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「ご、ごめんくださーい…?」

―ここで合ってる、よね?廃墟ぽいけど…

 夏樹は紙に書いてある通りの場所に居た。廃墟になった高層ビルには確かに人の霊圧が感じられる。

「やっと来たか」

 ハスキーな女性の声がして思わず振り返るが後ろには廃墟の壁しか見当たらない。

「どこを見ておる」
「へ?」
「お主が相模夏樹じゃな」
「ね…ネコ、ネコがしゃべ…!?え!?」

 視線を下げるとそこに居たのは1匹の艶やかな毛並みの黒猫だった。間違いなく声の主は足元から聞こえてくる。夢じゃないのかと夏樹は思わず目を擦る。

「猫が喋ったくらいで動揺するでない。着いて参れ」
「えええええええ!!?あ、待って!待ってください!」

 現実か夢かを見極めようとする夏樹には大して反応もせず、黒猫はスタスタと歩いていく。夏樹はもう一度名前を呼ばれ我に返り、慌てて後を追った。

「お主と一緒にコイツらにも修行をつけておる」

 案内された部屋には2人の高校生くらいの男女がいた。

「井上織姫です!」
「…茶渡泰虎だ」
「えと、相模夏樹です」

 目の前には綺麗に靡く茶髪の可愛らしい少女と、屈強な浅黒い男が立っている。ちぐはくした組み合わせに夏樹はどういう繋がりなのかと首を傾げてしまう。
 そういえば2人の名前は聞いたことがあると思い出す。一護と同じく不良で有名な茶渡泰虎と、えらく美人な新入生がいると聞いたが確かそれが井上織姫だったと。

「相模先輩はその、黒崎くんとは…」
「えと、一護の行ってた空手の道場に昔通っててね。2人は…ルキアちゃんの友達?」
「はい!あ、私も最近たつきちゃんにそこで空手教えてもらってるんです」
「あ、たつきのお友達かぁ」
「オレはそれ程面識がないが…」

 茶渡はぼそりとそれだけ言う。あまり会話をする気がないのだろうか。人には人の事情があるのだろうと、それ以上の詮索を夏樹は控える。

「さて、自己紹介はその辺りにしておけ。始めるぞ」
「はい!」

 まずは己の力を具現化してみろ、と言われ夏樹たちは各々力を振り絞ってみる。やー!だのとー!だの叫びながら数時間かけて何かしらやってみるものの、何かが起こる気配は一向にない。
 夜一は能力を自在に発言できない限り尸魂界には連れて行けないとため息をつく。

「人が剣を握るのは何かを守ろうとする時じゃ。それは己の命であったり、地位であったり、名誉であったり…愛すもの、信じること。善し悪しはあれど”守る”という意志に変わりはない」
「守る…意志」
「思い出せ。その時おぬしが何を守ろうと思うたのか」

 夜一の言葉に夏樹は虚に襲われた時のことをなぞるように思い出そうとする。親友を守る為に、確かにあの時は。
茶渡が何故かえずく横でチカリと織姫の髪留めが光った。

「光ったぞ…?今」
「えっ!?えっ!?ホント!?」
「そうじゃ、心と魂は直結しておる。大切なのは心の在り様。おぬしは…何のために尸魂界へ行く?」

 夜一の問いに織姫は静かに答えを出す。黒崎くんを守るためです、と。
 パキンと何かが割れる音がしたと思った矢先、小さな小人が何人も織姫から飛び出した。

「こ、小人が出た…!?」
「ピンチでもねえのに呼び出してんじゃねぇよ!!このクソ女!!」

 ドタバタと能力に振り回される織姫を見て夜一は上出来とは言いつつも溜息をつく。

「さて、次は相模と茶渡の番じゃな。おぬしらは…何のために尸魂界へ行く?」

 夏樹はその問いに胸が詰まる。織姫を見ながら自分の守るべきものは何だろうかと、胸に手を当ててみるものの漠然としていて腑に落ちない。別れ際の彼女の表情を見て、助けたいと思った。あのまま行かせてはいけない、そう思ったのは事実で、けれどもそれよりも心に留まるのは"行かせてはいけない"という誰かの意志。

