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 現世では突如、夏樹が姿を消したことで騒然となっていた。警察への捜索願も出されるが、その行く末を知るものはいない。夏樹の祖母は酷く憔悴していて、汐里もまた毎夜泣き腫らしていた。
 一護やルキア達もまた彼女の捜索、奪還をすべきだと主張するが、浦原は夏樹が藍染の元へ自ら行ったのではないかと推察する。護廷十三隊の長として山本元柳斎は、"無理矢理連れ去られたのだ"というルキアの主張は却下した。二人が親子であるという観点から彼女もまた叛逆者と認識したのだった。
 そして、その結論を助長するように突如空座町へ襲来した破面ウルキオラから告げられてしまう。夏樹様は自らの意志で藍染様の元に座すのだと。

 平子はアジトで積み上がった瓦礫の上に座り込んで口をへの字に曲げていた。学校から帰って来ると誰とも話さず、一人でいられる場所で座り込む日が数日続いていた。

「真子、あんたの霊圧鬱陶しいんやけど!」

 あからさまにピリピリとした殺気を放つ平子にリサはイラついた口調で怒鳴りつける。

「やかましいわ」
「夏樹が自分で悩んで選んだんや、あの子は千代やない。そう言うたんは真子やろ。何拗ねてんの、女々しい」
「五月蝿い」
「千代に呼ばれんかったから悄げとるんか」
「五月蝿い言うてるやろ!!」

 平子の怒鳴り声にリサはぴくりとも動じることはなかった。その様子をひよ里は一歩離れたところから眺めている。

「夏樹と千代は別や言うたんは真子やろ!!しゃっきりしやあ!!!」
「分かっとるわ!ンな事百も承知に決まっとるやろ!!!せやけど!千代が守る言うたんモン盗られて冷静でおれる訳ないやろ!!」
「やっぱり」

 リサは無言で詠唱破棄した赤火砲を平子に放った。平子は慌てて突然至近距離で飛ばされた鬼道を避ける。

「何すんねん!いきなし!!」
「アンタ、今まで夏樹の何見てきたんや」
「は?」
「夏樹のこと千代を通してしか見れてへんからそうなるんや」

 吐き捨てるように、酷く冷めきった表情で平子を睨んだ。アンタがそんなんやから、と苦虫を潰したような顔で呟かれた科白の続きは紡がれることはなかった。リサ自身も自分のしていることが八つ当たりだと気付いて踵を返した。
 そんな二人の様子を影から見ていたひよ里もまた自室へと戻る。

「やから、人間を入れるなんて反対やったんや」

 裏切られたと感じる心の傷跡を隠すような言い訳をひよ里は小さく呟いた。
 平子は誰もいなくなった瓦礫の山の上で月を見上げる。

―分かっとんのや。理屈は分かっとんのや

 夏樹が藍染を追った訳も想像はつくし、そうするだろうと予測もできていた。不自然なほど父親のことを黙秘した彼女にとって、父親の存在が大切であること、誰も見捨てられない甘さがあることも、最初から分かっていた。
 それを頭でどれだけ頭で理解したとしても、平子の心は微塵も追いついていなかった。追いついたつもりであった事を、今改めて突き付けられた。

―オレは、夏樹を助けられんかった

 千代の遺した何かが夏樹の中にあるのが、愛おしかった。千代が助けたいと望んだから、自分も守りたいと思った。
 崩玉の中に残る彼女の魂魄は、今も夏樹を守り続けている。だから本来であれば人間が耐えれるはずのない崩玉との融合も奇跡的に成立しているのだろうと浦原は言っていた。

―夏樹がオレに行くって話をしてたら、切ってでも止めてた。何が何でも藍染のとこになんかやらせへんかった。それをアイツも分かってたから、リサを呼んだんや

―そんな事、分かってんのに、分かってんのに…!!

