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「ひとつ」

 目もくらむような日差しが容赦なく頭上から降り注ぐ。
 無造作に繁茂する緑が視界を占める中で、見慣れた金色が眩しく感じる。
 死神化でもしないと来るのが億劫どころか1日かかってしまいそうな山奥。真夏を象徴する蝉の声もなく、川のせせらぎだけが辺りを包んでいた。

「オレらが何モンか、詮索するんはナシや」

 平子はだらりと身体を横に傾けたまま、人差し指の次に中指を立てる。
 修行の場所として呼び出したのは、空座町ではなく鳴木市のどこかの山。

「ふたつ、オレらのことを誰かに他言するんもナシや。まぁ、ほかにも色々あるけどこの2つは絶対守れ。それができへんのやったら今回の交渉は決裂や」
「…わかった」

 それから最後に、と平子は何かを夏樹に向かって投げる。

「ヘアゴム…?」

 夏樹の手には若草色の布地の胡桃ボタンが付いたヘアゴムがあった。タンポポの刺繍がしてある。
 夏樹が思わず顔を上げると、平子はどこかバツが悪そうに視線を逸らした。

「…元から修業は付き合う予定やったんや。まぁ、かあちゃんの形見を返すんも筋がちゃうやろうから、」

 ごにょりと言い澱むとそのまま眉を顰めた。要はあの時、自分を試していただけだったのだと。
 それから、と続けて平子は真剣な表情で夏樹と目を合わせる。

「それ、悪いけど霊圧測定する装置仕込んどる。体調管理も兼ねてやけど、まぁ」
「監視目的、とか?」
「…せや。全部が全部、信用は出来ん。ええな?」
「うん」

 夏樹は飾り気のないヘアゴムを外すと春を頭に付ける。ふるりと首を振るえば、しっかりと馴染んだような気がした。

「平子くん、気になってたんだけど…そちらは?」

 夏樹の視線の先にはピンク色の髪の毛とヒゲにぴったりとしたスーツを着こなす大男がいた。

「有昭田鉢玄デス」

 隣に立つひょろりとした平子と比べて縦にも横にも、一回りどころか二回り以上の巨躯が、ぺこりと愛想のいい笑みとともに挨拶をする。
 そんな奇天烈な見た目の男性の挨拶に、慌てて挨拶を返す。
 まるで達磨のようなシルエットからは、丁寧な物腰のせいか不思議と威圧感が一切ない。

「コイツはハッチ、オレの仲間や。」
「お気軽にハッチとお呼びくだサイ」
「結界張ってもらお思てな、呼んだんや」
「よ、よろしくお願いします」

 平子は木に立てかけていた斬魄刀を取ると、鞘をその辺にペイと抜き捨てた。

「…前置きが長なってしもたな。さっさと始めよか」

 ぴりとした殺気に空気が張り詰め、夏樹は斬魄刀にかける手を強く握る。

「はい!」

 手加減はしないと宣言したとおり、平子は本気で殺しにかかっていた。
 それこそ浦原となんら遜色ない覇気に夏樹は気圧されそうになりながらもどうにか食らいつく。
 淡々としていて、平子のテンポを掴んだと思った瞬間に全く違う戦法で攻められる。
 わざと自分を慣れさせて、その瞬間に叩きのめす。そういう戦法らしいことに気付くも、翻弄されることしかできずにいた。

「…今日はこの辺にしとこか」

 キン、と鯉口の鳴る音と共に、夏樹はどさりと地面に尻を着けた。

「つか、れた…」
「そらそうやろ」

 無造作に足を川に突っ込めば、足袋越しに伝わる冷涼な流れに頬を緩ませる。

「ハッチさんも、結界ありがとうございました」
「いえ、お安い御用デス」

 ハッチが指をキュイキュイと擦れば結界はふわりと風に乗って消えた。
 傾きかけた太陽の光を結界の欠片が反射してキラキラ光る。思わずその眩しすぎる光景に目を奪われた。

「なぁ」
「ん?」
「剣を握るの、怖ないんか」

 平子は視線を一瞬だけこちらに向ける。夏樹は脇に置いた斬魄刀に手を置いた。

「怖い、よ。傷つくのも、傷つけられるのも」

 やっと手が震えなくなったくらいだもん、と言えば平子は僅かに眉間の皺を深くした。

「ビビッて剣投げてくれたらオレ楽なんやけど」
「はは」
「平子くんは怖い?」
「…んなもん忘れてしもたわ」

 フゥ、とため息の音に視線を上げれば、平子と目線がかち合う。鳶色の瞳にすべてを見透かされたような居心地の悪さに思わず視線を逸らすが、平子の一言で視線は元に戻る。

「…夏樹」

 突然前触れもなく名前を呼ばれて、一瞬誰の事かと反応が遅れる。

「喜助は10日言うとったな。もう8日か?穿界門開くんに7日やろ、計2週間てとこか…向こうで死なん程度には鍛えたる」

 何を考えているのか分からない表情に夏樹は戸惑いを隠せずにいた。

「え、と。ありがとうございます?」
「けど、オレがあかんて判断したら行かさへんぞ。ええな?」

 平子は有無を言わさぬ圧で人差し指を夏樹に突きつける。

「少なくとも始解できるようにはなってもらうで。それができな話ならんわ。始解かて死神が本来何年もかけて、それこそ一生かかっても出来へん奴の方が多いくらいや。言うてる意味分かるな?」
「えーっと、要はできるようになればいいってことだよね」

