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「えっと、キッチンにあるもの確認してもいいですか?」
「おう、好きに使えばいい」

 夕方4時を過ぎた頃。日は少し傾き始めていたがまだ明るい。
 リサに言われた今日の夜ご飯の当番。リクエストはカレー。簡単なもので夏樹はホッとため息をついた。
 ガサゴソと流しの下や引き出し、冷蔵庫にある調味料や材料を確認していく。拳西の料理好きが高じて調味料の類はそれなりに揃っていた。

「先に使った方がいいものとかあります?」
「あー、そういや葉物類がボチボチだな」

―これだけあれば、大丈夫そう。買い物には行かないとだけど

「何しとんや」
「あ、猿柿さ…じゃなかった、ひよ里ちゃん。今日の晩ご飯、私が作るから…」

 猿柿さん、と苗字で呼ばれるのが嫌いなひよ里は昨日の戦闘の後、名前で呼ぶ程度には気を許してくれたらしかった。それでも言動にとげとげしさは残る。

「ハァ!?オマエ料理なんかできんのかいな」
「で、できるよぉ…」
「えーっ、今日のご飯夏樹ちんが作るの!?」

 訝しげなひよ里の横からぴょこりと白も顔を出す。

「あ、っと。白ちゃん。うん、リサさんのリクエストでカレーを」
「やったー!カレー!」
「不味かったら承知せえへんで!」
「大丈夫、カレーで流石に失敗はないよ」
「あたし甘いのがいい!」
「あかん!白の甘口はほんっまにデロ甘やから食えたもんちゃうわ!!」
「あ、あんまり辛くないようにするね…?」

 3人がわいわいと喋っている傍で拳西は平子にメモを渡す。

「ん」
「げっ、重いもんばっかやんけ」
「最近サボってたツケだよ」
「別にサボっとった訳とちゃうて何遍も言うてるやろ!なんやねん、リサも拳西も…」

 ブツクサと文句を言いながらメモをもう一度睨む。牛乳、醤油、砂糖、油…明らかに重いものばかりが羅列した買い物メモに平子はげんなりするしかなかった。

「まぁ別に真子が買ってこないなら夏樹に頼むだけの話だしよ」

 拳西は悪戯っ子よりもタチの悪い笑みを浮かべていた。生真面目な少女はきっと頼まれたものを1人できちんと買ってくることだろう。例え持ち切れなかったとしても、だ。


 = = = = =


「あっつ…」
「あかん、こんなんあかんわ」
「夏真っ盛りだし、仕方ないねぇ」

 夏樹は片手で汗を拭う。けたましいクマゼミの鳴き声も、少し優美に聞こえるヒグラシに替わっていた。
 日はもう沈んできているが、それでも暑いものは暑い。

「あかん、休憩や!」

 平子は突如公園へと足を向けると手近にあったベンチに買い物袋を無造作に置いた。重たいものばかり詰めた2つのビニール袋はぐしゃりと形を崩した。

「早く帰らないと晩ご飯遅くなっちゃうよ?」
「こんなクソ暑い日に重いもん買い出しさせるアイツらが悪いんや」

 ちょっと待っとれ、と平子はコンビニへと姿を消した。
 夏樹は荷物の隣へと腰を下ろす。ハンカチで顔を拭うと幾分汗の気持ち悪さがマシになった。
 重たいものが多い中、その殆どが平子が持つ袋へと詰められていて夏樹の袋はそこそこの重さで済んでいた。こういう気の回し方が慣れているなぁと思ってしまう訳で。

「ん」
「うぴゃあ!」

 突然の冷たい物が首筋に当たって、色気のない悲鳴が上がる。
 けたけたと後ろから笑い声が聞こえて、犯人を睨みつけるが愉快そうな表情がより楽しそうになるだけだった。

「早よ食べな溶けるで」
「普通に渡してくれればいいのに」
「おもろい悲鳴やったなぁ」
「もう!」

 渡されたコーヒー味のアイスの片割れを無造作に引き千切る。
 ニヤニヤとした顔をされて、どうにもお礼を言う気も失せてしまった。

「…美味し」

 喉を通る冷たさにホゥと思わず息を漏らす。温い風に汗がじわりと染み出すが、身体の中が冷えてほんの少し暑さが引いた気がした。

「急に知らん奴ばっかの中ほりこんで疲れたやろ。アイツらクセ強いのんしかおらんし」
「クセが強いって、そんなこと…なくはないけど大丈夫」

 あんまり歓迎されてはないよね、と言う言葉は飲み込んで笑顔に隠す。ひよ里の言動が荒いのは彼女の気質だろうが、それだけでない棘ついた敵対心と隔たりがあることくらいこの数日でも十分感じ取れた。白は不必要に近づいて来ず。

―人間が嫌い、だっけ。嫌いなものがいたら、そりゃ嫌だよねぇ…私、本当に手伝ってもらって良かったのかな

「…口悪いしまだ全然警戒してばっかやけどな、人間を一括りにして嫌っとっても目の前の一個人に冷たく当たり続けられる程ひよ里は器用やないんやで」
「う、ん」
「あいつ、言動はあーやけど素直な奴には弱いねん。気に入られろとは思わんけど遠慮したら余計に距離取られるだけや。白も似たようなモンやな」

