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「なんやもうヘバってんのかいな!根性ナシ!!」
「んな訳、ないでしょっ!!」

 夏樹は瓦礫を蹴飛ばすと、勢いよく起き上がる。砂埃にまみれて死覇装は白っぽくなっていた。傷だらけで足元はふらついている、それでも夏樹の目はギラギラと力強く光っていた。

「そろそろ切り上げさせた方がいいんじゃねぇか?」
「今日の昼当番誰やっけ?」
「白とラブだろ、そろそろ帰ってくるはずだ」

 挙西がそう言うのと同時に白のただいまぁ!と呑気な声が響く。2人の両手には大量の弁当が詰められたビニール袋が提げられている。
 平子は下に降りると、2人の間に割って入って乱戦を止めた。

「そろそろ昼飯や、休憩にすんで」
「うわっ」
「急に出てくんなやハゲ!」

 突然現れた平子に、夏樹は勢い余って直撃する。どすんとぶつかった拍子に、夏樹の鼻を煙草と香水の匂いがくすぐった。

「おーおー、元気やのぉ」
「ってて、ごめん…ってどうかした?」

 顔をじっと見られて夏樹は居心地悪そうに片眉を上げる。

「きったない顔やなぁ」
「ぶわっ」

 平子はゴシゴシとタオルで乱暴に砂と汗にまみれた夏樹の顔を拭う。
 顔を拭かれる一瞬前、平子の瞳が揺れたような気がした。

「早よ上がってきぃ、ひよ里もや」

 もう一枚のタオルをひよ里に投げると、平子は何処と無く機嫌の悪そうなまま上階へ跳んだ。
 夏樹も追いかけるように飛んで2階に上がると死神化を解いた。リサが興味深そうにそれを見つめる。

「へぇ、ほんまに肉体が霊子化しとるんやね、変わった子」
「えっと…」
「あぁ、ウチは八胴丸リサ。リサでええよ」
「相模夏樹です」
「ボクは鳳橋楼十郎、ローズって呼んでくれるかい?」
「こっちの筋肉達磨は拳西言うんよ」
「オイコラ誰が筋肉達磨だ!…ったく。六車拳西だ。向こうにいる2人も後で紹介してやる」

 拳西がピッと親指で指した方には机に弁当を並べる昼飯当番の2人がいた。

「えっと、リサさんと、ローズさんと、拳西さん…」

 なんだか個性的な人しかいないな、と思いつつ、特徴と名前を丁寧に頭に刻んでいく。
 見知らぬ人に囲まれてどうしても顔が強張るが、汐里がいつも第一印象が肝心だと言っていたのを思い出し、深呼吸する。


 = = = = =


―お、お弁当を食べるだけなのに、うるさい…!

 平子とひよ里は喧嘩腰にメンチを切りながら会話しているからなのか、はたまた互いの話を聞かない会話がラブとローズの会話が飛び交っているからか。挙西の怒号と白の不平も騒がしさを助長していた。

「何だんまりしとんねん!夏樹!!」
「ひゃい!!」

 ひよ里に突然怒鳴られて夏樹は舌を思い切り噛む。

「ひゃいやて、ひゃい」
「平子くん、うるさい!」
「さっきまでピーピー喚いとった癖になんやねん!キッショ!!さっきの威勢は何やってん!肝っ玉の小さい女やの!!」
「なっ、なっ」

 言い返そうにもこんなやり取りに慣れていない夏樹は上手い切り返しが出てこない。よくもこう罵声が途切れることなく飛ばせるものだと逆に感心しそうになる。

「ちゅーか真子!お前こんな弱いヤツうちらに鍛えぇ言うんか!もうやらんぞ!!」
「やかまし!オレの仕事はお前もやるんや!!」
「知るか!ごっそさん!!」

 ずんずんと砂埃が舞い上がりそうな勢いで足踏みながら、ひよ里はゴミ箱に弁当の空き箱を突っ込むとその場を去って行った。

「行っちゃった…」
「ほっとけほっとけ。それよか午後やけど、ちょっと基礎の叩き込みするわ。それ終わったら次はリサ、頼むで」
「ええよ」
「夏樹、疲れてへんか」
「ん、ちょっと疲れたけどまだまだ全然大丈夫!」
「ほしたらオレらちょっと話あるからさっきんとこ、先行っといてくれるか」
「うん、分かった」

 夏樹の霊圧が下の階まで行ったのを確認してから、平子は口を開く。

「で、や。あいつが始解できるくらいには鍛えあげなあかんねん」
「始解までって随分急ぐんだね」
「そうだぞ、始解なんて10日そこいらで習得するもんじゃねえよ」
「いや、問題ないやろ、多分な」
「ふぅん」
「明日はラブが午前で午後がローズや。オレは合間合間に入る」
「で、始解を急ぐ理由、聞いてへんけど?」