―夏樹は千代やないって、何遍も何遍も自分に言い聞かせて、ようやっと、少しだけ夏樹を見れた言うのに

 千代は物事をハッキリと言うし、考えていることも表情に出るタイプだった。何かを決める時も一人で黙り込むこともなかった。そう、夏樹とは正反対の女だったのだ。
 尸魂界に行く直前の深夜の屋上で、自分が行かなければ夏樹は一人不安を押し殺して尸魂界に向かっていたのだろう。そういうところも、似ていない。少女の背負う運命に立ち向かう力が少しでも、少しでも支えになれたらとあの日手を重ねた。
 それなのにーーー

―オレは最後の最後でヘマをした

―千代が生きてる言われて、揺らいだ。せやから、夏樹は父親を止めに、向こうに行ってしもうた

 自責の念ばかりが強くなる。向こうで酷い目に合っていないだろうか。怪我はしていないだろうか。洗脳されてはいないだろうか。そんな心配ばかりが浮かんでは消える。

―せや。アイツを本気で、信用なんて、出来てへんかったんや。真実と向き合うのが、怖ァてしゃーなかったんや。それを、アイツは見抜いてた



 = = = = =


 手当たり次第に虚を討伐する日々が始まった。どうやら崩玉とこの虚圏は相性が良いらしく、力を使えば使うほど周囲の霊子を取り込んで力の上限は上がっていく。崩玉は精神に呼応するのだと聞いたから、きっと自分の願いに反応しているのだろうと夏樹は斬魄刀を振るい続けた。

「藍染サマからの招集だよー、夏樹も来るようにって!」

 リリネットの呼びかけに斬魄刀を鞘にしまうと、汗を拭う。こうやってまともに話のできる破面というのは少ないらしかった。戦闘狂や外道な倫理観を持つ研究者もいて、そいつらには近付くなとギンに強く釘を刺されてしまっている。

「お父さん、用事って?」
「あぁ、現世に行っていたウルキオラが帰って来たんだよ。…さあ、見せてくれ、ウルキオラ。君が現世で見たもの、感じたことの全てを」

 何をするのだろうかと訝しげに見ていると、ウルキオラは自身の左目を抉り出す。そのまま何のためらいもなく砕かれた眼球の破片は辺りを漂う。夏樹の口に霧散した欠片が入った瞬間、彼の見て来た光景のすべてが夏樹の脳裏に流れた。

「う、そ…たっちゃん、井上さん、茶渡くん、一護…」

 身体の震えが止まらず、その場に崩れそうになるのをどうにか堪える。グリムジョーがウルキオラに文句をつけるが、夏樹の耳には届かない。

「どう、して…」
「崩玉が覚醒するまであとおおよそ2ヶ月。私は空座町へ侵攻する」
「お父さん……?」
「王鍵の創生に必要なのは十万の魂魄と一霊里に及ぶ重霊地。夏樹の耳馴染みが良いように言えば、空座町の人間の魂と土地が私の目的に必要な材料、ということだよ」

 限界を超えた夏樹はその場でずるずるとしゃがみこんでしまう。話の全てを理解できた訳ではない。それでも父のしようとしていることは大量虐殺だということ、邪魔をする死神を殺すことも、それだけはハッキリと理解できてしまった。冷や汗が止まらず、震えを抑え込むので精一杯だった。

―本気だ、本気で、みんなを殺す気なんだ

「夏樹、来なさい」

 手招きされて壇上の奥に呼ばれ、ふらふらと立ち上がって後に続く。藍染が円柱に手を翳したその瞬間、ざらりと身の毛のよだつような感覚に夏樹は反射的に柄に手を掛けた。

「破壊しに来たんだろう?」

 穏やかな笑みと相反する冷え切った視線を夏樹に送りながら、藍染は円柱の蓋をスライドさせた。黒と藍を混ぜ込んだような、小さな宇宙を無理やり箱に押し込めたような、そんな薄気味悪い小さな球体が姿を現す。

