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「痛むところはない?」
「………?」

 短髪の女性が心配そうに自分を覗いているのが視界に入る。吉良と戦闘になり、敗けた事を思い出し慌てて身体を起こす。

「あっ、まだ無理に動いちゃっ!」
「っつた…」

 激痛が走るが動けない程ではない。慣れれば大丈夫そうだと思った。

「君は旅禍で朽木さんの処刑を止めに来た、間違いないね?」
「………」
「おいコラ、オメーがガサツな顔で質問するから黙っちまったじゃねーか、ゴリラ」
「アァン!?何よこのモミアゲクソ男!ガサツなのはアンタの顔でしょ!?仙太郎!!」

 突然始まる罵声の嵐に夏樹は懐かしさに何故かずきりと胸が痛んだ。ほんの少し前までよく見ていた光景に似ているものだから。

「目を覚ましたようだね」
「隊長!」
「2人とも悪いけど席を外してくれるかい、誰か来ないよう人払いを頼む」
「ですが!」
「大丈夫だよ」

 有無を言わさぬ笑顔に清音と仙太郎は片膝をついて頭を下げた。2人が部屋を出ると、浮竹は人の良い笑みを浮かべてこう尋ねた。

「旅禍、と言うことは朽木を助けに来たのかな」
「…………」
「そう警戒しないでくれ、朽木は俺の部下だ。君を悪いようにはしないよ、枷も何もつけていないだろう?」

 裏のない、穏やかな空気に夏樹も無意識に握りしめていた手を少し緩めた。

「あの、ルキアちゃんの処刑を止めてください…!」
「朽木は、向こうで友人ができたんだな」

 夏樹の必死の形相と相反して、浮竹は少しだけ表情を緩めた。茶でもどうだ、と浮竹は湯のみを渡す。
 不思議と目の前の男性は人を嵌めるような様子もないと直感する。信用して大丈夫な人だと丸で昔から知っているような感覚に夏樹は少し目眩がした。

「俺は浮竹十四郎、朽木の所属する十三番隊の隊長だ。君の名を教えてくれるかな」
「…相模夏樹、です」
「旅禍と言うことは、君は人間…なのかい?」
「はい」
「そうか…じゃあもう一つ。君のこの斬魄刀、何処で手に入れたんだい?」

 浮竹は始解の解かれた斬魄刀を夏樹の目の前に掲げた。空気が少し重くなり、真剣な表情をした浮竹に夏樹は顔を強張らせた。

「どういう、事ですか…?」
「君の斬魄刀、翠雨は…もう随分前に亡くなった死神の斬魄刀だ」
「!!」
「それを人間が持っている筈も、そもそも存在する筈もないんだ。君は一体…」
「分かりま、せん…」

 夏樹は理由もなく浮竹の話の続きを聞きたくないと思うと同時に、考えないようにしたいた事柄たちが形になる事なく浮かんでは消えていた。

「気が付いたら、死神の力があって、だけどっ……あの、その亡くなった方の名前、聞いてもいいですか」

 自分の心臓の音がやけに頭に響いて、口の中がカラカラと乾いていく。
 自分の記憶があの日の夜に巻き戻り始める。ざりざりと砂を踏む音と、月明かりと、白い仮面。

「…平子千代。旧姓は常盤なんだが、オレの親戚の子でね。その髪飾りももしかして、彼女の物じゃないのかい。千代がずっと大事に着けていたんだ。夫からの贈り物だと大事にしていた物によく似ている」

『オレが嫁さんにあげたやつやからなァ』

「う、そ…」

―あれは、冗談なんかじゃなくてっ……私、ずっと、平子くん、なんで…っ!

 夏樹は血の気が引いていき、思いもよらぬ形で伝えられた事実に手が震えた。視界がぐるぐると回って、砂を飲み込んだような吐き気が頭を殴り付ける。

―お姉ちゃんは、斬魄刀なんかじゃない、死神だ…死神だけど、私の中に、いる。だから平子くん達はっ…

「…何か知っているんだね」
「あ、あ…」

 呼吸すらも苦しくて、夏樹は震える手で顔を覆った。

「お姉ちゃん…」
「?」
「わたしの、私の中にいるんです」
「!!」
「どうし、よう…私、なんで、こんな…」
「隊長!刻限まであと3時間切りました!」

 襖の前で仙太郎が声を張り上げる。浮竹はハッとした様子で立ち上がった。

「君が何者なのかは後で聞かせてくれ。今は朽木の処刑阻止が先だ。君も来るなら俺と一緒に来なさい」

 夏樹は返事もする事も出来ず、浮竹が立ち去るのを眺めるしかなかった。清音が交代するように部屋に来て、移動しながら治療を続けるからね、と言った。
 夏樹は言い知れぬ不安を抱えたまま浮竹の後ろをついて走る。清音の治療の甲斐もあり、難なく動ける程度まで回復していた。
 崖の上方からとてつもない霊圧が上方で渦巻いている。圧が上がるのに合わせるように、夏樹の心臓は悲鳴を上げるように痛む。

