29

 翌日、呼ばれた場所に向かえば廃墟が立ち並ぶ廃倉庫街に辿り着いた。

―何もなくない…?

 霊圧の痕跡が一切ないのどかな光景に夏樹は首を傾げる。

―もう一回、集中して…あ、何かある

 不自然に切り取られた違和感のある空間へと向かえば、一つの廃墟を囲うような結界があった。

―何これ…まるで、何もないみたいな違和感。存在を、消してる…?

「よお見つけたな」
「あ、平子くん」

 振り返ればいつものようにだらりと猫背姿の平子が立っていた。

「これ、認識できんようにできとんやけど。お前の探知スキルどないなっとんねん」
「最初は分かんなかったよ」
「真子でええ言うたやん」
「あはは、名前で呼ぶの慣れなくて」

 親友のことを思うと名前呼びをするのも憚れる気がした。平子は何か察したのか、その真偽は分からないが”まあええわ”と短く流した。
 着いてきぃ、と平子は結界の中に入っていく。恐る恐る結界に手を触れれば、何事もなくすり抜けた。奥から平子の急かす声がして、夏樹は慌てて駆けた。

「ちゅーわけで、昨日話した相模夏樹チャンや」
「よ、よろしくお願いします…」

 天井のない崩れた2階から視線が降り注ぐ。夏樹は緊張した顔つきで慌てて低頭する。
 昨日会ったハッチと2回会ったひよ里以外に見知らぬ顔が複数人。人見知りを発揮しそうになるところを、気力で堪える。

「自己紹介も兼ねて、手合わせ回してこか」
「うちは認めへんで!!」

 ひよ里が夏樹の前にドスンと土埃を立てて飛び降りた。

「オマエまァだ言うか!?」
「えっと、猿柿さん?」
「アン!?」
「その!よろしくお願いします!」

 勢いよく頭を下げれば、ひよ里は予想外の行動に驚いたのかややしどろもどろに返事をした。

「ほなひよ里、オレの次オマエやからな」
「ハァ!?」
「夏樹直々のご指名やん、ほれ早よせえ」

 ひよ里はワザとらしく厭味ったらしく大きくため息を吐く。

「ええわ、初日でボッコボコのボケカスにしたるわ。そんでさっさと家に帰したる」
「頑張るね」
「なんやコイツ話通じへんぞ!!」

 ひよ里はこれ以上眉間の皺が寄ることはできないのではないかと思うくらいのしかめ面を夏樹に向ける。ぐるりと背を向けると、ドスドスと砂埃が立つ勢いで建物の中に入っていた。早よせえ!と夏樹を急かし、トレーニング場としている広間に迎え入れる。

「ひよ里」
「アン!?」
「何見ても、動揺するんとちゃうぞ」
「ハァ!?何アホ抜かしとんねん!うちがなんでど素人にビビらなあかんねん」
「そういう話ちゃうねん…そういう話、と」

 平子の妙に沈んだ声色にひよ里は眉を顰める。肩に置かれた平子の手は不自然に力んでいた。

「ほな行くで」

 夏樹が斬魄刀を構えた瞬間、ひよ里は目を大きく見開いた。

―この構え…!まさか、

「喜助んとこで帽子落とすやつやっとたんやろ。同じのでいこか、制限時間は2時間」
「分かった」
「頭使って気張りや」

 夏樹はまっすぐに平子に飛び掛かる。昨日の動きを脳内で再生しながら次の一手を考えていた。
何度も何度も攻防を繰り返すが、一度も平子に攻撃が入らない。身体のあちらこちらに切り傷、打撲痕が増えていく。

―どうしたら…っ!

 試しに真正面から赤火砲を放ってみる。

「甘いで!」

 が、放つ瞬間の僅かなスキを突かれ、逆に体制を崩してしまう。
 昨日と同じように続く攻防に夏樹は思わず歯軋りする。

―これじゃない、もっと、何かっ!!

