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 夏樹が見えなくなると、平子は先ほどまで見せていたにこやかな雰囲気をスッと沈めた。それに気づいた汐里が不思議そうに首を捻った。

「どしたの?いつもなら女の子には手あたり次第みたいな感じじゃん。」

 平子真子という男は誰かれ構わず女の子は名前で呼ぶし、誰にでも下の名前で呼ばせることが多いのだ。明らかに距離を取るかのように苗字で夏樹のことを呼んでいた様子に、汐里は内心怪しんでいた。

「別に人間と不必要に馴れ合う必要ないやろ」

 そう言う割に、先ほどのやり取りは間違いなく夏樹の人見知りを解すための話題作りだったのだろうと察せられた。彼にとっては些細な茶番だったはずだ。
 噛み合わない行動と言動に汐里の不信感は拭われることはなかった。

「霊絡は白、やけどな…」

 平子はぽつりと呟くが汐里はその意図が掴めず唇を尖らせて聞き返すがまともな返答は得られなかった。

「…なんや面倒な事になりそうやなぁ」
「え、どう言う事?」

 平子はその後口を開くことなく、何か考え込んでいた。なによー!と喚く汐里を手でシッシッと追いやろうとするので、バカ真子!と言い捨てて汐里は自室に戻って行った。
 自分より遥かに年上の男は時折どこか遠い目をする。そこにはきっと自分には絶対に話してくれない何かがあるのだろう。なんせこの男は汐里が”生まれた時から”姿が変わらない、生きている人間とは違うのだ。
 汐里の家は楽器屋を営んでいるが、平子との付き合いは楽器屋を開く前から続いていた。霊感の強かった汐里の曽祖父は、おおよそ100年前、悪霊に襲われていたところを平子に助けられたのだと言う。その時にできた繋がりが今も続いていた。霊感が強い橘家は、平子たちに霊害から助けられつつ、人間に溶け込むように暮らす手助けをしつついった関係を築いていた。
 汐里の父が楽器屋を開くきっかけとなったのもジャズを好む平子の影響が強かったと言う。生まれた時から近くにいた平子のことを、汐里は兄のような、けれども家族とも違う特別な感情を抱いていた。

「あんな真子の顔、初めて見た…」

 ぽつりと呟いて窓の外を見ると、日が傾き始めていた。
 普段飄々としていて、決して本音を見せない平子が、あんな表情をするなんて。それを見せた相手が夏樹ということも、自分には何も踏み込ませてくれないんだという事実にも汐里は憤りを感じていた。

「バカ真子」

 どうせ自分はただ霊が見えるだけの少しだけ普通と違うだけの人間だ。きっと何もかもが、彼の横に並ぶには足りないのだ。
 そう思うと、汐里はいつもよりも染みる気がする夕日に目を細めた。


 = = = = =


 部活は基本的に週3回していた。残り3日はバイト、残り1日は休みだからサックスの自主練習。高校に入って4か月も経てばそのサイクルにも徐々に慣れてくる。バイト終わりにそのままスーパーに寄って食料を吟味していた。
 明日は魚がいいとかおばあちゃんが言っていたな、なんて考えながら特売のタラに手を伸ばした。
 時刻はもう10時すぎ。昼の焦げ付いた残滓が帰路のアスファルトをまだ覆っていた。

―ちょっと買いすぎたかな…

「あれあれ、相模チャンやん?」

 間の抜けた声に顔を上げると、目立つ金髪がさらさらと風に揺れていた。

「えっと、平子さん?」
「こんな遅くに女子高生が歩いとったらあかんでぇ」

 ニィッと前と同じような笑みを浮かべている平子は、ハンチング帽のつばを上げた。視線が夏樹と絡む。

「えっと、バイト帰りでして」
「家、この辺なん?」
「はい」

 人当たりの良い笑みを浮かべているものの、何を考えているのだろう、目的はさっぱり見えない。なんとなく危機感を感じて身構えてしまっていた。

「それ、重たそうやなぁ」

 指さす先にはスーパーで買った数日分の食料。

「手伝うわ」
「えっ、いやでも」
「まーまー、こんな夜更けに女の子1人歩かせるわけにもいかんやろ。いくら力ある言うてもな」
「そのネタ引きずらないで貰えます!?」

 抗議の声は無視して、ほら貸しィと平子は夏樹の手からスーパーの袋を奪った。

「…あ、ありがとうございます」

 少し強引な気がして思わず警戒してしまうが、平子はそれを気にする様子もない。

「別に敬語使わんでええで。汐里見とったやろ。オレら、そないに年変わらんのやで?」
「え、そうなんですか?」
「オレそないに老けて見える!?」
「あ、いやそうじゃなくて」

 大袈裟にショックを受けて見せる平子に、夏樹は思わずくすりと笑わされる。

「えと、ごめんね、平子…くん?」
「そーそー、そんな感じでおって。呼び方はなんでもかまへんで」

 なんとも気の抜けた答えとニヤリとした笑みが夏樹の方を向く、かと思いきや、不意に平子は電信柱を見た。

「ん?何かいる?」
「いやぁネコが居った気がしたんやけど」
「いないね…?」
「せやなぁ、気のせいやったわ」

 平子はどこか会話に不自然な間を取っている気がした。何か聞きたいことでもあったのだろうか。それともただいい人なのか。

「汐里、学校で浮いとらん?」

 突然投げかけられた問いに戸惑いつつも、そんな事はないと返事をした。

「ほーか、それならええんやけど」
「汐里のこと、聞きたかったの?」
「あいつ、あんなんやから小学校の時とかクラスで揉める事多かってん」
「ふぅん」

 一瞬探るような視線がこちらに向いた気がした。けれど、汐里のことが気になっていたのか、と夏樹は納得すると少し思案して口を開いた。

「汐里、学祭の委員やってくれてて、クラスの皆んなを引っ張ってくれてる。皆んな汐里を頼りにしてるし、そんな事は全然ないよ」
「ほう」

 汐里はいい友達だ。強引でおちゃらけているようで、一歩引いた視点も持つ冷静さだって持っている。元気のない友達がいればすっ飛んでいくようなお人好しで。自分と違ってずんずんと人との距離を飛び越える…いや、ぶち壊して行くのだ。その清々しい姿を夏樹は羨ましいと思っていた。

「汐里のこと、心配しなくても大丈夫だよ」
「…ありがとうな。相模チャンがおったら安心やわ」

家の前に着き、平子は荷物を夏樹に返した。

「運んでくれてありがとう、ちょっと買いすぎたから助かった」
「オレもええ話聞けたし、ほなまたお店に遊びにおいでや」
「うん、またね」

 平子はハンチング帽を深く被り直す。

「気のせいな訳ないよなぁ…」

 小さく呟いた声は誰に拾われる訳でもなく、平子は闇夜に姿を消した。