「ぅ、あ…」
「一度だけ、チャンスをあげよう。彼らを裏切ってこちら側についた娘への褒美としてね」

 裏切ってなんていない。そう冷静な時であれば返したかもしれない。けれども今はそんなことを思う余裕すらなく脈音が頭に響いて、指先に沸騰した血が巡る感覚が襲う。自身の崩玉が暴れ、溢れ出る霊圧を止められない。

―こんなものが、あるから

 夏樹は斬魄刀を引き抜くと、大きく振りかぶる。下唇を強く噛んで、口から漏れそうになるどす黒い感情を飲みこむ。無数の呪詛のような怨念を必死に押さえ込もうとした。

―やだ!いやだ!!

 それでも止まらない身体の奥底から湧き上がる憎悪に一瞬意識が飛んだ。

「あぁああああああぁぁぁ!!!!」

 夏樹は寸でのところで軌道を変えると、崩玉のすぐ横の地面を叩き割った。ふらりと起き上がると、夏樹は震える手で思い切り自分の手の甲を刺した。

「…はっ、はっ………チャンスは、一回、くれるんでしょう?」

 挑戦的な瞳で夏樹は藍染を見上げる。手から流れる血は止まらない。それでも夏樹は強気な瞳を曇らせなかった。

「…そうだね」

 藍染は柔らかい笑みを浮かべて夏樹の言わんとすることを了承した。夏樹は覚束ない足取りでその場に血痕を残しながら立ち去さる。
 藍染はギンに一瞬目配せをすると、ギンは片眉を下げて返事をした。

「はいはい、過保護やなぁ」

 夏樹は誰もいない廊下で蹲る。けれど、あの時はあぁでもしないと自分の身体は止まらなかった。崩玉に身体を半分乗っ取られたように、自分よりも強い感情が身体の支配権を奪った。

「いっだあぁぁあ…!!!うぅ、痛い、痛い痛い痛い…」

 どうにか崩玉は押さえ込んだものの、上手く回道を展開できるほど霊圧は落ち着いていない。血が止まらなくて、気絶しそうなほど痛いのに意識はちっとも飛んでくれない。

「あーあー、えらい派手にやるから。ロカちゃん、手当てしたって」
「畏まりました」

 ロカと呼ばれた破面は夏樹の手を取ると止血を始めた。痛みでぼろぼろと溢れる涙をギンは呆れ笑いを零しながら指で掬う。

「アホやなぁ」
「痛い…」
「せやからアホやねんって。ほら、唇噛んだらあかん。これ噛んどき」

 夏樹の口元に布をやると、大人しくそれを噛んだ。ちゃきちゃきと手当ては進み、最後に痛み止めと治療薬、と言って錠剤を渡される。
 錠剤を視界に入れた瞬間、夏樹はびくりとギンから離れるように後ずさった。

「なんもせんせん、大丈夫やて。心配ならボクが試しに飲むけど」
「…いい、飲む」

 ロカから錠剤と水を受け取ると、ごくりと流し込んだ。ぐらつく視界にふらついた夏樹の体をギンは受け止める。限界がきたのか、そのまま倒れこむと規則的な呼吸で眠っていた。

「ほなあとはボクが運んどくし、ロカちゃんさがってええで」
「はい」

―ほんま無茶ばっかするとこも似んでええのに

 ギンはため息交じりに少女を見つめる。痛み止めが効いているのか、健やかな寝顔は年相応のあどけなさで、鬼のような形相で崩玉を破壊しかけた少女と同一人物とは思えない。
 父親を止めたいとは言っていたが、まさか崩玉を壊そうとするとまではギンも予想していなかった。父親に泣きついたところで無駄であることくらい、最初から理解していたということか。何をしても父親が止まらないことを理解した上で、それでも止めたいと願うのだから救いようのない大莫迦者だとギンはため息を零した。