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 殺気とも取れるような重苦しい空気の中をギンは飄々とした態度で歩く。ここは一番隊舎。
 呼び出された理由は旅禍について、なんて事は言わずもがなだった。総隊長から並の隊士であれば命を落としかねない圧を受けてもギンの表情はピクリとも動かなかった。

「ところで、市丸ギン、キミの処に居るんじゃないのカネ。旅禍と接触した際、1人死神を連れ帰っていると情報があったが」

 涅マユリがギョロリと目玉を回しながらギンを指差す。その言葉に懐疑の視線がギンに集まった。

「あぁ。あの子は旅禍ちゃうよ。西流魂街に任務に出てたうちの隊士ですわ。どうも錯乱状態にあったんでうちの隊舎で謹慎さしてます」
「いけしゃあしゃあと…証拠は当然あるんだろうネ」
「えー今ある訳ないやん、隊舎戻ればイヅルが管理してるんと違います?」

 すっとぼけた態度にマユリのフラストレーションは溜まっていく一方だった。日番谷は呆れたため息をつきながら、ギンに鋭い視線を送る。

「で、旅禍と接触したんならそいつらの目的も分かってんだろうな」
「いや、なんも」
「はぁ!?」
「どうも瀞霊廷に入ろうとしたんを阻止しようとしてたとこらしくて、何も目的聞いとらんらしいんよ」
「何も成果なく帰ってきたと言うのか!市丸!」

 砕蜂もまくし立てるようにギンを責めた。本人はどこ吹く風で、それが余計に怒りを煽る。

「すんませんなァ」
「随分お優しい教育だネ、その隊士を此方に寄越し給え。綺麗に全て自白させてみせよう」
「それ廃人コースやん」
「旅禍も殺せずも部下の躾も疎かとは情けないものだヨ、三番隊隊長」
「いややなぁま。まるでボクがわざと逃したみたいな言い方やんか」
「そう言ってるんだヨ」

 ピリピリとした空気が続く中、総隊長が一声張り上げる。場の空気が一瞬凍り、総隊長に視線が注がれる。開いた眼から地獄の炎が見える錯覚に陥るほどの圧を放ちながら、市丸に問い掛ける。

「どうじゃい。何ぞ弁明でもあるかの。市丸や」

 その問いに市丸は臆することなく、迷うことなく答える。

「ありません!」
「…何じゃと?」
「弁明なんてありませんよ。ボクの凡ミス。言い訳のしようもないですわ」

 へらりと笑いながら当然だとでも言うようだ受け流すギンに、待ったの声を五番隊隊長、藍染惣右介が上げた瞬間、

『ガァン!!!緊急警報!!緊急警報!! 瀞霊廷に侵入者アリ!!各隊守護配置について下さい!!』

 意図したようなタイミングで鳴る警鐘。図らずもギンの処遇は保留となり、隊長各位は更木剣八を筆頭に持ち場へと立ち去る。
 去り際に不穏な会話を藍染とギンは交わすものの、それが耳に届いたのは日番谷ただ一人だった。


 = = = = =


 夢を見た。それは途方も無く長いようで、一瞬で過ぎ去るような。永遠に続けばいいと願う一方で、決して叶わないと理解できてしまう、そんな儚くも幸せな夢。誰かの、泡沫の夢。
 そんな夢が自分を呑み込んで、侵食していく感覚に夏樹は悲鳴をあげた。自分が自分でなくなって、別の誰かに成り代るような、そんな気がして夏樹は精一杯拒んだ。

「嫌っ…!」
「おはようさん」

 夏樹は目を開けた瞬間びくりと体を揺らした。警戒一色の視線でギンを睨む。それに対して、ひゃあ怖ァと楽しそうに笑った。
 斬魄刀が自分のすぐ横にあるのを確認しつつ起き上がる。

「なんでいるの」

 どうしてこの男は平然と目の前にいるのかも分からない。あの時の感覚が戻るようで夏樹は震えそうになる手をそっと隠した。

「来ないで」

 鬼道を展開しようにも自分の霊圧はあまりにも不安定で、鬼道はパキンと砕けて形を成さなかった。無理に鬼道を展開したせいで目眩がして身体が傾く。

「別にもうなんもせんから。ほら、もうちょい寝とき」

 あやすような口調でギンは夏樹の身体をそっと寝かせる。

「やだっ、ギンのバカ、バカ!触んないでってば!!」
「えー」
「どうして、あんなっ。ひどい、ひどいよ…!」

 体を横に向けて丸くなる。悔しさでまた涙が出てきそうになるのを必死に堪えた。

「ごめんて。ちょっとイラッとしてもうて、つい」
「つい…!?」

 ギンは大して悪びれる様子もなく、へらりと笑ういつもの表情をしているのだろう。夏樹はそう決め込んで背を向けたままにしていた。怒りでどうにかなってしまいそうで、震える拳を隠すように目を瞑る。
 だから、ギンが哀しそうな表情をしていたなど予想すらもしなかった。出来なかった。

―ずっとここに縛り付けるんは難しいやろなぁ…この薬で動けへんのもせいぜいあと1日。覚醒状態が近なる分、えらい事になりそうや

 窓に目を向けると月が薄っすらと光っている。もうじき夜が明ける頃合いだ。全てが動き出す時間が来る。

「次起きたらご飯もうちょい食べや。おやすみ、夏樹」

―なんで、ボクなんかに。みんな、大事なモン遺してくんや…

 ギンはぽんぽんと頭を撫でた。その撫で方は、昔よく母がしてくれた手つきと同じで夏樹はハッとする。
 そういえばよく寝かし付けてくれたのはギンだった、なんて些細な事を思い出して胸が苦しくなった。すぐ横にいるこの男の考えていることが分からない、何も分からない、と。
 そう思っていた矢先、頭上で轟音が鳴り響いた。

「な、なに…!?」
「あぁ、来てしもた」
「この霊圧…!」
「あかんて、まだ。寝とき」
「離してっ!」

 見知った霊圧を感知し、無理に起き上がろうとする。そんな夏樹の行く手を遮るようにギンは顔に手をかざして霊圧をぶつける。くたりと意識を失ったのを見届けると、静かに部屋を去った。
 ごめんな、と小さく呟く声は彼女の耳に届くことはない。