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 それから夏樹が目を覚ましたのは、全てが終わって3日も経った頃だった。

―…尸魂界に来てから倒れてばっかじゃない

 卯ノ花と名乗った女性の死神から夏樹の内で暴れる霊力が治癒を遅らせた、との話を聞かされるがぼんやりとした思考ではそうですか、と返すので精一杯だった。

「やぁ、怪我の具合はどうだい」
「浮竹さん…すみません」
「いや、女の子にこんな怪我を負わせることになってしまってすまないね」

 病室に浮竹と2人、花瓶に挿した花は織姫とルキアからの差し入れだと聞いた。
 浮竹がゆっくり椅子に座るのを眺めながら、自分は今誰なのか、そんな疑問に背筋が凍る。ぐらぐらと揺れる自分の霊圧はどこか他人のもののように感じた。

「…阿散井くんから聞いた話だが、藍染惣右介が父というのは本当かな」
「…はい」
「そうか」
「あの、父は、いつから尸魂界にいるのですか」
「100年以上前だよ」
「!!…そう、ですか」

 夏樹は口を開きかけて閉じた。浮竹に聞こうとした、自分の斬魄刀の持ち主の事を。けれど、口にしようとした瞬間、こみ上げる恐怖がそれを阻止した。
 自分の足元がグラグラと揺れて、自分が自分で無くなる感覚に足が竦む。霊圧暴走に飲み込まれるのとはまた違う、理屈として自分の正体を理解できてしまう恐怖だった。

「君は…藍染に言われてこちらに来た訳ではないんだね」
「…はい。父は7年前に母と一緒に死んでしまったと思っていたので。ごめんな、さい…よく分からないんです」

 じわりと涙が目尻に溜まって、堪えようとすればするほど、情けなく声が震える。まるで同情を誘おうとしているようで恥ずかしくなった。

「吉良から市丸の姪だとも聞いているんだが…」
「あ、それは適当かと…ギンは、父とよく一緒に遊んでくれた…兄のような、そんな人でした」

 一呼吸分息を吸って涙を拭う。

「あの、今回の件の詳細を、聞かせてもらえませんか。父と、ギンと要は…何をしたんでしょうか」
「…いいだろう、けどそれは傷が治ってからだ。こんな傷で聞くような話でもないし、時間はあるからね。今は療養しなさい」

 人のいい笑顔で、美味い饅頭があるんだ、と言った。風呂敷を開くと小粒の饅頭が笹船に綺麗に並べられている。
 起きてからしばらく何も口にしていなかった夏樹のお腹はぐうと音を立てた。

「おーい、君も入ってきたらどうだ!」
「?」
「…その、失礼します」
「イヅルさん!」
「怪我の具合はどうかな…」

 湯呑みを盆に乗せて、暗い顔のまま恐る恐ると言った調子でベッドに近付いた。

「もう大丈夫だと思います」
「そう…その、申し訳ない事をした。すみませんでした、君を傷付けて」

 吉良は途中までオドオドとしていた視線をしっかりと夏樹の方に見据えて、深々と頭を下げた。

「あ、あの!大丈夫なので!顔を上げてください!!状況が状況だったし、その、えーっと、大丈夫です!!」

 わたわたと慌てる夏樹を見て浮竹はカラカラと笑うと、君も一緒に食べて行きなさいと饅頭を差し出した。


 = = = = =


「相模っ!具合はどうだ」
「ルキアちゃん!」
「先輩〜!美味しい大福貰ってきましたぁ!」
「井上さんも!」

 ひょっこりと2人は病室に顔を出した。あの日から6日経った今もまだ治療が完全に終わっていない夏樹だけ病室で過ごしていた。2人はしょっちゅう顔を出しては何番隊はどうだ、あそこの甘味屋さんが美味しいのだなどと話をしに来ていた。

「ありがとう、もう痛みもね、殆どないから今日もそろそろ出歩いてもいいって」
「そうか…!それはよかった」

 ルキアは夏樹に真剣な顔を向ける。どうしたの?と思わず笑って誤魔化しそうになるのをぐっと堪えて彼女の言葉を待つ。

「改めて相模…ありがとう」
「えっ、な何…?」
「怖かっただろう、刀を握るのは。痛かっただろう、斬られるのは。私の中にあった崩玉が相模を呼んだのだとしても…嬉しかったのだ、来てくれて」
「だから、ありがとう、と…って何故泣くのだ!?」
「ご、ごめっ…!」