「すみ、ません…その」
「焦らずとも良い。これが戦いに赴く上で最も重要な事じゃ。答えを急いで蔑ろにするでないぞ」

 答えが出ないのならば特訓に参加する資格などないと言われるのではなかと思っていた夏樹は胸をなで下ろす。

「今日はこの辺りにしておく、明日また8時にここに集合じゃ」
「はい!」

 夜一はそう言うと、ビルの隙間をタンタンと駆け上がりあっという間に見えなくなってしまった。時計は四時を指している。

「あの、相模先輩!良かったらこの後お茶でもしませんか!」
「へっ」

 ぼんやりとしていた夏樹は織姫の突然の誘いに素っ頓狂な声を上げる。

「この近くに美味しいケーキ屋さんがあるんです!ね、茶渡君も良かったら一緒に」
「いや、オレは遠慮しておく…、また明日」
「えぇっ」

 早々に立ち去ってしまった茶渡に織姫はガックリと肩を落とした。そのまま夏樹にどうか先輩だけでも!と期待に満ちた視線を送る。

「相模先輩は…!」
「うっ、わ、分かった。行こうか」
「はい!」

 眩しいくらいの笑顔に夏樹は少し目を細める。
 織姫はよく笑い、よく喋る子だった。夏樹は話すのが余り得意な方ではないと自覚していたので、彼女との会話に困らずホッとしていた。相槌を打ちながら慌てる事なく話せている。

「あ、ここです!」
「あっ」

 織姫が示した場所は、前にルキアと訪れたカフェだった。ほんの1か月前の事なのに何故か遠い昔の事に思えてしまう。あの日、ルキアは目を輝かせて初めて食べるケーキを至極幸せそうに頬張っていた。

「先輩知ってるとこでしたか?」

 物思いに耽っていると、織姫が様子を察して声をかけた。

「うん、前に…ルキアちゃんと」
「朽木さんと!いいなぁ」
「ここのケーキ、すごく美味しいよね」
「はい!」

 2人は席に着くとチーズケーキとフルーツタルトを注文する。
 織姫はそれからもくるくると色々なことを話した。たつきの事、兄の虚から助けられた事、学校で虚に襲われた事。それから黒崎一護の事。

「あっ、ごめんなさい!私ばっかり話しちゃって。いつもたつきちゃんにも言われてるのに」
「ううん、全然!私、話すのあんまり得意じゃないから聞くの楽しいよ」
「ほんとですか?えへへ、よかった」
「井上さんは一護の事、好きなんだね」
「へっ!!?」
「あ、ごめん…!その、あんまりにも楽しそうに話すものだから…」

 思わず言ってしまった言葉に夏樹は後悔する。けれど、織姫の一護を語るそれは誰がどう見ても恋する少女のものだった。

「そんなに顔に出てました…?」
「う、うん…。ごめんね、その、無遠慮なことを…」
「おかしいな、たつきちゃんにしかバレてないハズなのに…」

 織姫はぶつぶつと顎に手を当てて考え込む仕草をする。

「あ、そうだ!先輩は朽木さんとはお友達なんですか?」
「え、あ…うん、友達って…言ってもいいのかな。私も虚に襲われた時に一護とルキアちゃんに助けられて…」

 夏樹は自信なさげに視線を落とす。

「私が何だか、ほっとけないような、似た所を感じたような…。それに、ルキアちゃんを助けたい気持ちもあるけど…どっちかって言うと、自分の為に私は行くんだと思う」

 ほんの数ヶ月、話した回数は数える程度。そんな自分がクラスメートでもない彼女を助けに行くなど、それこそ変な話だろう。
 そして、自分の中に巣食う得体の知れない力を知るのに、尸魂界に行く必要があると何故だか理解できてしまう。

「変な話してごめんね」
「ヘンじゃないです!」

 俯く夏樹に井上は前のめりに答える。

「それだったら、私だって…朽木さんに死んでほしくないのに、だけど黒崎くんにケガしてほしくなくて…」

 勢いのあった姿勢は徐々に項垂れていく。

「私、ホントに行ってもいいのかな、って今でも悩んじゃうんです」

 夏樹は自分の言ってしまった事を後悔する。こんな顔をさせると分かっていたら1人で悩んだのに、と。

「でも、やっぱり私は行くんだと思います。後悔したくないから」

 顔を上げた織姫は既に覚悟が決まった表情で、揺るがない信念が瞳の奥で静かに灯っているように見えた。

「…ありがとう、井上さん」
「へっ」
「私、頑張るね」
「はい!」

 織姫は輝くような笑顔を向ける。まるでお日様みたいだ、と。こんな素敵な子に慕われる一護が少し羨ましくなった。
 ノイズがかかっていた思考が織姫と話して少しずつ晴れていく感覚があった。そうだ、私はルキアちゃんを助けたい。彼女とまたケーキを食べたりしたい。一緒に話したい。それだけは私の、間違いのない気持ちだった。