 お前には無理だ、なんて科白言わせてたまるもんかと夏樹は強気で笑って見せる。
 その答えにじとりとした視線が投げられてくる。だんだん夏樹の性格分かってきたわ、とんだじゃじゃ馬やんけと、文句付きで。

「それから、真子でええ。名字より名前で呼ばれる方がラクやねん」
「う、うん」
「明日も同じ時間にここや、ほな帰るでハッチ」
「っ危ない!」

 夏樹は思い切り地面を蹴ると、平子を押し倒した。
 それと同時に平子が立っていた場所が大きく抉れる。

「なァに避けとんねん、このクソハゲェ!!!」

 土埃の中からすごい勢いでサンダルが飛び出し、そのまま平子の額に綺麗に命中した。

「へぶっ、いや避けたんはオレやな…」
「やかまし!!」

 今度は握りこぶしが同じく額に沈み、平子は地面に倒れ込む。

「コソコソすんなって何べん言うたら分かんねん、このハゲ真子!!」
「なんでオマエここにおんねん!」
「ハンッ、ハゲのくせに隠し事とか生意気やねん!こンのボンクラ!!」

 突如始まる喧騒に夏樹は、平子の横で座り込んだまま飛び交う暴言に合わせて視線を泳がせた。
 助けるを求めるようにハッチを見ると、眉間に皺を寄せてため息をついていた。彼にもどうしようもない、ということだろうか。

「で、なんで人間なんかの手伝いしとんねん」
「…成り行きや」

 平子の胸倉を掴んだまま、ひよ里はギロリと殺気だったまま夏樹を睨む。あまりにも鋭い視線に夏樹はびくりと身体が跳ねる。

「喜助のハゲがやるんとちゃうかったんか」
「喜助は黒崎一護の世話で手ェ離せへんやろ」
「ウチらに投げよったんか、あのクソハゲ」
「オレだけでやろうとしてたんに首突っ込んできたんはお前やぞ、ひよ里」
「やかまし!!人間に力貸す義理なんてあれへんわ!!!何しとんねん、真子!」

 全てが気に食わないのだと、胸元を掴む腕に力が入る。
 ひよ里の腕を自分から外させると、ため息交じりにパンパンと身体についた砂を落とす。

「しゃーないやろ、そこのアホがかーちゃんの形見手離してでも鍛えたい、言うんやから」
「は?」
「ん」

 平子はポケットから母の形見を出してひよ里に突きつける。

「オマエ、コレ…!」

 何かを言おうとしたひよ里の口元を平子は気怠そうな表情のまま手で抑え込む。
 が、速攻でぶん殴られて平子は再び地面とキスをする。

「なんでいちいち殴るんや!」
「そのハゲたツラが気に食わんからや!!!」
「ハー…なんで初日にバレてまうかな…3日はいける思ったんに…夏樹、明日の場所変更や。ひよ里にバレてもーたんやったらもうここでやる意味もあれへん」
「アジトでやるつもりか!?」
「せや、オマエにもやってもらうからな」
「イヤや!!!」

 終わらない暴言の嵐に夏樹は間に入ることもできず、おろおろと行き場のない手で二人を宥めようとする。そうしてる間にも口論は暴徒と化していた。

「は、ハッチさん〜…」
「いつものことなので…。ひよ里さんは人間がお嫌いなのデスヨ。悪い方ではないのデスガ…」

 ハッチは穏やかな笑みを浮かべていた。なぜこの状況で落ち着いてられるのか、夏樹は首を傾げざるを得ない。

「夏樹!後で連絡するからもう帰れ!!」

 平子はひよ里を押さえつけたまま必死の形相で声を張る。
 どうすべきか決め兼ねていたいると、ハッチがどうぞどうぞと帰路を促す。夏樹はぺこりとお辞儀をするとその場を去った。

―喜助の奴、ひよ里に入れ知恵しよったな…

「あ、何勝手に帰しとんねん!!」

 平子は昨晩に浦原と電話したやり取りを思い返す。

『死神として力を付けさせるて…オマエそれ、向こうにみすみす戦力渡すような可能性ないか!?何考えとんねん!?』
『彼女の力が覚醒しないことには詳細が分からないんスよぉ。それに、懐柔しちゃえばいいじゃないスか。知り合って僅かの朽木サンを助けに行きたいなんて言うお人好しっスよ』
『いやいやいやオマエもうちょい考えて言えや』

「ストレスで盲腸なってまうわ」
「どこにそんな繊細な神経したハゲがおんねや、このハゲ!!」