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 きっとそこに建物があることすら誰も気づかない。街のはずれにある廃墟のひとつから女の子の大きな声がする。

「何シケた面しとんねん、ハゲェ!」
「ぶほっ」

 小柄な少女は金色のツインテールを揺らしながら、もはや恒例の飛び蹴りを平子の顔面に食らわせた。くりくりとした瞳が可愛らしいが、その表情はしかめっ面で目付きは非常に厳しい。ドンガラガッシャンと派手に瓦礫が崩れると音が響いた。
 これだけの騒音があっても、廃墟の外に居つくネコは欠伸をひとつするだけで、まるで何も音が聞こえていないかのように過ごしていた。いや、本当に何も聞こえていないのだ。

「何すんねん、このボケひよ里!」

 顔面を押さえて涙目のまま平子はひよ里と呼んだ少女を怒鳴りつけた。そうして始まる取っ組み合いに、ガタイのいい銀髪の男だけがため息をついた。ほかの面々は特に気にすることもなく各々のしたいように過ごしている。

「ったく、朝からうるせーよ!静かに朝飯食うこともできねーのか!!」
「そう言う挙西が一番煩いんじゃん〜、おこりんぼ!」

 ショートヘアに目立つ黄緑色の髪をした少女は、挙西と呼んだ男の頬をぐりぐりと突く。

「白、お前は黙ってろ!」

 白と呼ばれた少女は身軽にバク転してから、べーっと舌を挙西に突き出した。
 これが平子の、彼らの日常だった。それぞれが好き勝手に過ごして、つかず離れずの距離を保つ。平子はどうにかひよ里との取っ組み合いを終わらせると、席に着いた。各々が食べたいものを食べたいだけ食べていた。
 平子はトーストした食パンとコーヒーを。ひよ里は白米とインスタントのお味噌汁、白はグラノーラに牛乳をかけたもの、そして挙西はプロテインをごくごくと飲んでいた。
 奥のソファでゆったりと過ごすのは鳳橋楼十郎。緩く波打つ金髪を携えた大男だ。ローズ、なんてふざけた渾名を付けたのはまだ白い羽織すら羽織っていなかった頃の平子だと言うことを知る者は少なかった。
 その隣で爆笑しながらジャンプを読んでいるアフロは、愛川羅武、ファンキーな見た目と名前が妙に一致しているとローズは特にお気に入りなのだと平子に話していた。
 今日はこの6人だけが朝食の時間にリビングに来ていた。ほかのメンバーは寝ていたり、散歩に出かけていたり、彼らは仲間とは言え、いたって気ままに自分の時間を過ごしていた。

「またあの店行くんか?」
「行くんは明日や」
「お前行き過ぎやぞ、最近!なんやねん、汐里にお熱か」
「アホ!なんでおしめも替えとったガキンチョにお熱になんねん」
「前までそないに行っとらんかったやんけ、まァた隠し事か」

 イライラとした様子でひよ里は白米をかきこむ。人間嫌いのひよ里は平子が汐里の家に入り浸るのをあまりよく思っていなかった。

「ちゃうわ、お梅の調子が良くないとか言うから様子見たってるだけや」
「…あんまり入れ込むんとちゃうぞ」
「わーっとる」

 本当は別の理由だが、平子はひよ里からの問答から逃れるために汐里の祖母の名前を出した。違うのだろうとひよ里は気付きつつも、それ以上は言及しなかった。
 平子が何か隠して動くことなどいつものことなのだ。そして、何もかも1人でやろうとする平子に対する腹立たしさを隠すことなくフンとそっぽ向いた。

「あぁ、今日はそうか…ひよ里が荒れるわけだ」

 カレンダーをちらりと見た挙西はため息をついて、ひよ里と平子を交互に見る。すこぶる機嫌の悪いひよ里と、どこかいつもよりやる気のない平子。平子はご飯を食べ終えると肩掛けのリュックを手に取った。今日は11月17日、毎年恒例となった行事の準備をしなくてはいけないのだった。