 ニィと笑う平子は夏樹の内心なぞお見通しだと目で語る。

「あんま自分の感情隠さんとき」
「別にそんなこと…」
「アホ。んなへらへらニコニコしとって、それひよ里が一番嫌いなやつやぞ」

 ペコンと額に小君いい音が響く。予想外の痛みに一拍置いてデコピンされたのだと気付いた。

「正直、オマエの正体も過去も分からんで手ェ貸しててリスク高いなとは思っとんねん」
「っ、」

 夏樹の半分ほど空になったアイスの容器を握る力がほんの少し強くなる。
 自分が信用できる人物だと証明したる何か、それは自分ですらも分かっていなかった。返せる言葉などなかった。
 
「けどな、1年近く汐里の横におるオマエ見とって、相模夏樹言う人間をオレは信用することにしたんや」

 どう返事をして良いのか分からず、それでも平子と交わる視線を逸らすことも出来ず、夏樹はただ硬直していた。

「せやから、やるべき事にだけ集中しとったらええ」

 迷う夏樹の中にスッと降りてくる。信用する、そう言われたのが嬉しくて胸の奥が熱くなる。
 彼が背負うものが何かは分からない。けれど、何か大切なものの為に、苦渋の決断で自分に力を貸してくれていることくらい、気付いていた。

「うん、ありがとう」
「そろそろ帰らんとアイツらにドヤされるし行くで」
「そだね、アイスごちそうさまでした」
「別にィ、皆には内緒やからな」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべた平子に夏樹は思わず笑みを返した。


 = = = = =


「は?ちょっと待てや!」
「もー…大丈夫だってば。それ早くすり下ろしてよ」

 夏樹は戸惑う平子を無視して容赦なくカレー鍋に醤油を入れる。ムスッとした顔で睨み付ければ平子は渋々といった表情のまま林檎をすり下ろし始めた。
 夏樹のキュウリを切る音がリズム良くキッチンに響く。角切りにした林檎と微塵切りしたキャベツにドレッシングをかけて和えていけばサラダが完成した。

「なぁ、それホンマに美味いんか…?」
「うちでは普通だもん」

 半信半疑な視線を投げる平子を睨みつつ、流しの下にある調味料類をどんどん出していく。

「は?嘘やろ?」
「嘘じゃないよ」
「あっ、待てや!!」
「はーい、退いた退いた」

 はちみつと摩り下ろしのリンゴ、トマト缶までは良かった。味噌、ケチャップ、ソース、ハチミツ、チョコレート、ヨーグルト、マスタード…果てには粉コーヒー。所謂隠し味とされていて知ってるものもあるが、平子の知識が追いつかない種類の隠し味をどんどんと鍋に入れていく。平子はこの多さに顔を引きつらせていた。
 彼女にご飯を作らせたのは間違いではないか、そんな考えが頭によぎる。

「あとは少し煮込めば完成。ご飯炊けたかな?」
「大丈夫なんか、これ…」

 未だに眉根を寄せたままの平子に夏樹は拗ねたように唇を尖らせる。

「文句言う人には食べさせませーん」
「オイシソヤナー」
「もう!」

 焦ったように棒読みで言う平子にカレーをよそった皿を押し付ける。
 平子の掛け声で皆一斉に食卓の周りへと集まった。
 同時に口を開けたはずなのにバラバラないただきますを聞きながら、夏樹はスプーンを持つ手を動かせずにいた。

―不味くはない、と思うんだけど

「う、まい…!?なんでや!?」

 第一声をあげたのは平子だった。その後口々に美味しいの声が夏樹に届く。ホッと胸をなでおろすと、ようやく自分の皿に口を付けた。

「へぇ、林檎もサラダに入れたのか」
「結構普通だと思ってたんですけど…お口に合いません、か?」
「いや、美味いよ。果物をこうやって食うのはしたことなかったから。そういやフルーツサラダっつうんだったか、こういうの」

 隣に座る拳西はニカリと笑顔を作る。が、夏樹は思わず恐怖にビクリと肩を揺らす。その笑顔があまりにも悪人ヅラ、なんてことは流石に言えなかった。

「アンタの顔厳ついんやからその顔やめぇていつも言うてるやないの。夏樹、ビビっとる」
「うるせぇ、生まれてこのかたこの顔だよ!」
「美味しー!辛くない!」
「なんであんだけ入れて…」
「我が家は隠し味はあるもの全部入れる主義だよ、平子くん」
「不思議なもんやなぁ」

 感嘆のため息をつく平子の向かいに座るひよ里に目線を向けてみる。いただきますから一言も感想を放たない様子から、口に合わなかったのだろうかと夏樹は視線をカレーに戻す。
 ひよ里だけがしかめ面のまま一言も声を発しなかった。

「ひよ里ちゃん。どう、かな?」

 恐る恐るといった声色でひよ里の顔を伺う。やはり人に感想を聞くのはとても緊張する。ひよ里は忙しなく動かしていた手をピタリと止めて視線を一瞬交わした。

「…悪ない」
「美味しい、やと」

 間髪を入れず平子が翻訳してみせるが、気に食わないらしいひよ里は思い切り平子の脚を蹴り上げた。

「イッダァ!」
「そっか、よかった」
「な、なんやねん!」

 夏樹がゆるりと顔を綻ばせた。ひよ里は初めて彼女の素直な笑顔を見たような気がして、思わずたじろぐ。
 そんな2人の様子を見て周りも同じように笑みを零した。温かい空気が耐えられなくなったのか、ひよ里は勢いよく席を立つとおかわりをよそいに逃げてしまった。
 きっと打ち解けるのにもう時間もかからないだろうと、確信に近い予感が平子の中にすとんと落ちた。

―これで、ええはずや。得体の知れんのはホンマ。でも戦力が必要なんも、情報が必要なんもホンマ。あの時言うたんも、嘘やない。夏樹が、何があってもこっち側におるように懐柔する。それだけや