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「なんで…」
「要、なんで要までいるの…!!」

 夏樹が愕然とした表情を作る中、東仙は無言で手に巻いた布を解いた。その瞬間、4人を包み込むように布がドーム状に旋回する。

「な………!?何だよこりゃ…!?」

 酷い土埃が立ち、漸く視界が晴れた中目を開くと、其処には破壊された二本の磔刑が建っていた。

「ここさっきの…」
「双極の丘―――…?」

 十三番隊の隊舎まであと少しだった。けれども、全てが巻き戻ったかのように3人はふりだしに戻っていた。

「ようこそ、阿散井くん。そして…大きくなったね、夏樹」

 聞き間違える筈がなかった。何度も、何度もその声を再び聞けることを夢に見た。嘘だ、と思う一方で、ギンに再開した時からずっともしかしたら、そう思っていた。

「朽木ルキアを置いて退がり給え」
「おと、う…さん」

 酷く皺枯れた声が辛うじて音になった。

「どうして、」

 同時に恋次がハッとする。天挺空羅による真相の伝達が始まったのだが、勇音に補足されていない夏樹にその声は届かない。

―何が、何が起こってやがる…!

「お父さん!!!」
「あ、バカ!」

 同時に起きる理解不能な出来事に恋次はどちらに気を配ればいいのか、神経を尖らせるも散漫になる。夏樹は涙を目に溜めたまま藍染に駆け寄った。

「お父さん、なの?…本当に?」
「見ないうちに随分綺麗になったようだね、お母さんにそっくりだ」

 ぽんぽん頭を撫でる様は記憶にある姿となんら変わらない父の姿だった。夏樹は声を上げて泣きながら藍染に抱き着く。温かい、生きている。ずっと求めていたものがそこにあって、夏樹は何も考えられなくなる。

「おど、さっ…!」

 片手であやしながら藍染は冷めた目でもう一度恋次を見据えた。

「…さて、聞こえていない筈はないだろう?仕様のない子だ。二度は聞き返すなよ。朽木ルキアを置いて、退がれと言ったんだ阿散井くん」
「お父さん…?だ、だめ!ルキアちゃんをっ」
「馬鹿!そいつから離れろ!!その人がルキア処刑の元凶だ!!」
「今なんて…」
「ギン」

 夏樹は勢いよくギンに引っぺがされると、後ろでに手を拘束された。

「さて」
「お断りします」
「……何?」
「断る…と言ったんです。藍染隊長」
「離して!ギン!!」
「あかんよ、大人しゅうしとき。怪我するで」

 もがき暴れるも、ギンの拘束は微動だにしなかった。それでも夏樹は暴れることをやめない。

「お父さんやめて!!なんで!!!」
「夏樹、少し黙りなさい」

 藍染は夏樹に一瞥くれることなく、一歩前に踏み出ると刀を抜く。

「…夏樹、こっち見とき。あんま見てええもんとちゃう」

 ギンは夏樹の体勢をぐるりと変えると自分の胸板に顔を押し付けた。夏樹が動けぬよう縛道をかけると、ヒュッと短く息を吸う音がした。

「ギン、はなして…」
「あかんよ、死にたいん?」
「だって、ずっと、きこえる、とめなきゃって」

 戦況は目まぐるしく変化する。恋次が藍染に応戦する中、一護も参戦する。その様子を夏樹は音と霊圧でしか感知できない。ギンに縋るように束縛を解いてと頼むが、彼は首を縦には振らなかった。
 一護と恋次が地面に倒れ、ルキアが藍染に掴まれている中、まるで講義をしているかのように藍染は『虚化』について語る。

「死神の虚化、虚の死神化。相反する二つの存在の境界を取り払うことでその存在は更なる高みへと上り詰める」

 夏樹はそれを聞きながら、自分の奥底が酷く騒つく感覚に苛まれていた。『虚化』という単語に夏樹は平子達の事が即座に思い浮かんでいたからだった。
 漸く縛道が解かれ、夏樹は引力に引かれるかのように藍染の方を向く。嫌な予感が氷水に全身を浸けたような寒気になって夏樹の声を震わせる。

「虚化って、まさか、」
「あぁ、彼らは失敗作だよ。実に詰まらない結果だった」

 それは教壇に立つ教師のような、雄弁な語り口で告げられる『崩玉』の存在。
 藍染は穏やかな笑みを称えて夏樹を見やる。

「夏樹、君の崩玉は平子千代の魂魄を元に一から創ったが未完成でね。解るだろう?君の力が融合していく感覚が」
「なに、いってるの…」
「夏樹の崩玉が、朽木ルキアの崩玉と共鳴し、死神の力を創り出したと言ったんだ」

 夏樹が目にしたのは、いつもの、記憶にある優しい笑みを称えた父の姿だった。視覚と聴覚から入る情報のあまりの落差にくらくらと目眩がする。

「やはりあの人はこんな姿になっても僕を楽しませてくれる。君の経過は本当に興味深い事ばかりだ」

 どこか愉快そうに話す父の言葉の意味が分からなかった。ギンがぼそりと呟いた。

「夏樹の全部、また今度教えたげるわ」

 顔を見上げるとギンは少し哀しそうに、薄く目を開けてこちらを見ていた。藍染は混乱しきった公聴者を気にかける事なく講義を続ける。
 何の話なの、と夏樹が口を開いた瞬間、轟音と共に大きな狗の死神が現れた。と、思えば呆気なく倒れてしまう。
 藍染が何をしようとしているのか夏樹が理解した瞬間、ギンは夏樹の両腕を押さえつける。

「ギン!離して!」
「あかんて、暴れたら」

 藍染は悠然とギンに近づくと、ルキアの首輪を手に取った。

「だめ、お父さん、やめて、」

 震える声で夏樹は必死にもがくが、拘束は緩まることがなかった。
 藍染は一度だけ夏樹を見ると、ゆるりと微笑みを浮かべる。

「やめて!!!」

 ルキアの胸の中から藍染は崩玉を目的通り取り出した。

―パキン

 その瞬間、夏樹の中で何かが弾けるような音がした。暴発した霊圧にギンの拘束が緩んだ一瞬、夏樹は藍染に向かって飛び出していた。

「あ、いや…いやあぁぁぁあああぁぁぁ!!!!」
「…ほう、魂魄自体は無傷か。…素晴らしい技術だ。そして、共鳴先にも影響が出たようだね」
「やめて!もう、やめてっ!!!」
「大人しくしていなさい、夏樹」

 パシンと乾いた音がして、夏樹の指は藍染に届く事なく、身体は地面に倒れこんだ。頬がジンジンと痛んで、暴発した霊圧は少しだけ大人しくなった。

「君はもう用済みだ」

 ルキアを持ち上げると薄ら笑いを浮かべて終わりの一言を告げる。

「殺せ、ギン」
「…しゃあないなァ。射殺せ、神鎗」
「ダメェッ!!!」

 夏樹はふらつく身体でギンとルキアの間に立った。刀も持たず、ただ己の身を呈した。脇腹を貫く瞬間に痛みはなかった。抜かれた瞬間、自分の血飛沫が飛んで、夏樹はあぁイヅルさんに斬られた時も後から痛かった、なんて呑気なことを思っていた。
 血がドクドクと流れて、痛みで声を上げることすらままならない。それから何が起きたのかぼんやりとしか捉えられず、最後にギンの口がこちらに向かって「ごめんな」と言ったような気がした。