「早よ用意せぇや!置いてくぞひよ里!ラブ!」
「やかましいわ!」
「拳西は用意するもん分かっとるやろな、今日やて忘れてたやろ」
「今思い出したから大丈夫だよ、やることはやっとくっつの。それよりこいつのおはぎ頼むぞ、絶対うるせーから」

 ひよ里の顔はいつも通り険しいが、いつもと違って素直に出かける準備をして、モタつくラブを急かしていた。

「ったくオメーは別にそんなにせかせかしなくてもいいだろうに…」
「やかまし!さっさと行くで!」
「はいはい」

 大きなスーパーに平日の朝から気だるげな関西弁の金髪の男と真っ赤なジャージを着た小学生のような少女とアフロの男。何とも目立つ出で立ちだが本人たちは何も気にすることなく、ギャーギャーと騒ぎながらカートを押していた。
 卵と牛肉、ゴボウにシャケ、ごま、切り干し大根、それから白用のおはぎ。慣れた手つきで平子とひよ里はどんどんとカゴに商品を突っ込んでいく。

「こんなもんか?あ、今日ジャンプの発売日だ、買って行かねーとな」
「海苔こんだけで足りへんわ。あと3つくらい突っ込んどいたろ」
「あっ、ひよ里!人参を戻そうとするんじゃねえ!」
「お前まだ人参食えへんのかいな、そんなんやからガキィブッッ」

 その先はひよ里の飛び蹴りにより阻止された。勢いよく飛んでいく平子を特に気にかけるでもなくラブはジャンプをカゴに入れる。

「コラッ、店で暴れんなっていつも言ってんだろ」

 ラブの拳骨がいつも通りひよ里の頭に落ちた。
 騒がしい買い出し組一行は全てのものを買い終えて、アジトに戻れば部屋には既に何やらいい匂いが充満していた。

「戻ったで〜」

 拳西はフライパンを振る手を止めると、皿に炒飯を盛り付けていく。白は器用に4枚の皿を一度にテーブルに運んでいた。

「替わるわ」

 無表情のまま平子は拳西からエプロンを受け取ると、炒飯には目をくれることもなく買い物袋をごそごそと漁る。この日はいつも平子もひよ里も昼食をそっちのけで調理体制に入っていた。
 ひよ里が恨めしそうに人参を睨みながら細切りにしていった。その横で平子は切り干し大根とひじきを水に戻し、生のシャケをコンロに突っ込む。拳西に取らせておいた出汁の味を確認して、ひよ里がささがきしたゴボウを平子が炒めていた。それが終わればひよ里は卵焼きを器用に巻いていく。
 平時であれば耳を塞ぎたくなるほどの喧騒が飛び交う2人が、気持ち悪いくらいに最低限の言葉でのみで調理を進めていた。いつものどつき合いと言えば途中、一度だけ。平子がひよ里の卵焼きを訳腕が上達したことを褒めてやれば、ひよ里は昔からだと平子の脛を蹴ったくらいだ。
 やっぱり気持ち悪いよーと小声で囁く白にハッチはシィッと指を立てる。静かに見守りまショウ、と。

 そうして何時間か経って日も暮れ始めた頃、いつもの喧騒と共にテーブルにドカドカといくつものおかずが並べられていった。切り干し大根、鳥のそぼろ煮、だし巻き卵、ひじきの煮物、シャケと青菜のふりかけ、ゴボウの牛しぐれ煮。純和食のおかずが他にも何皿も並んだ。それに合わせるように炊飯器から軽快な音楽が流れ、2度目の仕事が終わったことを知らせる。

