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「「クリスマスマーケット?」」
「って何?」

 パリンと煎餅の割れる音が響く。今日は汐里の家で次回の演奏会の打ち合わせだ。店番をサボる様に平子も混じって談笑していた。

「空座町の商店街でやってるの!ドイツのクリスマスマーケット!」

 イベントのチラシを広げて見せると夏樹と平子はまじまじとそれを見つめた。

「気の早いこっちゃやな、もうクリスマスて。まだ12月上旬やぞ」
「へぇ、こんなのやってたんだ」
「ね!2人ともこれ行こうよ〜」
「面白そう、行こっか!」

 夏樹はチラシを受け取るとじっくりと中身を見始めた。

「プレッツェルにホットワインだって、ノンアルコールのもある!」
「オレめんどいからパス、2人で行ってきーな」
「だーーめ!夜なんだもん、これ!おとーさんが女の子が夜出歩いちゃダメって」
「おーおー、過保護やのぉ、あのオッサン」

 平子は興味なさそうに耳をほじった。

「ふーん、いいんだそんな態度で」
「おん?」
「この前真子がお父さんのプリン、勝手に食べてたでしょ」
「げ」
「あの時怒られたの私なんだからね!?とゆーわけで!真子は私たちのデートに付き合ってもらいまーす」

 平子はわざとらしくため息をつくと、降参ですと弱々しく両手を挙げた。

「じゃあ今週の木曜日の6時に、駅集合ね」


 = = = = =


 そうして迎えたクリスマス!ではなく、クリスマス1週間前のドイツマーケットの夜。汐里は平子の私服のセンスの良さになんとなく腹立たしさを覚えながらも、じろじろと見るには刺激が強く、つい目を逸らした。カッコイイなんてずるいと思いながら。

「うぅ〜今日寒波来てるんだって、寒い〜!」
「ったく、こんな日に来んでもええやろ」
「だって来たかったんだもん」
「あ、汐里〜平子くん〜!!」

 タータンチェックのマフラーをぐるぐる巻きにした夏樹が2人に手を振った。

「さっぶいねぇ」
「こんな日に行こ言うたアホが悪いねん」
「うっさい!」

 汐里のパンチが平子の鳩尾に綺麗に入ると同時にうめき声が漏れた。

「寒いし真子なんかほっといて早くご飯買いに行こ!お腹すいちゃった」
「私ソーセージ食べたいな〜」
「ちょお!今日誰の付き添いで来たってると思てんねん、もっと崇めんかいっ!」
「オー真子サマ〜」
「アリガタヤアリガタヤ」
「棒やんけ!!!」

 汐里と夏樹の笑い声が響いた。夏樹も随分平子と仲良くなったように思う。平子が汐里の知らぬところで会いに行ってるのだろうと、なんとなく予想が付くが、その事実に目を背けてしまった。
 辺りを見回すと、や緑、白、青と点滅するイルミネーションが辺りを取り囲み、今いる場所が特別な場所なのだと主張していた。吐く息の白さも、かじかむ指先も、なんだか愛おしく思えるほどに。
 食べたいものを各々買ってきて、ちょうどひとつだけ開いていた立ち食い用のテーブルに寄りあった。

「何買ったの?」
「キンダーワインの白とソーセージ!ノンアルコールなんだって、これ。夏樹のなんか甘い匂いするね?」
「あ、私ホットチョコにしたんだ〜あとソーセージ。平子くんは?」
「あー…汐里の赤のやつとホットドッグや」
「あれ…そのグラス、確かアルコールの方じゃ」

 じとりと睨む夏樹に、平子はシィっと人差し指を立てた。

「あれ、平子くんって…成人してる…?」
「まー、固いこと言いなや、クリスマスなんやから。だいたいこんなもんじゃ酔えもせんわ」

 上機嫌にホットワインを口に運ぶ平子に夏樹はため息をついた。軽くお腹を満たすと、次は出店を物色し始める。異国のクリスマスオーナメントが所狭しと並んでいるのを見て、二人は目を輝かせて忙しなく動く。

「ねー、これ見て見て!」
「木彫りのクマさん!うっわ、細かい…精巧だね、すご…」
「あとこっちもこっちも!」

 汐里と夏樹は楽しそうに商品を見て回っていた。その後ろを寒さに負けて余計に背を丸めた平子が付いて回る。

「ねっ、これ平子くんに似てる」
 
 夏樹が指差すのは木彫りの天使の像。聖歌隊の服装を着せられた子供の木像はおかっぱの金髪だった。

「えー、似てるゥ?」
「せやせや、もっとオレはイケメンやぞ。絶世の美男子平子クンやぞ」
「真子はこんな清らかな顔してないでしょ」
「おまっ、可愛くない口やのォ」

 平子はぐいっと汐里の頬を摘んだ。それを見て夏樹は楽しそうに笑った。

「あ、そうだ。私おばーちゃんにお土産頼まれてたんだった。なんかクリスマスぽい飾りがいいって言われたんだけど…」
「飾り?玄関とかに飾る用?」
「かなぁ?さっきの平子くんに似たやつ、可愛いけど1人じゃ寂しいしなぁ…」
「ほなこっちのオーナメントは?」

