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「汐里!」
「あっ、遅い!」
「えへへ、ごめんごめん」
「久しぶりね」
「?昨日も会ってんのに何言ってんだ?」

 集合場所にはもう夏樹以外のジャズ部のメンバーが揃っていた。義魂丸はどうやらちゃんと自分の身代わりを果たしてくれているらしい、あんな語尾でも。

「そうだよ、もう」
「あっとォ、間違えちゃった?」

 小声で夏樹は久しぶり、と声を掛ける。高校では毎日のように顔を合わせていたから。10日も会っていないのは高校に入ってから初めてだった。
 集団の後ろの方で2人は小さめの声を交わす。

「もう!どこ行ってたよの」
「えへへ、ちょっと、ね」
「あれ、用意したの浦原さん?周りが何も言わないから逆に私の気が触れたのかと思ったわよ」
「あー…今もニャンニャン言ってる?」
「超言ってる」

 夏樹はうげぇと顔を顰めた。ニャンニャン言い続けて周りも何も言わないとはどう言う原理なんだ、と痛む頭を抑える。

「ねえ最近、」
「…心配かけて、ごめん」
「先にそれ言われたら何も言えないじゃんか」
「ごめん、ほんとに」
「いつもそうやって、大事なことは言わないんだもん。そんなに私、信用ない?」

 汐里はぷいと視線を逸らして前の集団に合流してしまった。機嫌を損ねさせてしまったようでずきりと焦りが胃に溜まる。が、それよりも、これ以上何も聞かれない事にホッとしているのも事実だった。
 夜店で買ったたこ焼きをつつきながら、花火のよく見えそうな河川敷へと移動する。
 人の熱気も合わさってじとりと空気が肌に張り付くのが、夏をより強く実感させた。逸れないように気を遣いながら、それなりのスペースを確保すると同時に始まりを告げる轟音が頭上で響いた。

「わーーー!」
「おっきいねぇ!」

 先程まで少しギクシャクした距離も、花火を見て顔を合わせれば笑顔が溢れる。

「…さっきはごめん、少し言いすぎた」
「ちが、私が悪い、と思う」
「危ない事、してないよね?」
「…してないとは言えないけど、治療の方法も教わってるし、大丈夫。ごめん、心配かけてばっかりで。でも、信用してないとか、そう言う事じゃなくて、ええと…」

 どう言えば伝わるのか分からず手がわたわたと行き場なく踊る。

「ぷっ、いいよ。私にも夏樹に言えない事のひとつやふたつあるもん」

 汐里は一瞬夏樹の方を見ると、また視線を空へ戻した。喧騒にかき消されてしまいそうな、そんな小さな声で呟いた。

「けど、あんたの事が心配で仕方ない人間がいる事くらい分かりなさいよ」
「うん、ありがとう」

 2発目の花火がようやく上がる。次は青と黄色が夜空を染めた。
 音が身体を痺れるように駆け巡る感覚を楽しみながら、上を見上げる。

―あ、れ。なんか今

 ドンドォンと何発か上がった頃から、身体の奥に違和感を感じ始める。奥の奥にある痼りのような、何かが蠢く感覚に思わず口元を覆う。

―やばい、かも

 目の前でパチパチと火花が弾けるような感覚に目眩がする。どうにか動けるうちに、と夏樹は吐き気を抑えながらその場をそっと離れた。
 人混みをどうにか抜けて、夏樹はケータイを取り出し電話を入れる。
 人気のない公園のベンチに座ると息をどうにか吐く。まだ目眩は治らないし、霊圧が暴れて燃えるように身体が熱い。

―まずい、なんで…

 花火の音がまた身体に響く。余りの気分の悪さに繋がった電話を取る気にもなれず。頭の奥で何かが、遠い何時か何処かで見た光景がフラッシュバックするのを繰り返す。その中で揺れる金色が妙に眩しく思えた。
 浅い呼吸を繰り返していると、誰かの声がする。

「…だ、れ…?」
「アタシのことわかる?」
「…サ、さ…」

 リサが視界に入り、一瞬気が緩む。その瞬間、霊圧が再び突沸したように増大し、夏樹は必死に霊圧を抑え込もうと歯を食いしばった。
 ピシリと亀裂の入る音がして、自分の腕を見れば貰ったブレスレットにヒビが入り始めていた。

―やば、い。だめ、だめ…!

