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「ったく急に呼び出しやがって一体何の騒ぎだよ…」

 浅葱色の髪を揺らしながら破面が不満を臆することなく零す。
 数字を与えられた破面が一同に揃うだだっ広い広間で、東仙が咎めようとするのを藍染は手で制した。

「もう直きにやって来るよ」

 藍染は紅茶を飲みながら破面、グリムジョー・ジャガージャックの不平に悠然と答える。

「良く来たね、夏樹」

 広間にいる破面は皆入り口に視線をやる。ギンとスタークの横に、見知らぬ死神の少女。破面の視線はその異物を不躾にじろじろと観察した。捕虜か玩具か愛玩動物か、皆好き好きに予想しながら藍染の言葉の続きを待つ。

「紹介しよう、私の娘だ」
「…ど、どうも」
「ハァ!!?」

 藍染の横に立った夏樹は小さく一礼をする。破面の誰もが驚きを隠せぬ様子で少女を改めてまじまじと見た。

「この子の世話役は主にスタークに任せる。それから不用意に傷つけるのも禁止だ。いいね」
「あの、ね、」
「今日はもう夜更けだ。休みなさい。時間はまだ暫くあるからね。君達も各々の宮に戻るといい」

 夏樹の頭をひと撫ですると、藍染は広間を去って行った。

「なんだ、手前ェは…」
「え、っと…」

 夏樹は周囲にいる破面全てが自分が太刀打ちできない強さだと理解しているにも関わらず、恐怖をあまり感じていなかった。グリムジョーに至近距離で睨みを効かされても、恐怖と言うよりも初対面の破面に対する戸惑いを見せていた。

「妙な娘だ」

 その様子を眺めていた唯一の女性型の破面、ティア・ハリベルは独り言ちた。彼女から漂う気配は、今までに自分の感じたことのない感覚。無理やり言葉にするのであれば郷愁、が一番近いように思えた。

「ハイハイ。今日は解散や言うたやん。夏樹、部屋案内してもらい」
「はぁい」

 案内された部屋は広い割に家具は最低限、色もなく、ベッドがぽつりとあるだけで酷く殺風景だった。

「この部屋使うといい。それから…リリネット!」
「うるさい!帰って来るの遅いよ!!」

 子供の破面がぴょこりと窓から顔を出した。片角のついたヘルメットのような仮面が左目まで覆うような形をしている。不満ありげに唇を尖らせながら夏樹たちのそばに走り寄る。じいっと興味深そうな瞳が夏樹の視線とかち合った。

「こいつはリリネット・ジンジャーバック。オレの相棒だ。何かあったらこいつに聞くといい」
「誰これ」
「昨日話してた姫さんだよ」
「相模夏樹です。えっと、リリネットちゃん?よろしくね」
「ふーーーーーん、変な名前ぇ」

 ぐるぐると夏樹の周りを歩きながら観察するような視線を送るリリネットに夏樹は苦笑いを零す。

「すぐ死んじゃいそう」
「大丈夫だ、この人は…俺達と居ても死なねぇよ」
「そ!じゃあ決めた!こいつあたしの子分にする!」
「バカ!藍染サマの娘さんだっつったろ。不用意に傷つけんなって命令も出てる」
「えー!だってスタークは#1なんだから一番じゃん!だからいいでしょ!?」
「何一つ理屈が通ってねえぞ…」
「ね!夏樹!あんたあたしの子分ね!!」
「今日はもうさっさと寝ろ!」

 リリネットはスタークに引き摺られるように部屋を出て行った。ベッドに倒れこむと夏樹はごろりと仰向けになって無駄に高い天井を眺める。

―来ちゃった。ここが、虚圏…。平子くん、ひよ里ちゃん怒ってるかなぁ…

 霊子濃度の濃い虚圏は夏樹の身体に急速に馴染んだ。まるで平子やリサに霊力を分け続けてもらっているような感覚に近かった。
 窓から見える空は深夜だと言うのに青空で、動かぬ白い雲も偽りなのだろうと夏樹はぼんやり眺めていた。

―崩玉から創り出された、破面、か…だからかな、妙に近い存在に感じる。やれる事をやる、変わらない。それは前と変わらないんだから、大丈夫、大丈夫


 = = = = =


 翌日、スタークとリリネットが揃って夏樹の部屋を訪れた。

「ほい朝ごはん。ご飯食べないと死んじゃうって不便だね?」
「ありがとう。リリネットちゃんは食べなくていいの?」
「ここは霊子で満たされてるしね〜ご飯なんて物好きしか食べないよ」
「あー…キッチンとかってあります…?」