「始めるで!早よ集まり!!」

 ひよ里の掛け声でわらわらとほかのメンバーもテーブルに集まった。
 平子は手を濡らすと1度目に炊いた米を手に取る。リサにシャケのふりかけとだし巻き卵を入れさせると、それをぎゅっと握った。昔の作り方のままラップは使わなかった。慣れた手つきでおかずがミチミチと入った米を器用に1つにまとめていった。
 11月17日、今日は毎年恒例となった仮面の軍勢のおにぎり大会の日だ。平子はおにぎりの中にこれでもかと具を詰め、拳西は食べやすい大きさに、白は星型、ハート形と自由気まま。ハッチは大柄な手に似合わずややひしゃげた小ぶりな俵形おにぎりを握った。具材の組み合わせも自由に、十人十色のおにぎりが次々と積み上がっていった。
 賑やかで楽しげな雰囲気の中、米もおかずもなくなりかけた頃、こんばんは〜と間の抜けた挨拶が部屋に届く。カランコロンと今ではあまり聞かない下駄の音を響かせてやってきたのは、浦原喜助だった。

「遅刻すんなや!ハゲ!」
「あはは、すいません。もう終わりかけですかね」
「お前の分ナシや!」

 ひよ里の罵声にもへらりとした笑顔を崩さぬまま、男は差し入れですと後ろにいたメガネの大男に風呂敷を開かせる。鍋にはほかほかとしたかぼちゃの煮付けが入っていた。
 現世に紛れて生きるようになってから何年かが経った頃、最初は平子1人がこの日におにぎりを作るようになった。 気が付けばひよ里が参加し、面白そうだと喚く白が拳西巻き込み、それに続いてひよ里のストッパー役のラブがローズも道連れに、リサはひよ里に怒鳴られて渋々と。ハッチは自分が参加し良いものかと悩んでいたが、ひよ里にど突かれ、優しい困った笑みと共に参加した。そうして最後に知らぬうちに浦原もテッサイを引き連れて、仲間外れにしないでくださいヨ、と差し入れを持って席に着くのだった。
 歳を重ねるごとに騒々しくなるおにぎりの会。戦時中は厳しいものがあったが、終戦後の豊かな今、節目の行事として馴染み深い習慣となっていた。

「ほな食おか!」

 平子の掛け声と同時に全員が思い思いのおにぎりを手に取った。

「いっただきまーす!」
「おはぎじゃなくておにぎりを食え、白!」

「喜助ェ!お前うちのおにぎり取んなや!!」
「えー、いいじゃないですかぁ。ほらテッサイサンのかぼちゃ、絶品ですよ」
「知っとるわ!」

「ハッチのおにぎり、いつも可愛いサイズやね」
「なかなか握るの難しいデスネ…皆さんのように綺麗にむすべないデス…」

「オレのボンバーおにぎり、今年の最高傑作じゃね!?」
「君のおにぎり、毎年だけど品がないね…」

 賑やかな食卓にはいただきますと声を揃えるような上品さはどこにもない。
 皆がそれなりに腹を満たしつつある頃、平子は自作のおにぎりを1つ手に取ると、そっと席を外した。ふらりと屋上に上がると耳の奥に冷たい風が吹き込みツンとした。
 11月17日、大切な日だった。もう記憶も薄らいで、顔も声も正確に思い出すのが難しい。それでも、確かにそこに居たのだと、忘れることなどできるはずがなかった。あの日々にあった灯りは今も平子の中にあった。

「誕生日おめでとう…お前がおらんなって、もう105年や」

 昨日買った向日葵を抱えて曇天の空を見上げる。
 ようやく、真実にひとつ近付いた。待つのにはもうとっくに慣れてしまった。
 100年以上探し求めた答えを得なくてはいけない。例え何を踏み躙ろうと。

「絶対に、終わらせたるからな」

 慣れた手つきで煙草に火を灯すと、平子は空を仰いだ。この偽りの平和が成す均衡が崩れるのも時間の問題だと、いまだ材料の揃いきらない現状への焦りを白い煙と共に吐き出した。