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「あけましておめでとう〜!」

 汐里はブンブンと元気に手を振っている。今日は1月1日、白い息が空気の冷たさを誇張し、平子は猫背を余計に丸めた。
 神社の傍には屋台が立ち並び、最早おしくらまんじゅうでもしているかのように人でごった返していた。

「あけましておめでとう、汐里、平子らくん」
「おめでとうさん。で、今からあの人混みン中入る言うんか」
「あったり前でしょ!?早く行かないと甘酒なくなるよ!」
「オマエは新年早々やかましいのォ。だいたい甘酒て…オレは日本酒のほうがええわ」

 平子は耳に指で栓をしてあからさまに大きなため息をついて見せる。

「そうだよ、早く行かないと」

 夏樹は笑いながら手招きをする。彼女と会うのはあの日以来だった。特に変わった様子はない、記憶置換がそれなりに正常に働いている証拠だろう。

「へいへい」
「はい、これ真子の甘酒」
「ん」
「考え事?」
「大人は考えなあかんことが多いんや」

 首をかしげる汐里にハァァァとわざとらしくため息とをつく。汐里は”変なのーとそれを笑った。


 = = = = =


 夏樹の話をした後のことを思い出し、平子はげんなりとした。
 あの日の後、平子は用事があるだの何だの文句を言うメンバーを無理やり集合させた。

「大事な話があるからよー聞け〜」
「なんやのん、改まって」

 リサはそう言いつつも厭らしさが満点の雑誌をめくる手を止めない。

「…藍染の手がかりが見つかった」

 平子のその一言に全員の目線が平子に集まる。

「なん、やて…?」

 平子は蓄霊石を人間が持っていること、母の形見であること、そして、藍染との繋がりがある可能性を話した。平子はこのまま夏樹を監視対象とする方針を伝えた。自分以外の接触は禁じた上で。

「なんでそんな大事な話もっと早くにせんのや!」

 話が終わると同時に第一声を上げたのはひよ里だった。

「だいたいなんやねん、監視て!とっとと本人脅してでも聞き出さんかいボケェ!!」

 ひよ里は怒号と共にサンダルを一直線に平子に投げ飛ばす。

「せやからあかん言うてるやろ」

 平子はひよ里の意見を通す気は一切ないのだと、投げ飛ばされたサンダルを叩き落とした。カラン、と虚しくサンダルが地面に落ちた。

「どう繋がってるか分からん以上、下手に手を出すんはあかん言うたやろ。少なくとも今の相模チャンに脅威になるような要素はない、藍染の狙いをハッキリさすんが最優先や」
「…まぁ堅実な判断だと思うぜ、オレは」
「ボクも賛成だね、霊力が蓄積されてる、その上人間の霊力が封印された状態というのも気になるしね」

 挙西とローズは平子の意見に賛同した。けれど、怒り心頭のひよ里の顔には”納得いかへん”と書いてある。

「あー…ハッチ、結界増やしといてくれ」

 平子はため息交じりに地面に置いていた自分の刀を持ち上げる。

「あかん、言うてるやろ」
「嫌や!!!」

 ハッチが結界を張り終わらないうちに、ひよ里は力任せに平子に突っ込んでいく。ハッチは冷や汗をかきなが
ら、自分の手のひらに集中し大急ぎで結界を追加する。

「ひよりん大荒れだねぇ」
「まぁ仕方ねーだろうなぁ、真子も予想通りって顔してるし」

 金属がぶつかり合う音とひよ里の怒声が響き渡る。ひよ里のあまりの大声に白は思わず耳を塞ぐ。

「ひよりん、仲良しだったもんねぇ」
「仲良しってモンじゃなかったろ…」
「本当の姉妹のようだったからね」

 懐かしむようにローズは目を細めるが、反対に痴話喧嘩によく巻き込まれていた挙西はげんなりとした顔をした。

「で、どう思うよ」

 羅武はぱらりぱらりと捲っていた書類の束をローズに投げる。

「正直、何とも言えないね…ただ、藍染が無為に何かをするとも思えない。意図的に隠蔽をしているあたり、何かしらの目的があるのは間違いないだろう」
「オレはこの辺りがキナ臭いと思うんだがね」

 トントンと羅武が指さしたのは強盗放火事件の欄。

「強盗と刺殺、放火があって、生き残るか?フツー。それに引き取り先が鳴木市っつーのも引っかかる」
「…意図的に空座町の隣…鳴木市に連れて来られた、か?」
「あぁ」
「封印状態つーことは、藍染の中でまだ時期早々つーことだろ」
「…何かしら、利用価値があるんだろうね。なかなか壮絶な人生じゃないか」

