21
野太く凄まじい雄叫びで目が覚める。どうやらまた浦原商店にいるらしかった。1日に2回もお世話になるなんて、と苦笑いが零れる。
どうしてここに自分がいるのか思い返す。確かあの時すべてを見届けてしまった後に、急に力が抜けてそこから記憶がない。つまるところ、そういうことだろうと適当に納得することにした。
意識がはっきりとするにつれて、じわじわと現実が押し寄せてくる。
―何も、できなかった…!連れていっちゃ、駄目だったのに…!
布団を握る手に力が入った。無力な自分と、彼女の心の悲鳴に何も出来なかった後悔が胸に募る。あの時何をするのが正解だったのかは分からない。けれど、何もできなかった事実だけは確かだった。
軋む心を無視して布団から起き上がると、声のする部屋へと足を向けた。
「朽木サンを救うため?甘ったれちゃいけない」
障子を開けた先には、浦原に押し倒されて杖を突きつけられている一護がいた。
「死にに行く理由に他人を使うなよ」
殺気の籠った言葉に夏樹の背筋がぴしゃりと伸びる。
浦原は立ち上がるとつらつらと尸魂界における処刑までの期間について語る。
「きょく、しゅう…?」
聞き慣れない単語に思わず口を挟むと、漸く浦原はちらりとだけこちらを見て答える。
「こちらの言葉に合わせると、死刑っスね」
「な!?」
「これからキミをイジめるのに十日間。尸魂界への門を開くのに七日間。そして尸魂界へ到着してから十三日間。十分間に合う」
夏樹は漸く事態をの重さを飲み込み始める。何か罪を犯したのだ、彼女は。そうして、連れていかれた。
だから一護を跳ねのけた。だから、あんなにも、心を引き裂かれながらも拒絶を示したのだと。
一護は伏し目がちに問う。十日で俺は、強くなれるか?、と。
「勿論。キミが心から朽木サンを救いたいと願うなら」
「想う力は鉄より強い。半端な覚悟ならドブに捨てましょ」
浦原は帽子の奥から強く光る眼光で一護を射貫くように見る。さあ、覚悟を示せ。そう言わんばかりに。
「十日間、アタシと殺し合い、できますか?」
「どーせ俺ができねえっつったら…誰もやる奴いねえんだろ」
一護は立ち上がると意志を宿した強い瞳で浦原に覚悟を告げた。そうして一護も夏樹も学校へ行くように諭されて、渡された怪しい薬を服用しながら終業式の終わりを待つこととなった。
= = = = =
「どうです、傷の具合は?」
「全快っ!」
「結構!」
浦原商店の前で一護は傷跡だらけの身体を浦原に見せる。待ち構えていたように、店員皆が店先に揃っていた。浦原は傷の治り具合に満足そうに扇子をパチリと閉じる。
「で、やっぱり貴女も来ちゃったんですねェ」
「はい」
ふむ、と口をすぼませた浦原は数秒考え込むと、口元をニッとさせ意図の読めない笑みを浮かべた。
「ま、いいことにしまショ」
浦原は踵を返し、店の方向へ歩みを進める。一護は思わず声を上げて驚く。
「そういやオレ、夏樹が死神になったとか知らねえんだけど何がどうなった?」
「彼女には彼女の事情があるんスよン、黒崎さん。あ、親御サンには断ってきましたか?」
はぐらかすように笑って別のことを問えば、意識を逸らされた一護は不満げだけれども律義に答える。
「あ、あァ、友達んちに泊まるって言ってきた」
「なんか処女の外泊の言い訳みたいっスね…キモチわる…」
「殺すぞ」
「さて、黒崎さんを先に修行につけるので相模サンは暫く待機しててくださいな。あ、店の駄菓子好きなだけ食べていっスよ」
いらっしゃいと手招きする浦原に従って2人は小さな店の敷居を跨いだ。
よろしくお願いしますと大きな声で宣言した一護の横で、夏樹はただ胸の前で手を握りしめる。
渦巻き続ける不安と焦燥に駆られながら、夏樹はただ願う。ルキアが雨の中泣いているような、その感覚が間違いであるように、と。