「縛道の三十七!吊星!!」
「どこ狙っとんねん!」

 夏樹の手から放たれた縛道は平子の横をすり抜けて壁に直撃する。

「これでいいの!」

 思い切り吊星の飛んでいった方向へ夏樹自身も突っ込んでいく。勢いよく吊星を蹴り飛ばすと、トランポリンの要領で速度をつけて平子に向かって飛び掛かった。

「うおっ」

 平子は慌てて身を低くする。夏樹の指先がほんの僅かに平子のハッチング帽に掠った後、大きな衝突音が響いた。

「いったぁ…」

 瓦礫の山に思い切り突っ込んだ夏樹は、頭に積もった砂埃や石を手で払う。平子はにやりと口の端を上げながら斬魄刀を鞘に戻した。

「惜しかったなぁ」
「いでてて…いけると思ったのに…」
「夏樹、瞬歩使うてみぃ」
「瞬歩?」
「こういうやつや」

 そう言うと同時に平子は一瞬で夏樹の前に立っていた。

「うわっ」
「死神の高速移動術や」

 夏樹の腕を掴むと立ち上がらせる。あとは自分で見ながら習得し、と適当に言い放つと再び戦闘態勢に入った。

「何が動揺すんな、や…」

 2人の斬り合いを見ていたひよ里がぽつりと呟く。みるみる眉間の皺が深くなり、手を握る強さが増す。

「なんで、人間が、アイツのっ」
「ひよ里、ちょっと落ち着き」

 今にも飛び掛かりそうなひよ里の肩を叩いたのはリサだった。

「うちらの仕事はあの子を鍛えること」
「そーそー、力みすぎてちゃ何もできねーぞ」
「真相を知りたいんやったら、尚更や。うちらかて気にならへん訳ないやろ」

 せやな、と珍しく素直に大人しくなったひよ里の姿に周りはホッと胸を撫で下ろす。
 が、ひよ里は勢いよく立ち上がると3階から平子の元へと飛び降りた。

「真子ィ!代われ!!」
「ひよ里!!?」

 平子を思い切り蹴り飛ばすと、夏樹の前に立ちはだかった。

「次はうちが相手したる。言うとっけど気ィ抜いたら…死ぬで?」

 平子とはまた質の違った殺気に、ぞくりと悪寒が走る。
 ほんのひとつ、瞬きをした瞬間にひよ里は夏樹の目の前に居た。あと半秒反応が遅れていたら間違いなく死んでいた。首筋に血が一筋垂れる。

「何ビビっとんねん!ハゲ!!」
「っ、」

 ひよ里の絶え間ない猛襲に夏樹はどんどんと壁際へ押されていく。

―さっきの、思い出せ…!

 思い切り地面を蹴るとひよ里の後ろに一瞬で移動する。体感で分かる、これが瞬歩だと。

「縛道の四、這縄!」
「こんな雑魚鬼道で何が、っ…!」

 這縄でほんの一瞬できた静止時間に瞬歩で詰め寄る。下から斬魄刀を弾く勢いで振り上げた。

「力足り取らんでぇ!!」

 ひよ里の手から斬魄刀が離れることはなく、逆にきつい蹴りをお見舞いされる。壁に向かって夏樹の身体は勢いよく飛んだ。

「いったぁ…」
「気合だけは十分やんけ、クソ雑魚やけどな」

 にやりと極悪面で笑うひよ里に、夏樹も思わず口角を上げる。それは好戦的な笑みではなく、実力差を思い知らされた引き笑いではあったが。

「おーおー、完全にスイッチ入ってしもてるやんけ」

 平子は上階へ移動すると、ため息交じりに交戦している二人を上から見下ろす。

「放っといてもいいよな?」
「ええんちゃう?」
「聞いとったけど…ほんまに霊圧も太刀筋もソックリやね」
「せやろ」
「…あの子なん?」

 リサの問いかけに皆の視線が平子に集まる。平子は乱戦から目を逸らすことなく、俯いたまま口を開く。

「違うと、思てる」

 その答えに誰もが目を見開いた。なんでやの、とリサは続きを促す。

「例え霊圧も太刀筋もそっくりやとしても、姿も、性格も、なんもかんもがちっとも似とらん」

 表情を隠すように俯いたまま、手を振って否定を示す。いつもの飄々とした態度はなりを潜めて、声色すらも感情が隠し切れずにいた。

「何の因果なんやろな…あの子、汐里の親友やねん。なんちゅーか、根本的に違うんや、何かが」
「それに…」

 平子はそこで言葉を切った。
 何を紡ごうとしたのか、平子は自分の口から出かかった言葉を奥歯で磨り潰す。 

「早いうちに、ひよ里には伝えてあげやあよ」

 リサが自分の何を汲み取ったのかは分からないが、確かに自分を慮っていた。
 下からは金属音のほかに、爆発音、瓦礫の崩れる音が絶え間なく響く。“せや、な”と歯切れの悪い返事はひよ里の叫び声にかき消された。