 朝ごはん、と称されて渡されたのは果物のカゴ。どうにも食料があってもご飯の形にはならないかもしれない。助けを求めるようにスタークを見ると顎に手を当てて唸った。

「あったような、なかったような…まぁ無いなら作りゃいいだろう。そういや東仙さんも料理が趣味みたいな噂を聞いたような…」
「あっ、要は料理上手なんです」
「したらば、そっちに行った方が早いかもな。隣の宮だしその相談は東仙さんにしてみるといい」
「うん」

 貰ったリンゴを咀嚼しつつ、破面や十刃、番号について、と様々な事を聞き齧る。虚圏に地図はないのだと、スタークは紙に簡単に主な施設を記していく。

「で、姫さん何しにここ来たんだっけ」
「その姫さんってやめて欲しいんですけど…」
「姫さんは姫さんだろ。で、目的は?」
「あー…武者修行?的な?」
「お、本当だったのか」
「へ?」

 スタークはマスカットを口に放り込みながら、リリネットにバナナを手渡す。

「藍染サマがそう言ってたから。父親ってすごいんだな」
「…父親じゃなくてお父さん自体が凄いだけな気がするけどなぁ」
「ねー!じゃああたしとムシャジュギョー?しよ!あたし強いよ!」
「ばか、オマエじゃ相手になんねえよ。とりあえず暫く此処にいるなら生活基盤どうにかして来な。それが出来たら、訓練くらい付き合ってやるよ」

 ぽかぽかとスタークを叩くリリネットを放置して、夏樹に窓から見える隣の奴だと指差した。

「リリネット、案内してやれ」
「しょーがないなぁ」

 リリネットは窓に飛び移ると、早くしないと置いて行くよ!と元気に声を張り上げた。夏樹は慌ててその後ろを追う。

「スタークさん、優しいね」
「えー、そんな事ない!」
「そうかなぁ」
「まぁでも…夏樹はほら、死なないでしょ?あたし達と居ても。崩玉と同じ匂いがする、ちょっと懐かしい。だからかな、一緒に居てもいっかなーって」

 ニシシと楽しそうに笑うリリネットにつられて、夏樹はぱちぱちと瞬きした後、ゆるりと頬を綻ばせた。東仙サンとこまで競争だよ!とリリネットは駆け出してしまったので夏樹も慌てて後を追う。
 だだっ広い宮も作り自体は殆どどの宮も変わらないのだと、リリネットは慣れた足取りでずんずん進む。とある一室で足を止めると夏樹は扉を数度ノックした。

「要、いる?」
「…夏樹か、どうしたんだい」

 部屋を覗くと何やら映像を聞いているようだった。液晶画面を閉じるとコツコツと東仙は夏樹の方へと赴く。

「ここってみんなご飯作らないって聞いたから」
「あぁ…スタークの宮には台所はなかったのか。手配はしておくが今日はここで食べて行くといい」
「ほんと!?」
「君は私のグラタンが好きだったね」
「うん!」
「ぐらたんってなに?」

 東仙との会話を横で聞いていたリリネットは不思議そうに首を傾げた。美味しいご飯だと言うとあたしも食べる!とぴょんぴょん飛び跳ねる。

「じゃあ昼食の時間になったらここにおいで」
「うん、じゃあまた後でね、要」

 宮の外に出ると砂埃が立ち上がるのが遠巻きに見えた。目を凝らすと巨大虚が何匹か蠢いているのが確認できる。

「リリネットちゃん、あの虚と戦ってきていいかな?」
「いんじゃない?」
「私、この辺散策してから帰るから先戻ってて!」
「はいはーい」

 リリネットと別れると巨大虚の前に飛び降りる。大きさの割に知能は低そうで動きは単調。夏樹は斬魄刀を抜くと瞬歩で間合いを詰めて1匹薙ぎ倒した。
 突如1匹倒れたことで巨大虚は新たな敵意に気付き、夏樹に一斉に襲いかかる。攻撃をひょいひょいと避けて、一匹、また一匹と巨大虚の仮面を割っていく。

―本当は、不安で不安でしょうがない。上手くいくのかも分からない。生き残れるかも分からない。力が欲しい、戯言だって笑われないだけの。胸を張ってみんなを守るためだと言い切れる、力が。