 リサは目敏く話題を逸らした平子に突っかかる。メガネの奥にある眼光は鋭い。

「…夏樹が死神化してからの霊圧は安定してへん上にノイズが酷いんやと。せやから精密な解析には安定した霊圧がいるんや。これでええか?」
「ほんまは喜助の中でもう答え出てるんと違うのん」
「それは否定せんわ」
「真子もなんとなく予想ついてるんとちゃうのん」

 平子はその問いには答えを出すことなく、席を立った。
 平子が下に降りると夏樹は斬魄刀を膝に乗せて瞑想していた。

「待たせたな」
「あ、ううん」
「斬魄刀と対話か?」
「うん…でも、なんだろう、ちょっと上手くいかなくて」
「繰り返し、根気良ぉやるしかないわ」
「そっか」

 夏樹は立ち上がると斬魄刀を腰に挿す。刀を構えろと言われ、夏樹は平子を前に刀を抜く。斬り合いが始まるのだと準備していたら、平子はじっとこちらを見たまま始める素振りを見せない。

「夏樹、右利きか?」
「え?うん」
「持ち手、逆や逆。それ左利きの握り方やねん」
「えっ」

 夏樹は慌てて左右の手の位置を入れ替える。どうして自分は左利きの持ち方をしていたのかは全く分からないが、どうりで力が籠めにくい気がしていた訳だと納得する。

「あーちゃうちゃう、そこ握るんとちゃうねん」
「?」
「せやから右手がもっと下のとこで、握る角度が…あー、もうええわ」

 平子は夏樹の後ろに回ると夏樹の手の上から自信の手を重ねる。

「右手はもうちょい上向けのこの位置、左はここや」
「う、うん」
「足は肩幅より…ってどないしてん」

 夏樹は身体がガチガチどころかぼそぼそと耳まで真っ赤にして呟いた、近い、と。
 嗅ぎ慣れない大人の異性の香りに一瞬眩暈がした。

「なんやウブやなぁ、自分」

 恥ずかしすぎて目を思い切り瞑る夏樹から離れると、笑いながら斬魄刀を抜く。

「ほな、その構えで始めよか」

 夏樹はぶるりと身震いする。目の前から迫る殺気に、慣れる日なんて来るのだろうかと頭の片隅で考えながら。さっきより随分刀を振りやすくなった。

「踏み込みが、甘い!」
「はい!」
「反応遅れとるで!!隙だらけや!!!」

 軸がブレてる、手に力が入ってない、腰が引けてる。斬り合いの最中で平子は夏樹の剣裁きに的確な指摘を投げていく。
 ひとつひとつを丁寧に拾いながら、夏樹は例え牛歩だとさても着実に吸収していく。
 休憩を挟んでリサとの手合わせが始まる。不規則な動きに翻弄されながらも昨日よりも随分と動きが自然になった。矯正された姿勢は夏樹に余裕を与え、一撃一撃を着実に見切れるようになっていた。
剣術の才能が秀でているわけではないが、ぶっ通しで続く訓練に夏樹も嫌でも上達はしていった。

「お疲れさん」
「ありがとうございました、リサさん」
「夜は家戻るん?」
「はい、家族が心配しちゃうので…あ、夜もできることはします」

―確かに、なんもかんも違うわ。あの子ならこないな作り笑いせーへん

「そっか。あー…敬語、使わんでええよ。真子とは普通に喋っとるやん。息詰まりそうやわ」
「えっと、でも」
「うちら敬語なんて使わん奴ばっかやねんからあんま気負わんといて」

 そう言いつつリサは目の前の得体の知れない少女に対する警戒心を消した訳ではなかった。

―なんでウチがこない面倒臭いこと…

 できる限りこちらに馴染むように取り計らえと、平子に頼まれた。確かにひよ里はあぁだし、白にそんな器用なことができるはずもなく。異性というだけで警戒させがちなことを考えると消去法でも自分しかいない、と平子と同じ結論に至ってしまう。

―悪い子やないけど…あたし、こないな奴を受け入れるなんてしたないんやけど。真子にあとでナンボ請求したろか

 普段であれば頼まれたところでこんな役回りは絶対しない。けれど、平子が表情すら見せず、背中越しにリサに言ったのだ。頼む、と。

―顔見せる余裕なくなるくらいなら、ハナからやらんかったらええのに…まぁしゃーないわなぁ。あの子の事になると余裕なくなるんは、昔から一緒や

 いつもの冷めた顔で帰路につく夏樹にひらひらと手を振る。嘗ての友人に想いを馳せれば、平子と穏やかに笑う二人が目の前に見えたような気がした。