「いつもと同じようにいくで?」
「ん…っ」

 リサは夏樹の手を取ると、霊圧を込め始める。が、その手は直ぐに弾かれた。

「っ!?」
「も、だめ…!」

 その声と同時にブレスレットがピシリと砕け散る音が小さく響く。

「うぁあっ!!んっ…!」
「大丈夫か!」
「あかん!あたしじゃ抑えきれへん!!」

 息を切らして走ってきた平子は夏樹の前に膝立ちして肩を掴む。

「息できとるか」
「ん…っは、…ごめ、なさ…」
「ええから、落ち着いて息吸って」

 あやす様な声色で夏樹の手を取ると、ゆっくりと指を絡ませる。平子の左肩に夏樹は倒れこむ様に頭を乗せた。
 呼吸が少しずつ深くなるようにぽんぽんと空いた手で、子供を寝かしつける様に夏樹の背を叩く。

「そうや、オレの霊圧分かるな?」
「ん…」
「そう、もっと息深く吸うて、」

 2人とも汗が滴り落ちるのも構わず、眉間に深く皺を寄せたまま、繋ぐ手の力を強める。

「ひら、こくん…」
「なんや」
「髪、やっぱり、ながかったん、だね…」
「何を、」

 平子にしか聞こえないような小さな声で、夏樹はぼんやりと言葉を紡ぐ。震える手が平子の服を縋るように掴んだ。

「はなび…あれ、いつ、だっけ…ひ、こくんと…ちが、ぅ、わたしじゃない…」
「わかった、わかったから、霊圧の方に集中してや」
「私じゃ、ないのに…!」
「夏樹!!!」

 虚ろにボソボソと呟いていた夏樹は平子の荒々しい呼び声にびくりと身体を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。

「あ、れ、平子くん…?」

 焦点の定まらない目で平子の顔をぼんやりと眺めている。上気して潤む目元と荒い息遣い、黒から薄い翡翠色へと移ろう瞳。

「霊圧、抑え込むで。しっかりし」

 ペチペチと頬を叩かれて漸く瞳に生気が戻る。1つ頷くと霊圧がゆっくり、ゆっくりと収束していった。

「…ナイスアシストや、リサ」
「なにが今回はまずかったん」

 リサのパン!と柏手が響くと2人を囲っていた結界が消えていく。

「分からんけど始解したんが関係あるかもしれへんな」
「夏樹アンタ顔真っ青やで。飲みモンでも買うてくるわ」

 息も絶え絶えな夏樹を見兼ねて、リサはそう声を掛ける。

「オレ、サイダー」
「アホ、なんでアンタの分も買ってやらなあかんの」
「は!?オレかて頑張ったやろ!」
「アンタんために使うアタシの労力が勿体ない」
「鬼か!」

 平子はブツクサと文句を言いながら、夏樹の隣にドサリと腰をかけた。

「も、大丈夫…だから、」

 夏樹は手を解こうと身じろぎする。

「アホ、霊力スッカラカンの奴が何言うとんねん」

 力強く握り返されてしまい、夏樹は迅る心臓に気付かないフリをしながら目を瞑った。込められた霊圧が自分の中に穏やかに流れてくるりこの感覚は回道を受けている時の感覚に似ていて好きだった。

―人によって霊力の質は違う。でも、平子くんの、霊力が1番…なんだろう、気持ちいい、な…

 暗い視界の中で、左手から伝わる温度に否が応でも心拍数が上がる。こんな事考えたくないのに、と思っても思考と感情は一緒には歩んでくれない。
 平子の細く節くれた指の感触を感じながら、離すのが惜しいと思うのも気の所為だと決めつけた。

「もうほんとに大丈夫だよ」

 これならどうにか耐えられる。そんなレベルまで回復できたと思い、平子の手を再び解こうとした。
 毎度毎度、自分の時だけ早く手を解こうとする夏樹に、平子はあぁ、と合点のいった様子でため息をついた。

