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「…………」
治療しても残る浅い傷痕だらけの身体を適当に誤魔化して、晩御飯を済ませる。訝し気な祖母の視線から逃げるように自室に引きこもると夏樹は死神の姿に戻った。
できる時に、できる事を。そう思って刀に意識を集中させる。
意識を深く、深く。沈んでいく感覚はまるで底なし沼に足を取られたような気になる。
「あ、れ」
眩い白に覆われた世界に思わず夏樹は目を細めた。
―どこだ、ここ
薄氷の上に立っている。息を吐けば白く、ぶるりと思わず身震いをする。
見渡す限り、地平線の彼方まで白が続いていた。下を見ると今にも割れてしまいそうな隔たりの向こうに、不安定に揺れる自分がはっきりと見えた。
ゆらゆら歪む自分に何故だか自嘲気味の笑いが零れる。
「やっと来たんかいな」
「…誰?」
振り向けば藍鼠色の袴を着た男が立っていた。一つに束ねた長い髪が風に靡く。
眉間に深く皺を寄せたまま、こちらを睨んでいた。
「お姉ちゃんは、どこ?」
「あいつは休業中や、ちょっと張り切って動きすぎたからな。しばらくは出て来れんやろ」
「貴方も斬魄刀?」
「そうや、オレは―――。お前を守るために力を貸すモンや」
「?」
「あぁ、やっぱまだ届かんか。寂しいもんやなぁ」
男は悲しげに片眉を下げて笑った。懐から出した煙管をひと吸いすると、空に向かって白いため息を吐く。
纏う雰囲気が彼女に似ているような気がした。掴み所がないのに、気持ちを真っ直ぐに伝えて来るところが。
あぁでも、平子くんにも少し似ている、とぼんやり夏樹は考える。同じような訛りで、どことなく飄々としていて。
「まだ、あかんわ。もっともっと、自分を研ぎ澄ませ。何のために、力を振るうのか」
不敵に笑う姿も何故か彼女を彷彿させる。懐かしいような、温かいような、寂しいような。感情が入り乱れて整理ができない。
「オレはいつでも、オマエのすぐ傍におるからな」
そこで意識は再び反転する。時計に視線をやれば午後11時を過ぎていた。眠い気もするが、目が冴えてしまったようだった。
ひとつ伸びをすると、カバンからテッサイにもらったノートを取り出す。彼の字は達筆すぎて難解な字も多かった。自分用に書き写せばようやく不可思議な術の一端が見えた気がした。
できるをことを少しでもと手を動かすが、見慣れない漢字を書き写していた手がピタリと止まる。
―どこでこの漢字見たんだっけ…ていうか、私は鬼道なんて知っていたんだろう
シャーペンを動かす手がピタリと止まる。使う機会のない漢字ですら読めてしまう、すらすらと。まるで空気を吸うのと同じように。
―私は、何…?何が、
こみ上げる得体の知れない恐怖を押し隠すように勢いよくノートを閉じた。
―深く考えるのは、やめよう。今やるべきは、ルキアちゃんを助けるための力を付けること…
早く朝になってしまえばいいと願いながら布団に潜ると強く目を瞑る。
―大丈夫、だいじょう……っ!?
突然襲う心臓を鷲掴みにするような痛みに身体が強張る。身体の奥から力強い何かが溢れ出てきて、意識が呑み込まれかける。
「な、にっ…また!?」
この痛みは2度目だった。昨日の夜と同じ痛み。
―身体が…っ、爆発しそう…!
制御しきれない圧倒的な熱量に夏樹は只ひたすら耐えるように身を縮こませる。
自身の存在全てを飲み込もうとしているような波に翻弄されて、目じりに涙が溜まる。
身を焦がす強い感情、これは、
―憎い、悲しい…?どうして、どうして…!
―深呼吸せえ、落ち着くんや
脳に響く低音は斬魄刀の声だった。浅い呼吸を繰り返す中、縋るように意識をその声の方へ向ける。
―霊圧を絞れ、そう…そうや。いつもの霊圧の波に合わせろ
―ええ子や、大丈夫…その力もお前のもんや
浅い呼吸がしばらくすると深いものへと移ろう。
「あり、がと…」
握りしめていた手をゆっくり解いて額についた汗を拭う。
―また、だ…私の中に、何かが”いる”…
得体の知れない力に呑み込まれそうになる恐怖。奥底から湧き上がる純然たる力、自身への疑問、頭を占める悩み事は尽きない。
―ルキアちゃんを、助けなくちゃ…アレが、アレが手に渡ったら、大変なことに…
意識は徐々に微睡み、自分が何を考えているのかも分からなくなる。ただ漠然とした焦燥感と恐怖に心臓を掴まれているようだった。
子供のころのように無性にお姉ちゃんに会いたくなった。いつかのようにただ隣に居て手を握ってほしいと。
彼女も眠っているのだろうか。もしそうなら、少しでも心安くあるありますように。彼女の夢が、穏やかでありますように。そう祈りながら深く深く眠りについた。