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 今日も夏樹は夕食を作ることになった。カレーをいたく気に入った白が駄々をこねた結果だった。
 徐々に仲間が彼女を彼女として受け入れつつある現状。きっとこれはいいことなのだろうと思う。

―やっぱり、夏樹は夏樹、ちゅーことなんやろか

 ちらりと隣を見れば、自分の渡した髪飾りをつけた頭頂部が見える。霊圧はやはり、ずっと隣にあったはずの温もりによく似ていた。

「ん?どないした?」

 突然振り向いた夏樹に、視線に気付かれたのかとどきりとする。

「虚出たっぽい、ちょっと行ってくるね」

 平子に買い物袋を渡すとあっという間に虚の出現した方角へ消えて行った。
 夏樹の霊圧感知は、得意分野であるはずの平子をも上回っていた。虚は思っていたよりも近場で出たらしく、ほんの10分程で戻ってきた。
 1週間前は霊力すらなかった人間とは思えない。まるでセーブ途中のゲームを再開させたような、そんな表現がしっくりくる気がした。
 ソウルキャンディも無しに死神化して、人間に戻る。この異常な状況にも随分と見慣れてしまった。

「お疲れさん」
「お待たせしました」
「…なぁ。虚が出現する前に感知しとらん?自分」
「えっ、平子くん感じなかった?」
「何をや?」
「なんて言えばいいのかな…こう、ぐにゃあって、嫌な感じ、しない?」
「いや、せんけどなぁ」

―虚が空間こじ開けて出る瞬間のこと話しとるんか…?ってなんや、顔色が、

 平子がそう考えていると、夏樹が突然壁伝いにずるずると地面にしゃがみ込んだ。

「どないした!?」
「ごめ、ちょっと気持ち悪…」

 顔を覗き込むと青白く、呼吸も浅い。苦しそうにしているが、それよりも気になるのは尋常ではない霊圧の揺れだった。
 忙しなく霊圧の質自体が変化している。

「虚に何かされたんか!?」
「ちが、くて…」

 振り絞るような声に平子は耳を澄ませる。すぐ治るからと言うが、夏樹の額には脂汗が浮かんでいる。
 周囲にこの霊圧の揺れが響くのはまずいと、急ぎで結界を張る。
瞼が薄く開けられてこちらと視線が合った時、平子は動揺のあまり結界を解きそうになった。

「その、目…。いつからや、こうなるの」
「目…?さい、きん。ちょっと、ひどくて…」

 夏樹は無理に息を大きく吸って、深呼吸するように努めているように見えた。夏樹の努力虚しく徐々に霊圧は膨らんでいく。

―何が起きとるんや…!このままやと結界が保たんくなるぞ

「…わか、てる。いま、やっ、から」

 途切れ途切れに聞こえる独り言。誰と話しているのかと思えば、突然伸びてきた手が平子の手を掴んだ。

「ごめ、ん」

 握られた瞬間に平子の背筋に悪寒が走る。自身の臓腑を直接掴まれるような不快感に思わず口を覆い、吐き出しそうになったものを無理やり飲み込んだ。
 引きずられるように自身の霊圧も乱れ始める。

「っ、なんや、これ…!」
「ごめ、霊、圧…もすこし、上げて」

 掠れた夏樹の声に眉間の皺が深くなる。何が起きたのかは一向にわからないまま、平子は夏樹の手をしっかり握り直すと霊圧を上げた。
 夏樹に霊力を喰われる感覚がして、反射的に手を離しそうになるのをぐっと堪える。

「あり、がと」

 大きく息を吐くと、霊圧の乱れは静かに収まっていく。ゆっくり、ゆっくりと濁っていた霊圧が研ぎ澄まされていく。未だ垂れ流される膨大な霊圧も、僅かに小さくなり始めた。

「れいあつ、さげてって」

 相変わらず辛そうな表情だが、幾分かマシになったように見えた。言われるがまま霊圧を絞っていけば、隣の霊圧も追いかけるように萎んでいく。
 どのくらい時間が経ったのか分からない。きっと5分か10分の話なのだろうけれど、平子には数時間が経ったように思えた。そのくらいの疲弊感だった。

「っ、ごめんね…」
「なんやってん…」

 2人とも地面に座り込んだまま、茹だるような暑さの中でも動けずにいた。全身がとにかく怠く、汗を拭うのすら億劫だった。
 間の抜けたカラリコロリとアスファルトを打つ音がする。視線上げるのも面倒で、漸く姿を見せた友人に当てつけるように溜息を吐いた。

「おやおやァ、道端で何してるんスかお2人さん」
「遅いわ…ボケが」
「浦原、さん…?」

 よっこいしょ、とおっさん臭い掛け声とともに腰をあげる。繋いだ手をそのまま引き上げ夏樹を立ち上がらせれば、ふらりと彼女の身体が傾いた。

「っと、大丈夫か」
「ご、ごめ」

 平子の肩にぶつかった額を少し痛そうに摩る。まだ顔色は悪く、立っているのも辛そうな様子だった。瞳の色は元の色素に戻っていて、平子はほっと息をつく。

「どーぞ」
「へ?」

 浦原はくるりと夏樹に背を向け、片膝をつく。

「これから店に行きますけど、相模サン、フラフラでショ」

 別にお姫様抱っこでもいいっスよぉ、と戯けた口調で言えば勢いよく横に首を振る。平子は荷物を拾うと、行くでと先に宙へと飛んだ。
 慌てて浦原の背中に身体を預けると、ふわりと風が舞った。凄まじい速さに思わず目を瞑っていれば、次に目を開けた時には浦原商店の看板が視界にあった。

