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「なんっっやねんこれ!!!」
深夜1時、広間にひよ里の怒号が響き渡る。事の発端は1分前。
浦原から指定の時間に窓を開けておくように言われ、アジトの窓を開けて夏樹は待機していた。そわそわと落ち着かぬ様子でメンバーと話をしていたところ、バコォン!と小君のいい音が突如平子の方から響く。
「いったァ!?何やねん急に!」
「うわ、寄んな!シンジ汚ねえぞ!!」
「前見えへんのやけど!!」
てんやわんやの大騒ぎの原因は、窓から飛んできた謎の球体が平子の額に直撃し、破裂した挙句辺りをべったりと赤色のペンキのようなもので染め上げた事だった。
平子は頭からべったりと全身が赤くなっていた。
「平子くん動いちゃダメ!あっちこっち汚れてるって!!」
「しゃーかて前見えへんのやぞ!!」
「お水かけたげるね!シンズィ!」
「は!?待てや!待て待て白!落ち着け!!」
「えいっ」
「ドワァ!」
平子の悲鳴と共に、一体が赤く水浸しになった。
「うわっ、あっ!?なんか書いてあるの消えちゃったよ!?」
「えーっ、ごめん夏樹ちーん!」
「ブハハ!真子オマエごっつオモロイ事なっとんで!!」
「アァ!?猿が何ぬかしよんねん、オマエの顔の方がオモロイわ!!!」
「ア!?なんやと!!」
「2人とも!じゃれ合うなら後にして!」
「「じゃれ合うてへんわ!!!」」
声をしっかり揃えて返事をしてくる辺り、やはり仲良しじゃないかと抗議したくなるのを夏樹はグッと堪える。
文字らしきものが水で流れるのをラブはため息混じりに眺めていた。
「なんであいつ態々こんなので送ってくんだよ、メールか電話でよくね?」
「相変わらず変わった感性だねぇ」
「ダイイングメッセージみたいデスネ…あっ」
追伸にセンスがないと書かれた文言にハッチは肩を落とす。
「これ、今すぐ集合て書いてあったみたいやけど」
「えっ!?うそ、ここから浦原商店遠いんだけど!?」
「それよりこれ掃除して行きぃや!夏樹!!」
「えー…まじで?」
「エーとちゃうわ!」
ひよ里が何処からか出した雑巾を夏樹にぶん投げる。雑巾とは思えぬスピードで迫るそれを紙一重で躱すと、渋々ではあったが自分が原因だとも言えると思い、掃除に取り掛かる。
結局15分ほど綺麗にするのに時間がかかり大慌てで浦原商店へと向かう羽目になった。
「気ィ付けて行ってくるんやぞ」
「怪我しないようにね」
「帰ってきたら顔出せよ」
まだ赤い汚れまみれのまま、平子は喜助一発殴っとけと言伝も追加する。口々に別れの挨拶を矢継ぎ早に掛けられ、夏樹は元気に返事をしていった。
「夏樹ィ!!」
「は、はい!」
「ウチが鍛えたったんやぞ!怪我して帰ってきたら承知せんからなぁ!!」
「うん!ひよ里ちゃん!」
夏樹がアジトを離れ駆け出した頃、こっちや!という声が夏樹を引き止めた。
声の方向を見ると屋根の上で仁王立ちしてるリサが見える。
「リサさん!どうしたの?」
「これ、貸しとくわ」
「鍵…?」
チャラリと音を立てたのはウサギのストラップのついた鍵と何処かの所在地が記されたメモだった。
「うちがエロ本収納するのに使うてる廃屋倉庫の鍵。人に気付かれんように処理もしてある」
「う、うん…?」
「もし、アンタが必要になったらソコ使うたらええわ。真子もひよ里も喜助も、知らん場所やから」
「あ、ありがとう。でもどうして…?」
「…うちらとアンタの間に何かある事くらい勘付いとるやろ」
リサの答えに夏樹は目を見開く。そうして遠慮がちに頷いた。
「逃げるんは間違いやない、何でもかんでも立ち向かえばええってもんと違うやろ。せやから、お守りや」
「…分かった」
「気張って来やぁよ」
「うん」
珍しくリサが真剣な表情をするものだから、夏樹もしっかりとリサの目を見て頷いた。
= = = = =
深夜、浦原商店の前に向かえば既に人影があった。
「こんばんはー」
「おせーぞ夏樹」
「ごめんごめん、ちょっと掃除に時間かかっちゃって。ていうか私だけ鳴木市だから遠いんだってば」
「掃除…コレか?」
「うわぁっ」
茶渡が指差した方には夏樹が見たものと同じ血文字が道路にべったりと塗りつけられていた。
「そうそう、これ…ってあれ」
真っ白な衣装に身を包んだ眼鏡の少年と目が合う。誰だろうかと首を傾げていると一護がそれはそれは雑に紹介した。
「この頭の固そうでヘンな服着てんのは石田」
「だから!これは滅却師の正装だと何度も言っただろう!」
「くいんしー…?」
夏樹のことを放置して言い争いを始める2人を見兼ねて、織姫はそっと夏樹に耳打ちする。
「石田くんとっても強いんですよ!弓でバーン!って戦うんです!」
「なる、ほど?」
「全員揃ってるっスね、結構結構〜」
一護と石田の喧嘩がヒートアップしていく最中、浦原が現れ地下室へ行くようへと促した。
「そういやお前ずっとどこ行ってたんだよ」
「別の人に修行つけてもらってたんだよ」
「ふぅん」