「さて、お待たせしました」
浦原はどかりと夏樹の前に腰を下ろす。謎の地下空間の、そのまた謎に深く掘られた穴の中で一護は死神の力を取り戻すべく奮闘していた。
それまでの過程も何とも滅茶苦茶で、夏樹は己の身に降りかかるであろう修行の内容を想像して思わずピシリと姿勢を正した。
そんな夏樹を見て浦原はまァお茶でもどうぞと何処からか湯気立つ湯呑みを差し出す。
「あの、一護は大丈夫なんでしょうか」
「さァ、彼の気力と覚悟次第っスね。まぁきっと大丈夫ですよン。それよりここに来た、と言うことはそういう事だと捉えても?」
「…はい」
浦原は相変わらずへらへらとした笑みを浮かべている。その笑みにどこか不気味さすら感じた。
「それより、あの、ルキアちゃんが死刑ってどういうことなんですか。一護、ちゃんと説明してくれなくて」
浦原は苦笑いしながら黒崎サンはそういうの苦手そうですもんねと答える。聞かされるのは死神の力を譲渡する話、譲渡は重罪である話、メノスの出現と撃退によりルキアの事が捕捉された話。淡々と述べられる事実に夏樹は顔を歪める。
「ルキアちゃんは、何も悪い事してないじゃないですか」
「法とは大勢を守るためにある、無闇矢鱈に死神の力が人間に渡ればそれこそ世界が崩壊してしまうっス」
「………そうかもしれないですけど、だとしても!」
「で、お聞きしますが」
浦原は声のトーンをひとつ下げて夏樹を正面から見据える。
「今アナタが朽木サンを救出に行けば間違いなく死にます。そこまでして、行きますか?」
「………」
「他人の為に死ぬ、美談で結構結構。で、貴女の死を朽木サンに背負わせますか?今黒崎サンがこなしている特訓は、失敗すれば間違いなく死にます。アレを見て、同じ事がまだ言えますか?」
浦原に突き付けられた杖の先から感じる鋭い殺気に夏樹は身体を強張らせる。一歩でも動けば死ぬ、と身動ぎさえ出来ない状況にこめかみから流れるのは冷や汗だろう。
黒崎一護と違って死線を潜り抜けた訳ではないただの少女にこの重みが受け止められるはずがないと、浦原は彼女を値踏みする。
「…死ぬつもりは、ありません。だから、ここに来たんです」
戦慄く手を握りしめ、今にも逃げ出しそうになる脚を押さえつける。震える声が伝わらぬように、強気な目を捨てる事のないように、夏樹は自分の言葉を自分自身が奮い立たせる為に紡ぐ。
「何故そこまで」
「分かりません…でも、変な話んですけど、”分かる”んです。私が行かなくちゃいけないって」
「……………」
「出来ることがあるのなら、出来ること全てをやります」
「半端な覚悟で首を突っこんで、死ににく理由に他人を使いますか」
夏樹の心象など見透かしているとでも言いそうな表情で浦原は視線を交わす。
「そう、ですよね……でも…きっとここで見ないフリをしたら、私は一生後悔する」
浦原は突きつけていた杖を下げる。へらりとした笑みを浮かべ帽子を深くかぶり直した。
「いっスよ、死神の力の使い方。鍛えてあげましょ。それはどのみち必要になるでしょう」
「へ?」
「ただし、向こうに行く許可に関しては保留っス。それから朽木サンを助けに行かなくてはいけない理由、しっかり考え続けてください」
浦原の突然の言葉に夏樹は目をぱちくりさせる。
「言ったでしょ、相模サンには相模サンの事情がある、って。さて、特訓の前に少しお話ししたいことがあります」
浦原はトントンと頭を指す。
「その形見について、お話し願えませんかね」
帽子に隠れて表情の読めない笑みに、夏樹はぞわりと得体の知れぬ恐怖を覚えた。
この人を、信用してはいけないと思うのは、彼が態とそういう態度を取るからなのか。けれども選べる道はひとつしかない。夏樹は目の前でへらへらとする男になんと返すべきか、口をもごつかせた。