「…汐里んこと、気にしとるんか」
「分かってるなら聞かないでよ…」
「ちゃんと回復させた方がええ」

 募る罪悪感とは裏腹に、安定していく自分の霊圧。この自分の霊力が突然喰われる感覚は、何度経験しても慣れなかった。自分が消失する恐怖は、酷く足元を不安定にさせる。

「昨日は落ち着いとったのに今日は急にどないしてん」
「花火のせい、かも。音を聞いてたら…なんて言うか、こう、奥の方で、何か…」

 確かに何かを見たはずなのに、ほんの数十分前の記憶が全く思い出せない。

「何を、見たんだっけ…花火…花火が上がってて、」

 弾けて消えて、掴み損ねたそれは何か大切なものだったはずなのに。

「そうだ、平子くん…」

 ばちりと視線が交わって、再び身体の奥が廻る感覚が襲う。

−花火が上がって、隣で、笑ってた。うんと髪の長い、平子くんが、

「ストップ!!!」

 突如ばちんと頬に痛みが走って、視界いっぱいに平子の顔が映っていることに気付く。

「これ以上の暴走はオレももう疲れたからストップや」
「へぁ…?」

 頬を挟まれて、随分と間抜けな声が出た。平子の薄い色素の瞳とかち合って、頬を挟まれて目を逸らす事も出来ず、動揺を映した眼が不恰好に揺れた。

「ん、正気に戻ったな?」
「わった、しはずっと正気だよ!?」

 動揺しきったまま声を出せば笑えるくらいに裏返った。くくっと平子が喉で笑うものだから、ただでさえ熱い顔がさらに火照る。

「にしてもリサおっそいな…何やっとんねん、うんこでも気張っとんのか?」

 ボリボリと頭を掻きながら辺りを見回してみる。

「ひよ里、Goや」

 突然平子は綺麗にブランコの方へ勢い良くすっ飛んだ。

「死ねハゲ!!!」
「っぶぁ!何すんねん!ひよ里!!」
「ほい、水。もう気分は?」
「大丈夫、ありがとリサさん」
「やかまし!」

 隣でいつものようにわちゃわちゃと取っ組み合う2人を放置するのにも慣れた夏樹は、リサからもらった水で喉を潤す。
 祭りを満喫したらしい羅武と拳西、ローズが手に焼きそばやフランクフルトを持って現れた。

「大丈夫かい?」
「何とか…ご心配おかけしました…」
「立てるか?夏樹」
「うん」
「ほな帰ろか」

 公園の外を見るとちらちらと帰路についているのだろう人影が通り過ぎる。

―花火、ちゃんと見れなかったな…あ、みんなにも連絡入れとかないと…《途中で気分悪くなって帰りました、突然ごめんね。体調はもう大丈夫です》っと

「オレちょっと寄り道して帰るわ」
「おう。わかった」

 平子1人別れて、アジトへと向かう。途中、キツいなら負ぶるぞと拳西から提案されるがそこまで体調が崩れているわけでもないと断った。
 夏樹はアジトに着くと漸く張り詰めていた気が少し緩んだ。1週間でここも随分と親しみのある場所になったのだと気付く。

「ねね、夏樹ちん、これすごくない!?光るんだよ!」
「あ、それ光るジュース!可愛いよねぇ」

 白がフンフンと鼻を膨らませて光る電球に入ったジュースを見せびらかす。それを見た拳西は呆れた顔でぽつりと感想を漏らす。

「うわ、アホくせぇ」
「けんせーには分かんないんでしょ、これ流行りなんだもん。けんせーのばかばか!鈍チン!じじい!時代遅れ!ばーかばーか!」

 息つく間もなく放たれる罵倒にいつものように挙西のこめかみに青筋が走る。

「ッテメェ!」
「おーす、帰ったでぇ。って喧しいのォ」
「何だよその荷物」
「花火」
「ジャンプは?」
「今週の人妻7は?」
「逆に何でオレが買うてきてると思うたんや!?」

 使えへん奴、と理不尽に羅武とリサに罵られて平子は憤慨する。平子がぶつくさと文句を垂れる中、なんだかんだでノリのよいメンバーたちは花火の準備をし始めた。

「ハッチ、火ぃ」

 ひよ里が花火を差し出すと、ハッチは鬼道はろうそくではありませんヨと苦笑いしながらも指に火を灯す。

「あれ、みんな何してるの?」
「お、きたきた。おっそいで、夏樹」
「花火…?」

 手渡された手持ち花火を見て首を傾げる。顔を上げれば既にひよ里の手からは黄色い火花が弧を描いていた。白が3本持ちで点火しようとしているのを、挙西が首根っこを掴んで阻止しているのも視界に映る。

「おー、締めにええやろ」
「どしたのこれ」
「さっきはロクに見れんかったやろ」
「あ、ごめん…」

 夏樹が謝ると、平子は慣れた手つきで額にデコピンをかます。

「った!」
「アホ、早よやらな花火なくなるで。オマエもロクに見てへんねんから」

 にやりと笑う平子の表情は穏やかで、花火の光に反射して金色が少し光って見えた。夏樹は心臓がひっくり返りそうになるのを誤魔化しながら、視線を横に逸らす。

「平子くんすぐデコピンする…」
「スキだらけな夏樹が悪いんですゥ」

 早くと急かされて、夏樹も花火の輪にまじる。途中、蛇花火にひよ里と羅武が爆笑している横でリサが平子めがけてとんぼ花火を飛ばしたりと、予想以上に騒がしい花火大会になっていた。

「だーーーっ!これ!オレの!一張羅!!!」
「やるんやったらもっと派手にやらなあかんやろ。リサ、数が足らん」
「せやね」
「花火を人にめがけてすな!!って、くぉら夏樹!笑てんと助けんかい!」
「やる?」
「いいの?」
「そっち側か!なんでそっち側行くんや!!裏切者!」

 くすくすと笑いながら夏樹はリサからねずみ花火を受け取った。点火すれば勢いよく地面を進み、平子の足元へ一直線に進んでいく。
 笑い声と悲鳴が辺りを包み、夏祭りの一夜はそうして幕を閉じた。