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 倉庫の奥にある埃っぽい小部屋。おそらく物置小屋だったであろう場所で、小窓が1つだけ。
 夏樹の私室として充てがわれたのは、アジトの中でも殆ど隅に位置する場所だった。まともに部屋として機能できそうな場所がないらしく、この四畳半ほどの狭い空間が彼女の居場所となった。
 上階にはリサの部屋があり、所謂女子スペースがこの一角になっているらしかった。
 周りから離れた場所に少しホッとする。人と囲まれて過ごすのも、夏樹にとっては中々気疲れしてしまうもので。

「ハイハイハイ、邪魔や邪魔や!!」
「どぅわ!何すんねんひよ里!」
「そんなとこでボーっとしくさってるハゲが悪いんですぅ!どけや、デク」
「ハァ!?どこがデクや!ちゃんと掃除しとるやろ!!」
「やかまし!箒でオマエのその髪も全部片付けたろか!」
「賑やかだなぁ」

 箒をひよ里に突きつける平子。日常茶飯事となっている彼らのコントに夏樹はぼんやりとした感想を抱くのだった。
 リサがシーツの類を持ってくる。これで部屋に寝床ができた。

「ありがとう、ひよ里ちゃん、リサさん」
「フンッ」

 ひよ里は相変わらずつんけんとした態度だが、一緒に部屋掃除はしてくれるらしかった。
時折じっと見られたり探るような視線は、懐疑ではなくどちらかと言うと距離感を測りかねているような類だったように夏樹は思う。


 = = = = =


 一息ついて、出来上がった部屋を見渡す。まだ埃っぽいが、布団さえあれば大丈夫だろうとひとつ伸びをした。
 ぽすりと布団に腰かけて、夏樹はぼんやりと脇に置いた斬魄刀に手を伸ばす。特に意味なく鞘を指でなぞってみては、斬魄刀の存在を改めて実感する。聞いたことのないはずなのに、妙に耳馴染みの良い斬魄刀の、名前。
 ぐにゃりと引き込まれる感覚があって、目を開ければ夏樹はまた薄氷の上に立っていた。

「さっぶ…」
「そら、夏樹ちゃんの力がまだ足りてない証拠やねぇ」
「あっ、お姉ちゃん!」
「久しぶり、難儀しとるみたいやけど大丈夫?」
「うん、なんとか。ずっと居ないから、どうしたのって」
「ちょっと休憩しとっただけよ。大丈夫」

 久しぶりに会えたことが嬉しくて夏樹は笑顔で彼女に駆け寄る。ぽんぽんと頭を撫でられて、夏樹は顔を綻ばせた。

「ちょっと今の状況、説明しとかんとなぁと思って来たんよ。これが夏樹ちゃんの霊力、そんでこっちがもうひとつの霊力」

 彼女はしゃがみ込むとガリガリと音を立てながら、薄氷の上に棒切れで丸を書く。

「もうひとつ、の…?」

「なんとなく、分かるやろ?今は浦原さんの薬のおかげで、バカスカ暴れんようにはなったけど…」

 夏樹も隣にしゃがみこんで、描かれる先を眺める。

「アレはまだ未成熟やからなぁ…うちももう制御できへんし、夏樹ちゃんの霊力ばんばん喰うてるんよ」
「えっ、食べられてるの…?」

 夏樹、と書かれた丸から横の丸へと矢印が引かれる。

「そ。せやから他人の霊力で夏樹ちゃんの取られた霊力を補おうとしてんな。それが昼のこと」

 ぐいーっと夏樹の丸へ向かって、新たな矢印が書き足される。

「うん…?」
「で、夏樹ちゃんは早よ始解、修得してまい。そしたらもっとアレの制御が楽になるはずやわ」

 夏樹をじっと見つめ、不意によしよしと頭を撫でた。話に行き詰まると上を見上げながら撫で繰り回す。彼女の癖だった。

「あの子のこと、使いこなしたってな」
「…別の霊力って、私の中に何が…いるの?」
「うーん…まぁそのうち分かるかなぁ」
「ねぇ、お姉ちゃんは、お姉ちゃんは…っ、何、なの?」
「あんたの味方、それだけやよ」

 それ以上のことを話したくないらしい彼女は、むにむにと夏樹の頬を撫でくりまわした。
 そのまま急に口元を手で塞がれたと思えば、胎内に何かが侵入してきて圧迫するような感覚に陥る。