 ローズは憐れむような目線を書類に向けた。

「ねーねー、挙西〜ひよりん終わったみたいだよ」

 白がぐいぐいと挙西の服を引っ張る。皆がそちらに顔を向けると、息を切らした平子と気絶しているのかその場で倒れているひよ里が見えた。

「…ったく、なんぼ暴れたら気ィ済むねん」
「お疲れ様デス」
「このアホ、運んどいたってくれ」
「はいデス」

 くしゃりと乱雑に平子は自分の髪をかきあげた。激しく動いた身体の火照りを取ろうとシャツの襟もとをぱたぱたと仰ぐ。挙西はそんな平子にタオルを投げた。

「随分かかったじゃねーか」
「しゃーないやろ、気ィ済むまでやらせへんと後が面倒やんけ…」
「にしてもよくこんなの分かったな」
「偶然や、偶然」
「…まぁやれることがあればオレらにも分担してくれ」
「おん、助かるわ。とりあえずひよ里が暴走せんように見張っといてくれ」


 = = = = =


「う、うわーーー大凶!」

 汐里の叫び声で平子は我に返る。人混みの喧騒も同時に情報として脳に入ってきた。

「私、中吉だぁ…なんとも半端な」
「日頃の行いが悪いからやろ」

 ぼそりと呟いた平子の台詞にぴくりと汐里の耳が動いた。

「うっさい!そういう真子は」
「オレは日ごろの行いがいいから大吉ですゥ」
「うっっざ」

 汐里をなだめるように夏樹はおみくじの詳細を指差した。

「何書いてあった?」
「うーんとね、『学問:根気強く取り組むべし』だって」
「私は『待ち人:来る、準備せよ』だって、待ち人かぁ…待ち人って何?」
「運命の人、とか?」
「待ち人っちゅーんは、転機となる人物のことや、別に恋愛以外でも当てはまる」
「ふぅん」

 汐里は真剣におみくじの中身を凝視していて返事は上の空だ。

「平子くんのは?」

 一通り目を通して、ふと目に止まった内容をなんとなしに読み上げた。

「『争事:初のうち思ふように無、辛抱強くあるべし』やと」
「なんでそれチョイス?」
「…なんとなくや」

 平子はひとつため息をついた。まるで今の自分の状況をおみくじに見透かされたような気がして少し腹立たしい。

「ねっ、次は屋台行こうよ」
「たこ焼きとかたい焼き食べたい!」

 汐里は夏樹の手を引いて人混みの中に消えようとする。平子は慌ててその後ろを追いかけた。
 屋台を一通り見て回り、人気の少ない道の端に寄って先ほど買ったばかりのたこ焼きのパックを開けた。まだ焼き立ての証拠に湯気が立ち上る。

「あつっ、ふふ、美味しい」

 平和な光景とは反対に、平子の心の中は荒んでいた。ひよ里に焦るなと言った癖に、当の本人を目の前にするとどうしても聞き出せないかと焦る気持ちが募るのだ。

「ナンギやなぁ…」
「ん?」
「相模チャン、自分ソース付いとるで」
「え?どこ?」
「ココや」

 平子はソースの場所を示そうと、夏樹の口の左端に付いたソースに指を近づける。

「!」

 夏樹が突然身構えたように目を閉じた。

「こっちやて」
「えっ、あ、うん。ありがとう」

 平子は何事もなかったかのように指を自分の口元に持っていき、ソースはこっちだと示す。
 あの日の失敗をひとり毒づく。記憶がおそらく深層心理に残っているのだと。


 = = = = =


 その後、何事もなく初詣は終わり、平子は汐里を家まで送った。

「真子、大丈夫?」
「何がや?」
「今日難しい顔してたから」
「別になんもあれへん」
「夏樹に記憶置換、使ったでしょ」
「…お前どんだけ鋭いねん」
「どうせ何も教えてくれないんでしょ?」

 聡い子だと思う。…正確には、”平子真子に関してだけ聡い子”だ。そして、年不相応に大人びさせてしまったのも、自分の所為だ。

「いつもすまんな」
「…そう思うんなら、夏樹が傷付くようなことだけはしないって、約束してよ」
「…善処はする」

 平子は吐きそうになったため息を静かに飲み込んだ。
 ちぐはぐとした二人の関係は、近づきすぎることは決してない。見て見ぬふりが、見られて知らぬふりが上手くなりすぎた2人の距離は歪だった。

「夏樹を傷つけるのなら、私は真子を許さない」

 平子は無表情のまま、やや掠れた声で短く返事をした。