまい。巳弦は部屋に居た二人の衛生面に気をつけ、自分たちの体調にも気を使うよう告げて、私室へ戻った。

子供たちの元気な声が私室から聞こえ、顔を綻ばせた巳弦は襖を開ける。このような状況に於いて、子供は癒やしであり宝だ。巻き込んだことへの負い目は感じている。この場に居させるのは先のある子供達の未来を断つ行為に等しい。しかし、親元を離れて暮らすには難しい歳でもあり、餓死することは目に見えている。だからこそ、巳弦も四郎も連れていくことを許したのだ。

「―――あっ!ようやく見つけました、巳弦様!」

子供達の視線が、部屋の持ち主に向いた時、廊下の奥から巳弦を呼ぶ声が聞こえた。焦ったような声で、ばたばたと走ってくる。

「どうかされましたか?……ああ、でももう少しお静かに。子供たちがいますから。」
「それはすいません……。さっきね、幕府軍が射った矢文が見つかりまして……。」
「矢文?またですか……。」

この間は一揆軍に強制的に参加させられている者の投降の呼びかけ。これには否しか答えず、最近では無理矢理切支丹にさせられた者、或いは切支丹だったが悔いて棄教する者は赦免する旨が書かれていた。こちらにはまだ返答は返していなかったはず。元旦の総攻撃といい、手柄欲しさに統率が取れず焦っているのが見て取れた。その証拠に、こちらの返答を待たずしてまた矢文を射って来たのだ。

男性が巳弦に手渡したのは件の矢文。その内容に誰かが感情的に握ってしまったのだろうか、矢に括り付けるための折り目以外に細かな皺が寄っている。受け取って中を開き、目を通して――――絶句した。


……こうまで言葉に詰まるのは、反応する音すら真っ白に失われてしまうなど過去経験したことがない。どんな状況でも、必ず何処かで冷静だった思考もまともに機能していなかった。


矢文を渡した男性は、思わず後ずさりしたくなるほどの強い気迫を感じた。そんな姿今まで見たことがない。理由を答えてくれなかった黒ずんでしまった華奢な指が、鉄砲をああも軽々使える力を生み出しているのだとまざまざと感じさせる矢文の皺の寄り様。それでも尚、小刻みに震える手から確かな怒りを感じ取った。
感情に機微に敏い子供たちは、ただでさえ大きな目をまるまるとさせ、唖然としている。ついさっきまで笑顔で遊んでいたのが嘘のように。その目には確かに巳弦が見せなかった部分があったのだと物語っていた。

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