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今日は何をしようかと夏樹はごろりとフローリングの上で寝返りを打った。特に予定がない休日、扇風機をつけても暑さはマシにはならず、業火のような夏の日差しが夏樹のやる気を削いでいった。
どこかに出かけないにしては勿体ない天気だが、出かけるにしては暑すぎる。
「かと言って、することないんだよなぁ…」
ふと冷蔵庫に貼り付けたチケットが目に入る。祖母が株主優待だとかで貰ってきた映画のチケットだ。
ー映画でも見て涼むのもアリかなぁ
あまり部屋でゴロついていると厳格めな祖母からシャキッとしなさいと鉄拳が飛んでくるのだ。意を決して服を着替え、腕につけていたいつもの髪ゴムで髪を纏め上げる。
そうして小さく息を吐くと外の熱気に負けじと気合いを入れて、お気に入りのサンダルをつっかけた。
= = = = =
駅前の映画館に着くと、同じように涼を求めたのか、多くの人で賑わっていた。最近流行りの俳優が主演の恋愛モノやアニメ、洋画、様々なラインナップが選り取り見取りに並ぶ。どれにしようか、どうせならワクワクするのがいいなぁなんて洋画のポスターに書かれたあらすじを目で追った。
「それ見んのん?」
「ひょわァッ」
突然後ろから声をかけられ思わず間抜けな悲鳴をあげた。
「びっ…くりしたぁ…」
「そないに驚かんでもええやん?」
「急に声かけられたらそりゃびっくりするよぉ…」
「はは、すまんすまん」
振り向けば目立つ髪色のおかっぱ頭が立っていた。平子とは汐里の家で打ち合わせをしたりとあれから何度か出会う機会があり、最初に比べてかなり打ち解けたように思っていた。
話を聞くと平子もどうやら同じように暇つぶしに映画を観に来ていたらしい。どれを観るかはまだ決めてないそうで。
「ちょうどあと20分で始まるんだよねぇ、これにしよっかなーって」
夏樹はさっきまで見ていた洋画のポスターを指した。
「へぇ、面白そうやん。オレもこれ観よかな」
「ほんと?なら、ここになんと1枚で2人まで観れる株主優待券様が」
ニィッと口角を上げると平子は驚いた表情をしたあと、同じようにニィッと笑った。
「ええのん」
「ええのんよ」
「ヘッタクソな関西弁やな」
「えっ、完コピしたつもりだったのに!」
「甘すぎやわ」
2人で飲み物とチケットを買い、席に着いた。いつものように広告から始まり、物語の開幕のブザーが鳴り響く。
暗闇を切り裂くように物語は眼を見張るスピードで進んでいった。息を飲んで、時には呼吸すら忘れて夏樹は画面に映る世界に引きずり込まれながら映画を楽しんだ。
「おもっしろかったねぇ!」
「せやなぁ」
「ほらあの主人公がさぁ、生贄の谷に行くとこあったでしょ! 」
映画は面白くてあっという間に終わってしまった。物語はよくあるファンタジーなもので、主人公が前世での約束を果たすために冒険に出る、といったものだった。大変興奮した様子で珍しく饒舌に夏樹は矢継ぎ早に面白かったシーンを並べていく。平子にもなかなか満足いく作品だったらしく、楽しそうに相槌を打っていた。
「な、ちょっとお腹空かんか」
「おぁ、もうお昼時ちょっと過ぎてるのか」
ケータイを開くと時刻は1時半を過ぎていた。どうりでお腹が空いている訳だと合点した。
「映画の礼に飯、奢るわ」
「え?いいよ!?」
「オレかて働いとるねんからそのくらいの余裕あるって。奢らせてや」
「えと、じゃあお願いします」
気を遣わせずにさらりと誘うそのスタイルはなかなか手慣れたものだった。断り切る理由もなく、夏樹は小さく頭を下げた。
「何か食べたいもんあるか?」
「んん〜〜あ、商店街にこの前新しいお店出来てたような?」
「ほなそこ行ってみよか」
辿り着いた店はちょっと小洒落たカフェだった。野菜が中心の女性に受けがよさそうなカフェ。ランチタイムのオススメはパスタかワンプレートセットで値段はお手頃。
「空いてそうやん」
夏樹はハンバーグのランチプレートを、平子は厚切りベーコンとアスパラガスのトマトクリームパスタを頼んだ。
「さっきの映画ホントに良かったなぁ〜…」
「べたな王道やからええんやろな」
「王道はやっぱり盛り上がるからこその王道なんだねぇ」
カランとグラスの氷がぶつかる涼し気な音がする。テラスから差し込む日差しと相まって夏をより一層感じさせた。
「どこが一番よかったん」
「うーん…主人公もよかったけど、私は…メガネの騎士が活躍するとこが良かったかなぁ」
「え、あのパッとせぇへんメガネか」
「パッとせぇへんって」
平子がムムムと眉を顰めるので思わず夏樹は吹きだした。
「誰かを見捨てたりしないところが好き。最後のシーンも良かったよねぇ」
主人公が最後の敵を倒すシーンを思い出し、夏樹は眼を細めてグラスの氷を揺らした。
「敵をばんばかぶん殴っていってぇ…なんでも救ってさ。ずっと前向いて進んでいくのさ。ほんと、カッコいい」
「そういうのがええのん」
「平子くんはどこが良かった?」
「ん〜…せやなぁ、相模チャンが泣きそうになって慌てて目頭おさえてたシーン、とかやな」
「映画の内容じゃなくない!?」
て言うか見てたの!?と夏樹は恥ずかしくて片手で顔を覆った。平子はそんな様子を可笑しそうに笑った。
「…時々、主人公になれたらよかったのかなって思うことあるんだ」
「ふぅん」
「そしたらさ、どんな困難が来ても受け入れて、全部全部解決しちゃえる」
「そらえらい欲張りサンやな」
「主人公って欲張りなんだよ、平子くんも主人公になりたい?」
ちょうど店員のお姉さんがそれぞれの料理を運んできてくれた。赤く染まったキャベツのピクルス、サニーレタスと黄パプリカのサラダ、チーズのかかったハンバーグ。綺麗に並べられた料理は彩よく、瑞々しさをより感じさせる。
「んっ、美味し!」
「オレが主人公、なぁ…」
不意に視線を上げると平子がこちらを見ていた。夏樹はこの平子の見透かしてくるような視線が、何となく苦手だった。自分の中が晒されるようで少し苦しい。
「そ、主人公。前世での約束を果たしたり、100年の恋を成就させたり、ある日突然スーパーヒーローになっちゃたり」
「…オレならただ毎日同じように過ごせてたらそれ以上はいらんねんけどなぁ」
「?」
「オレは主人公の器なんかとちゃうでェ」
平子はどこか寂しそうな顔で笑っていて、なんだか悪いこと言ってしまったような気がした。
「あぁでも…なーんも無くさんで済むんやったら主人公も悪ないかもなぁ。欲張りな主人公やから、美人も可愛い子もみーんなオレに夢中になんねん」
一瞬だけ真面目な顔をしたかと思えばすぐにニタァとふざけた笑みを浮かべた。
「スケベ!」
「男はみんなスケベでできてるんや」
映画を観て思ったよりも疲れてしまった夏樹はそのまま家路に着く。
一瞬見せた寂しそうに笑う平子がなんだか頭にこびりついてしまったようで、夏樹は無為に小石を蹴って帰った。