会話はちょうどそこで終わり、空中から飛び出た直方体が四角の窓を作った。これが霊子変換器となり、尸魂界へと繋ぐ門にもなるらしい。4分間しか保たない門を駆け抜けて尸魂界へ。そう説明されて空気がシンと静まり返る。
「迷わず、恐れず、立ち止まらず、振り返らず」
―怖くない訳じゃない。でも、踏み出せる。前に進める
「遺してゆくものたちに想いを馳せず」
―大丈夫
「ただ、前に進むのみ」
夜一が先導し、拘流に足を踏み入れる。その瞬間、空間の異質さに背筋にぞわりと悪寒が走った。ここに居てはいけないと本能が告げる。
夜一に急かされ無我夢中に足を動かし、一悶着あったもののどうにか無事尸魂界に辿り着く事が出来た。
「こ…ここが尸魂界か…?」
「そうじゃ。ここは”郛外区”、俗に『流魂街』と呼ばれる場所じゃ。…どうした相模、顔色が優れぬようじゃが」
「いや、その…なんだか見覚えがあるような、気がして」
夏樹はまるでタイムスリップしたかのような古ぼけた家屋が並ぶ景色をぐるりと見渡す。何故だか初めて来た気が余りしなかったのだ。
夏樹が首を捻る傍で一護は綺麗な街並みを見つけ、その方面へ突っ走った。夜一が莫迦者!と叫ぶも間に合わず、頭上から轟音を立てて何かが降ってくる。
「…っ、何!?」
土煙に四方を囲まれて思わず咳き込みながら、どうにか現状を把握しようと薄目を開ける。煙が少し晴れた頃、漸く目の前に巨大な斧を持った巨人が降り立ったのだと気付く。
戦闘だと皆が駆け出した瞬間、振り降ろされた斧により一護と分断されてしまった。
「黒崎くんっ!?大丈夫!?怪我ない!?」
「生きてるー?」
「おーピンピンしてらー」
一護の霊圧の状態を見る限り、夏樹はまぁ大丈夫だったんだろうと軽めの声をかけた。周りがヤイヤイ言う中、ジ丹坊と呼ばれた巨人と一護の霊圧を比較すれば一護が負ける可能性は低いと夏樹は判断できる。
「…やれるのか」
「多分な」
「怪我したら治してあげるから程々に頑張って!」
「応援の仕方が微妙!」
文句が飛んでくるくらいには心にも余裕があるらしい。宣言通り、一護は斧を破壊して勝利してしまった。
そうしてサイレンのような嗚咽が響いた後、門が開けられる事となった。
―開けていいのか、て言うか人力なのかってツッコミはこの際ナシにしよう…
地響きと共に門が上に上がっていく。期待と不安が膨らむ中、土煙の向こうに人影が見えた。
「あァ。こらあかん」
何が起きたのか分からないまま、ジ丹坊の巨大な腕が夏樹の真横を通り過ぎた。彼の腕が切り落とされたのだと理解したのと同時に駆け出す。
「…あかんなぁ…」
「っ!!」
「あっ、莫迦者!」
門番は門開けるためにいてんのとちゃうやろ、と呑気な関西弁が聞こえてくる。
―なんで、なんで…っ
夜一の制止を無視して瞬歩でギンの目の前に飛び出る。
「ギン!!!」
「ん?」
「なんで、こんなところに、いるの…」
7年前から会っていない、その時から姿の全く変わらない、夏樹のよく知る市丸ギンが目の前にいた。一方でギンは夏樹にさして興味を示さず、目の前の門番に叱責の声を掛け、斬りかかる。
「ギンってば!!」
一護がギンに一方的に喧嘩を売る中、夏樹は声を荒げた。聞かなくてはいけないことが頭の中を高速で駆け回っている。
「んー、今立て込んでるから後にしよか」
夏樹を見るでもなく、スタスタと横を通り過ぎる瞬間、一護も反応できない速度で夏樹の鳩尾に思い切り拳を叩き込んだ。嗚咽が漏れ、ぐったりと意識を失った夏樹の身体をひょいと肩に担ぎ上げてしまう。
「夏樹!?テメー何してんだ!!」
「何もクソもあらへんよ」
夜一に一護!と名前を呼ばれ、ギンはピクリとその名に反応する。そうしてスタスタと間合いを取ると、斬魄刀を解放した。
音もなく伸びたそれは、一護を思い切り吹き飛ばし、ジ丹坊ごと門の外側へと弾き出した。
「バイバーイ」
ギンは至極楽しそうに、落ちる門の隙間から手を振った。そうして夏樹を肩に担いだまま、悠々とその場を去って行った。
「痛ってえッ!!!ちくしょー、何だよあの野郎!危うくケガするとこだったじゃねえか!!」
一方、門の外に弾かれた一護は勢いよく起き上がるとぶつくさと文句を零した。
「って言うか夏樹!!!」
「おぬしに怪我がないようで何よりじゃ。相模は…まぁ大丈夫じゃろう」
「いや、今すぐ助けに行かねーと!」
「門が閉じた以上即座に中へ入る術はない。それに、彼奴は市丸ギンと知り合いなのじゃろう。気絶させたところを見てもすぐに命をどうこうと言う風には見えぬ」
―やはり、藍染だけでなく他にも接触しておる奴がおったか…
「遠回りになったとしても目的のために着実に進める方向へ進め、一護。朽木も相模も、救いたいのであればな」
―何も、起こらなければ良いんじゃが
一護を叱咤する一方で、夜一は浦原から聞いていた事項を思い返し、内心ため息をついた。今ここでそういった類の話は混乱と暴走を招くと判断し、それ以上の言及を避けたのだった。そうして今は何も出来ぬ歯痒さを押し隠したまま、次の一手を取るべく長老の元を訪ねることとした。