 ぼろぼろと溢れる涙を夏樹は慌ててぐしぐしと擦り取った。

「私っ、来て良かったのか、ずっと…わがらなくて…っ。何が正しいのかも、分かんなくて、でもっ…」

 良かった、と小さく呟いた声に、ルキアはそっと手を取った。

「尸魂界で、私は友人と呼べる者が居なかったんだ。だから、貴様とけーきを食べに行った事も、井上と昼餉を共にした事も、今ならちゃんと言える。大切だったと」

 どこかぎこちない笑みで、ルキアは笑ってみせた。それが照れ隠しだという事に気付いた夏樹は少し笑ってしまった。
 もう彼女との繋がりは感じられない。あの時の感覚は眠ったように静まっていて、きっともう二度と彼女と繋がることはないのだろうと思う。けれども、そんなものがなくても、自分たちは繋がっていられるのだと確かな感覚がここにあった。


 = = = = =


 7日目の現世に戻る日、経過を診てもらい傷の完治を確認できた。傷跡もほとんどなくなって夏樹は漸く安堵の息をついた。
 事の経緯を聞いて、父が犯した大罪について本当なのだと実感が得られた訳ではないが、兎に角事実として理解はできた。あの人は、悪人だったらしい。
 そあの丘での冷たい目を見れば否定できなくなってしまった。本当は温かい人なのだと言いたかったが、どちらが本当なのかも分からない。
 ただ、平子達の事を思い出して色々と合点のいってしまう疑問点が多く、それだけで帰りたくないなどと思ってしまうのだった。

 夏樹はふらふらと尸魂界を歩く。あの時見知ったと思った感覚は何処かへ消え失せて、今は何も見知らぬ場所となっていた。迷子になるなぁと思いつつも、知り合いの霊圧は瀞霊廷のどこかに居るのは分かっていたので特に心配はなかった。
 途中、ルキアを探す一護と織姫と合流して西流魂街の外れへと足を運んだ。帰る前に挨拶はしておきたかった。
 漸く見つけたルキアは何とも感想を言いたくなくなる竜骨な腕のオブジェが建つ家にいた。ルキアの残る、という選択に一護も、織姫も夏樹も賛同した。今度は3人でケーキを食べに行こうと約束もした。
 穿界門の手筈も整い、帰る時が来る。浮竹から一護と同じ代行証というものを手渡された。
一護はなんて事ない表情をしていたが、夏樹はどこか不気味に感じたそれにあまりいい印象を抱かなかった。そもそも、こんなものがなくても死神化できる自分には不必要なものだ。他の死神との誤解を解くものだと言われれば受け取るしかないのだけれど。
 またすぐ会えるとルキアとの別れを惜しみながら夏樹達は穿界門をくぐる。

「なんで!?」
「なんで俺らまたこの危ないトコ通ってんの!?」

 一行はあの恐怖の拘流をドタドタと走っていた。文句を言いながらも勢いよく出口に飛び込めば、何やら揉みくちゃにされつつも現世へと帰還する事ができた。
 浦原の不思議な空飛ぶ一反木綿に乗って皆が帰っていく中、1人鳴木市に家のある夏樹が最後となった。無言が続く中、先に沈黙を破ったのは浦原の方だった。

「アジトを空座町に移されたそうです。これ新しい住所っス」

 浦原の差し出したメモを一瞥すると、夏樹は手をきつく握りしめた。平子と交わした約束が頭を過る。帰ってきたら話をしようと、そう交わした約束。

「…浦原さん、平子くん達に、私は…怪我なく帰って来たと伝えてもらえますか」
「それはご自分で伝えた方がいいんじゃないスかねぇ。アタシが言ったらひよ里サンに怒られちゃいますよ」
「ごめんなさい…ここで降ろして下さい。送ってくださってありがとうございました」

 夏樹は勝手に飛び降りるとぺこりと一礼してから浦原達から離れる。それ以上の会話をする気がないと拒否の姿勢を貫いたまま、夏樹はその場を走り去った。
 受け取ってもらえなかったメモを懐に仕舞いながら苦笑いを零す。

「…嫌われちゃいましたかねぇ」
「それだけの事をした自覚があるだけマシかの」
「まぁ、彼女自身が整理する時間も必要でしょう。受け入れるだけでも時間が掛かる話っス」

 浦原は伏し目がちに夏樹の去っていた方角を見つめつつ、ケータイを取り出した。

「もしもし〜平子サンですかァ。浦原っス!」

 いつもの様に戯けた口調で、伝えるのは向き合うには余りにも辛い事実。電話の向こうで淡々とした返事が聞こえたのち、ドンガラガッシャンと派手な音が耳を劈いた。
 浦原はきっとひよ里だろうと苦笑いしながら電話を切ると、フゥと溜息をついた。

「…これからっスね」
「そうじゃの」