 平子が指差したのは、小さなベルのついた赤いオーナメントボールだった。

「むっ…!千円だから予算クリア!平子くん、これすごくいいよ!買ってくるね!」

 屋根にぶら下がるオーナメントボールを平子に取ってもらうと、夏樹はレジの列に並ぶために人ごみの中に消えていった。

「ねぇ、真子」
「ん?」
「今日、夏樹居なかったら来てくれなかったでしょ」

 汐里は殆ど確信を持ってそう尋ねた。いくら幼い頃からとは言え、平子は必ず自分と一線を引いて接していた。今回来てくれるなんて今日は槍が降ってくるんじゃないかと思ったくらいだ。

「なんでや、別にお前だけでも来てやったわ」

 平子は表情を変えず、気だるそうに答えた。

「夏樹のこと好きなの?」
「アホ、オレがなんで『人間』なんぞ好きになるんや」

 その答えに汐里の胸はじくりと痛んだ。いつもの飄々とした態度を潜めた平子の目線の先には夏樹がいた。何かを見逃しまいとしている視線だとしても、平子の目に映るのが自分ではなく夏樹である事実に嫉妬してしまう。

「だって真子が積極的に関わろうとするなんて、今までなかったじゃん。夏樹、霊感もないんだよ?何が目的なの?無意味にこんなことしないでしょ」
「…お前には関係ない話や」
「私の友達だもん、関係アリアリだし」

 平子はぴしゃりと汐里との間に線を引いた。

―私はどうして真子と同じじゃないんだろう。どうして真子の悩みに寄り添えるだけの力がないんだろう

 ぐるぐるとそんな想いが胸の中でのたうち回る。

「別にオレの杞憂で済んだらそれでええだけのことや」
「いつも勝手ばっか言う」
「いつも言うてるやろ。いつかは消えるんや、オレらは。もっと生きてるモンに目ぇ向け」

 汐里が平子に触れようとするといつもこうして引き剥がされる。何年経っても、何回言われても、理解したくないと心が叫んだ。

―ずっとずっと、真子のいる人生が続けばいいのに。でも、どうして夏樹を…

「ねぇ、夏樹に酷いこと、しないよね?」
「何もなかったら何もせんわ」

 平子がスッと背筋を伸ばした。平子の目線の先を見ると夏樹が小走りでこちらに向かっていた。

「おっまたせ!」

 さっきまでのどこか不穏な雰囲気は既になりを潜めた。平子のこの変わり身の早さでは、先ほどの不穏な雰囲気など微塵も感じさせない。

「レジすごい人だったぁ…」
「お疲れさん。もうぼちぼちええ時間やし帰ろか。賢治のアホがうるさなるわ」
「汐里のお父さん、結構過保護だもんね」

 鳴木市に戻ると時計はもう10時近くを指していた。夏樹を家まで送り届けた後、平子と汐里は無言で家までの道を歩いていた。クリスマスマーケットが開かれていた駅前と違い、静かな住宅街の夜空は星の数が少しだけ多かった。

「到着」
「ん」
「……ほれ、クリスマスプレゼントや」

突然ポンと投げられたのは小さな赤いお守り袋。

「ありがと…って、これいつもの浦原さんの虚避けじゃん!確かにそろそろ交換の時期だったけどさぁ…」
「ジョーダンや」

 そう言ってカバンから取り出したのはジンジャーマンのクッキーだった。

「良い子のとこにはサンタさんが来るんやろ。ほなまたな」

 平子はお前はまだ子供だとでも言うようにニヤリと笑っていた。実際平子からすれば汐里なんて赤ん坊みたいなものかもしれないが。

「真子っ!」
「ん?」
「今日はありがと」
「えらい素直やな」
「明日アンタが居なくなってもいいようにしてるだけだし」

 仕返しがてらにベッと舌を出してやれば、平子は珍しく汐里に柔らかい困った表情を見せた。

「すまんな、酷なことばっか言うて」

 それだけ言い残すと平子は一瞬でその場から消えてしまった。”モノはあかんねん、残るから、錆になる”。随分と昔、口癖のように言っていた気がする。
きっとこれが最大限に譲歩してくれた証だ。

―なんだかんだ、甘いなぁ

 間の抜けたクッキーにどうしようもなく頬が緩んだ。