「どーも調子が悪そうですね」

 店の前で降ろされて、夏樹は急に気恥ずかしくなった。誰かにおぶってもらったのなんて、何年振りだろうかと。
 促されるまま店に入ると、雨がお茶を出してくれた。冷たい麦茶が身体の熱を冷ましてくれたような気がする。

「まだ随分と顔色が悪い、少し寝てくといいっスよ」
「あ、っと、だ、大丈夫です」
「無理と無茶は別スよ、今は休みなさい」

 やや強めの口調に夏樹は一瞬たじろぐと、雨に連れられて別室へと休みに行った。

「で?さっきの何やってん」
「単純に彼女の霊圧が暴走したってだけでしょう。封印が解かれて一気に力を使おうとすれば、それこそ本人に負荷がかかるのも当然っス」
「データは取れたんか」

 平子は氷の入った麦茶の残りを一気に飲み干す。

「ええ、もう十分に。あの発作もここ数日、出ていたようですが1人で抑え込めなくなったようですねぇ」
「は!?オマエ知っとたんやったら言えや!」

 すいません、と浦原は軽く笑う。その瞳は何か別のことを考えているのだろう、心あらず、あまり多く語りたくはないらしかった。一向に話題を切り出さない様子でだいたいのことは察せた、自分の勘の良さが嫌になる。

「…あの時、瞳の色が変わっとった。薄い、翡翠色や」

 平子の問いに浦原はただ黙って頷いた。かちこちと古ぼけた振り子時計の音だけが耳にやけに響く。

「崩玉、でしょう。相模サンの死神化も、斬魄刀も。当時彼も自ら崩玉を創っていたとして何ら不思議はないんスよ」
「そうか…」
「彼女に埋め込まれた崩玉については、こうも融合されては手の施しようがないスね。下手に引き剥がせば相模サンの命に関わる」
「せやけど、このままやと夏樹はどうなる」
「まぁそうっスねぇ。崩玉と言えども恐らくアレは未完成、いや、彼女が未完成にさせたんでしょう。もし、藍染サンの目的が崩玉の覚醒と進化だとしたら、相模サンがこのまま力を付けていくのは正直いただけないんスけど…現状を放置すると力に呑み込まれて…相模サンは恐らく死に至る」

 浦原は態と戯けた様子で参りましたねぇと扇子を開いた。そんな態度を取ったところで平子に真意を隠しきれないことなど分かっているのに。それでも取らずにはいられなかったのか。

「本来相模サンが持つ霊力と反発しあう上に、そもそもアレを稼働させるための霊力を彼女が出しきれてないのが原因でしょう。まぁ何にせよ、相模サンが自分で霊圧の抑え方を理解してて助かりました」

 発作が起きた場合、2つの霊圧を均等にするように整えること、その補助として他人の霊圧を指標にしつつ、不足した霊力を他人から補えばより迅速な収束が可能だろうと浦原は説明する。

「これが漸く出来まして。平子サンにお渡ししてから発作の話をしようと思ってたとろこなんスよ」

 ことりと机に白い錠剤が入った小瓶を置く。ラベルが髑髏なのは何時もの如く浦原の趣味だろう。

「2つの霊力が過剰に出力されないよう抑え、整える薬です。霊力制御の装置でも良かったんスけど、それだと霊力全部に蓋するだけなんで。まぁ規模を抑えるだけなので気休めスね」
「…大事なこと、先言わんと後からまとめて話すんはオマエの悪い癖やぞ」
「えぇ〜〜平子サンもそうじゃないスか」
「オレはええんですぅ」
「それを特訓前に飲むようにして下さい。あとは彼女の発作が収まるまでしばらくは家に帰さない方がいいスねぇ」

 つまり、残すところ11日間。平子は浦原が笑顔で人差し指を立てて話す内容にくらりと目眩がする。

「マジか…これ、尸魂界行かさん方がええやろ、もう…」
「それだと意味ないことくらいもう分かってるじゃないスかぁ」

 今更何を、と声のトーンを下げて鋭い視線を平子に投げる。

「ちゃーんと、制御できるようになるまで叩き込んでくださいね」
「お前に言われんでも分かっとるわ、ボケッ」

 不満げに下唇を突き出したまま平子は立ち上がった。もうそろそろ夏樹を起こして帰ってもいいだろうと。下で黒崎一護が修行している今、長居は無用だ。

「発作の補助ですけど、どんな感じでした?」
「あー…めっちゃ気持ち悪い。なんか酔うわ、アレ。他人の霊力を奪い取ってるんやな。けどこっちもかなり細かく霊圧操作せなあかんからできるとしたら…ハッチとリサ、くらいやなぁ。結界も張らんと不味いしな」

 無理矢理魂魄を掴まれるような不快感を思い出してげんなりする。彼女自身も同じようなことを言っていたあたり、似た感覚を味わっていたのかもしれない。

「霊力的に…まぁ、ハッチにはやらさん方がええかもな、アジトの結界維持もあるし。他は操作下手か結界張られへんか…あ、オマエはいけるやろ」
「ありゃ、ボクも頭数に入るんスか」
「言うてみただけや」