「うぇっ、きもち、わる…」
「ごめんなぁ、堪忍してや。これでもうすぐ、始解もできるはずなんよ」
「ん、…っ」
「頑張って。大丈夫、夏樹ちゃんなら、大丈夫」

 ぽすぽすと頭を撫でられて、抱きしめられて。ずっと恋しかった彼女の温もりに包まれて涙が出そうになる。
グラグラと視界が揺れて現実に引き戻される感覚に、彼女の手を掴むがやんわりとほどかれる。
 
「もう少し、あともう少しなんよ…真子さん、この子を守って」

 暗転しつつある中微かに聞こえた声に手を伸ばすが、一瞬彼女の着物の裾を霞めたような気がしただけだった。
 もう一度目を開けた時には、斬魄刀を抱きしめて布団に寝転がっていた。
 そのままぼんやりと少し煤けた壁を眺める。お腹の中で熱いものがぐるぐると波打つのが分かる。それと同時に何故か寒気が全身を覆って上手く動けずにいた。

―うぅ…気持ち悪い、身体の奥にある、何かぐるぐるして、…さむい、さむい…

「夏樹っ!」
「う、わぁっ!?」

 慌てて上体をどうにか起こすと息を切らしている平子が見えた。ズカズカと部屋に来ると夏樹の肩をがしりと掴む。

「大丈夫か!?」
「え、あ、うん…大丈夫、だよ?」
「ほーか…」

 1つため息を吐いた平子が不意に顔を上げるものだから、ぱちりと視線が交わる。普段の軽い雰囲気はなりを潜め、その静かな瞳に夏樹は何故だか居た堪れなくなる。

「霊圧、だいぶグラついとる。暴走とまではいかんけども」
「あ、それで…ごめんね」
「別にどうもないんやったらそれでええねん」
「ちょっと横になっててもいいかな、気持ち悪くて…」

 起きているのも限界になった夏樹は再び身体を布団に沈めた。やはり何故だか寒い、まるであの精神世界にいる時みたいだと思った。思考はふわふわと雲を掴むように纏まらない。

「どないしてん」
「お姉ちゃんが。早く始解しろって…」
「…他になんか言うてたか?」
「ん、霊力食べられるとかどうとか…話難しくて、よく分かんなかったから…」
「いや、かまへん。その霊圧、自分で収めれるか?」
「やって、みる…」

 深呼吸をしながら体の奥にある力を抑え込もうとしてみる。が、急に変動する波に翻弄されるばかりで、眉間の皺が深くなるだけだった。昼よりも溢れる力の量は少ないが、霊圧の規則性のなさは段違いだった。

「上手くいかんか」
「ん…ごめ、寒くて、」

 もぞもぞと毛布にくるまる姿は真夏に見る光景ではなかった。
 手を平子の方に伸ばせば、意図を汲み取った平子がその手を握る。夏樹は自分の体温よりも高い温もりが心地よくて目を細めた。

「あった、かい…」

 意識が段々と薄れていくようで、目が薄く開いては閉じるを繰り返している。そのまま繋いだ手に顔を寄せると、夏樹は規則的な寝息を立てて眠りに落ちてしまった。


 = = = = =


 完全に意識が落ちたのを確認する。霊圧も未だ不自然な揺れ方をしているものの落ち着いていて、これなら大丈夫だろうと安堵のため息を吐く。
 やはり見間違いでなかった。夏樹の霊圧が酷く揺れる時、瞳の色が翡翠色に変色していた。自分の愛したあの色が、確かにそこにあった。

―お姉ちゃん、か。…やっぱり、そういう事なんやな

 祈るように夏樹の手に額を寄せて、ゆらゆらと揺れる心内を隠すように平子は瞠目した。懐かしい霊圧が少しずつ薄れていく感覚が手のひらから伝わってくる。
徐々に消えゆく彼女の霊圧に平子は内心安堵していた。少しずつ、少しずつ、成長していく度に夏樹は彼女から乖離していく。
霊圧暴走を止める時、僅かに夏樹と繋がるような感覚があった。蜘蛛の糸のようなか細いそれを辿った時、確かに感じたものがあった。

―それが、オマエの意志なら、オレは…

 ぐっと下唇を噛んで。漸く頭を上げるとあどけない寝顔の夏樹が視界に入る。

「…夏樹は、夏樹や。例え…例え彼奴がおらんようになっても、絶対に…守る」

 口に出して、改めて決意を固くする。心のうちはもう当に覚悟を決めたはずなのに。今更情けない、と自嘲気味た笑いがだけが零れた。