―だめ、だめ…!!!

 伝わる、彼女の心の内の静けさが。それは何処までも澄んでいて、冷たく、哀しい覚悟。

「浮竹さんっ!!!」
「あぁ、分かってる!!」

 思わず目尻に涙が溜まるのを乱暴に拭き取った。3人が前を走るのを少し遅れて必死に着いていく。
 夏樹がどうにか丘に辿り着いた時、一護がちょうどルキアをぶん投げたところだった。浮竹は極刑の阻止に間に合ったようで、夏樹はほんの一瞬安堵の息をついた。

「そこの人!こっち!!」
「相模!?」
「縛道の二十一!赤煙遁!!」

 大した効果もないと分かりつつ、煙幕を投げつけると赤髪の男の襟足を掴んで崖を飛び降りた。

「うぁぁあああああ!!?誰だおめー!!」
「相模なぜ貴様まで!!?」
「いいから黙って!!!」

 夏樹は両手を地面に向け、ぶつぶつと言の葉を紡ぎながらちょうど良い場所を必死に探す。チャンスは一度きり、狙いを外したら死ぬ。そんな状況に夏樹は目をしっかり見開いて叫んだ。

「縛道の三十七!吊り星!!」

 狙い通り、落下地点のやや上空に吊り星を張ると3人は勢いよくそこに沈んだ。ばいんと弾けてゴロゴロと壁に勢いよくぶつかり土煙が上がった。

「しししし、死ぬかと思った!!!」
「博打だったのかよ!!」

 赤髪の少年はそう叫ぶが夏樹の耳には届かず、ルキアと目を合わせるとぼろりと涙を流した。

「ルキア、ぢゃんっ…!」
「なぜ…」
「だすけに、来た!」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、夏樹は精一杯の笑顔を作った。

「行こう、こっち!今は逃げなきゃ!!」

 勢いよく鼻をすすると、夏樹は走り出した。阿散井恋次と名乗った少年は素直に夏樹の後ろをついて走る。

「こっちってオマエ何処いくつもりだよ!」
「阿散井くん策とかあんの!?十三番隊!!浮竹さんが穿界門を手配してくれてる!ルキアちゃん、諦めなよ!死ぬの!!死なせないよ!」
「相模…いや、放せ!放してくれ…!」

 ルキアは思い出したように恋次の腕の中で身動ぎする。一護を助けなくては、と。
 けれどそんなルキアを諭すように恋次は一護の言葉を伝えた。

『俺はルキアに命を救われた。俺はルキアに運命を変えてもらった。ルキアに出会って死神になったから…俺は、今こうして、みんなを護って戦える』

 その言葉を聞いて、ルキアは涙を隠すように恋次の死覇装を掴み、謝罪と、礼を呟いた。
 夏樹は 瀞霊廷を走りながら、これで良かったのだと、心底嬉しく思った。そうして、抱え込んでいた言い知れぬ不安と予感は、現世にまで行けばどうにかなると、本気で思っていた。
 目の前に、突如彼が現れる直前までは。

「…と…東仙隊長…!?」

 褐色の地肌に目立つドレッドヘアを束ねて寡黙に立つ青年を前に、2人は足を止める。
 夏樹の記憶の奥底から新たに掘り出されたのは、父とギンのいつも一歩後ろに居た青年の姿。寡黙だが人一倍正義感が強く、いつも子供には小難しいことばかり考えていた男だった。けれど、差し出される手はいつだって優しくて。記憶にあるのは茜さす夕暮れの帰り道に手を繋いで童謡を歌ったこと。
優しい記憶と共に夏樹は押し殺したはずの恐怖と吐き気が戻る感覚に膝をつく。
 心臓が逸るのを止められない。喉の奥に纏わり付いた嫌な予感が今すぐここを離れろと告げていた。