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 始解ができるようになったからと言って、やる事は大きくは変わらなかった。
 斬術、鬼道、歩法、白打。朝から晩まで基本を徹底的に叩き込まれながら、霊圧の操作スキルをひたすらに洗練させていく。
 たかだか2週間で可能な上達具合などしれているとひよ里は踏んでいたが、彼女の中に宿る力が手伝うおかげか、予想以上には上達していた。とは言え、訓練の話であって予測不能な実践の場でどの程度動けるのかは未知数だった。

「今日はこの辺で終わりやな」
「はぁい」

 へろへろとした足取りで夏樹は床に転がるマットに体を沈める。茜色に染まる床が視界に入り、窓に目をやると空は藍に染まりつつあった。

「うちら銭湯行くけど夏樹は?」
「私はシャワーでいい…休憩するぅ…」

 お風呂セットを持ったリサ達にに手を振ると夏樹はまた顔をマットに埋めた。

ー今日の鬼道の組み合わせ、悪くなかったかな…もうちょっと撃つタイミングを詰めたいなぁ

 大きく伸びをすると、夏樹は千鳥足でシャワールームへと足を運ぶ。30分も休憩すれば十分だと夏樹はハッチが設けてくれた鬼道の練習場所へ向かう。
 疲労で今にも閉じてしまいそうな瞼をこじ開けて、大きく深呼吸をした。斬魄刀を始解すると、的を見据えて左手で指差す。

ー規模と狙う場所を明確にイメージして、丁寧に、丁寧に…

「破道の四!白雷!!」

 刀を片手で振り上げるのと同時に、指先からまっすぐに伸びるように白い閃光が飛ぶ。斬魄刀の軌道上に現れた白い矢も同じようにマトに向かって飛んだ。

「うーん、まだちょっとズレてる…」

ー矢が刺されば相手の霊力を操作できる、初見で決まれば間違いなく戦いは有利になるし、不用意に相手を傷つけることもなくなる。パターンを増やしておかないと

「もう一回!」

 夏樹は気合を入れるように深く息を吸うと、自分を励ます。小一時間か二時間か、稽古を繰り返していると人の近づく気配に手を止めた。

「まだやってたん」
「あ、リサさんおかえりなさい」
「ほい、差し入れ。ひよ里から」
「ひよ里ちゃんから?珍しい…」
「あ、ちゃうわ。落ちてたから拾ったやつ、やったかな」
「ふふ、そっか。あとでお礼言わなきゃ」

 リサの横に腰掛けると、少し溶け始めたアイスを慌てて口に運ぶ。清涼感あるソーダの香りが口の中に広がって、夏樹はゆるりと頬を綻ばせた。
 もう少し寝るまでには時間があるからと、食べ終わったアイスの棒を袋にしまうと的へと再び向かい合った。

「生真面目な子」
「私がたくさん強くなれば、人を斬らなくても、ルキアちゃんを助けるための可能性が上がるかなーって」
「…………」
「いざ本番で竦んじゃっても動けるように、やれることをやるだけだよ。私、人を斬れる自信ないし」

 そう言って夏樹は蒼火墜を撃ち放つ。コロコロと鳴く鈴虫の声は衝撃に驚いて散ってしまった。リサは夏樹が練習する様子をぼんやりと眺めていたが、ぐらりと一瞬霊圧が揺らいだのをきっかけに声を掛けた。

「ぼちぼちにしとかんとまた霊圧暴走すんで」
「ん、まだ余裕あるしもう少し大じょうっ…んっ」
「あぁもう言わんこっちゃない」

 夏樹の霊圧暴走の火種のひとつとして霊力の枯渇があった。生真面目な彼女は霊力が切れかけるまで修行に打ち込むのだが、そのさじ加減がまだ彼女自身掴みきれていなかった。
 リサは蹲る夏樹の手を取ると霊圧を込め始める。この気持ち悪い感覚に、リサ自身もかなり慣れつつあった。
 今回は軽い暴走規模だったようで、5分もすれば霊圧は収束を見せる。

「今日はもう終いや、ええね」
「…うん」

 礼を伝える度に酷く不機嫌そうな顔をするリサに、伝えられない感謝の気持ちを込めてリサの手に少しだけ力を込めて握る。

「なぁ夏樹」
「なに?」
「アンタ、あんま真子とハッチに世話ならんとき」
「へ?」
「今なぁ、なかなかエロい顔してて唆るで」

 リサはススス、と指を夏樹の頬に滑らせる。腰が引けてずり、と後ずさりをするがリサの楽しそうな表情はぐいぐいと迫る。こういう表情をしているときは碌なことがないと本能が警鐘を鳴らす。

「潤んだ瞳と息切れして…うん、悪うないで」
「リサさ、」
「夏樹…ちょっと着てほしいのあるんやけど。ひよ里じゃ胸が足りへんのや」
「け、拳西さぁん!!助けてくだ!さ!い!!」

 わきわきと指を動かすリサから夏樹は瞬歩でアジトの中へと逃げ戻る。そのまま土埃をあげながら拳西を見つけると背中にくっついて身を隠した。

「うわっ、どうした」

 翌日のご飯の仕込みをするフリルエプロンを付けた拳西は何度か瞬きしながら夏樹を見たあと、ため息をついて迫り来るもう一つの人影を見やる。

「コラァ!お前の好奇心は自分の中だけで仕舞っとけって言ってんだろ!リサ!!」
「他人で試したいことくらいあるやろ!!」
「ノー!セクハラ反対!!」
「拳西の後ろから出て来ぃ、夏樹」
「やだ!」
「なんやねん五月蝿いのォ」

 ばたばたと騒いでいると平子も自室から出てきて輪に入る。睨み合うリサと夏樹を交互に見て、またかとため息をついた。

「ちょっとコレ着てみぃ言うてるだけやろ」

 リサはケータイを広げると画面を夏樹に突きつける。

「なっ!なっ、ばかじゃないの!!?」

 珍しく語尾を強めながら赤面する夏樹の頭を拳西は慰めるように叩くと、リサの画面を覗き込んだ。写るのは丈の短いスカートを抑えて胸の谷間を強調したメイド服を来た少女の写真だった。

「んー、オレはメイド服よりもっと布面積少ない方が、」
「破道の一、衝」
「いっだぁ!?」

 平子の額に夏樹の破道がクリーンヒットする。涙目で何すんねん!と訴える平子に拳西はお前が悪いとばかりに冷ややかな視線を送っていた。夏樹は拳西の後ろに隠れたまま平子を睨む。

「平子くんのばか!変態!!リサさん止めてよ!」
「知らんがな!」
「メイド服が嫌ならナースでもええで」
「そういう話じゃないでしょ!?」

 拳西のこめかみには徐々に青筋が立て始める。わなわなと握りしめていた握り拳を振り上げると、腹の底から響くような声を出す。

「おまえら!五月蝿え!飯の準備してる側で埃立てるんじゃねえ!!!騒ぐなら外でやれ!!」
「うわっウルサッ」
「ゴリラのドラミングや」
「おーまーえーらー…いい加減にしろ!!!」

 拳西の怒声にこりゃまずいと全員蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。