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 翌日には怪我も殆ど治っていて、夏樹は自分の力が益々人外地味て来ていることを実感する。手を結んで開いて、正常に動くことを確認すると夏樹は大きく伸びをした。

―本当は隙を見て破壊するつもりだったけど、一度だけならお父さんは邪魔してこない。多分、面白がってるんだ。私が壊せるかどうかを

 朝、らしいが景色が変わらないこの世界では時計だけが時間の頼りだった。

―今じゃない、まだダメだ。全然対抗できない、もっと、もっと

 ふぅ、とため息をついていると、誰かが扉をノックする。その霊圧は尸魂界で知ったものだった。

「要?」
「入っていいかな」
「うん」

 東仙は片手に盆を持って部屋に入ってきた。机に置く様も自然で、とても盲目だとは思えない。

「朝ごはん、食べなさい」
「作ってくれたの?ありがと!要はもう食べた?」
「あぁ」

 ふと夏樹は思い出すのだが、彼とはあまり多くを話した記憶はなかった。口を開くと、子供には何やら小難しい話ばかりされてそれを嫌っていた。だからあれを作ってこれを教えてと、料理をせがんでばかりいたのが夏樹の幼少期の記憶にある東仙との思い出だった。

「…要と二人でゆっくり話すのって、久しぶりだね」
「そうだね。…君は来ないと思っていたよ」
「ギンとお父さんは来ると思ってたって言ってたけど」
「君の母は破天荒で上品とは言えなかったけれども…正しい人だったからね」

 懐かしむような笑みを浮かべて東仙は夏樹の出した緑茶に口をつける。

―要の作るお味噌汁はいつだって優しい味がする。おいしい

「要のご飯、やっぱり美味しいね」
「君にピーマンと椎茸を食べさせるのには苦労した記憶があるけども」
「今は普通に食べれるよぉ…」
「夏樹には、」

 夏樹はちょうどお漬物をポリ、と齧っている。急に言葉を止めた東仙を不思議そうに見た。

「藍染様のなさる事が悪だと見えるんだな」
「…人殺しに善も悪もなくない?」
「藍染様の大義の為に成り立つ犠牲に悪も善もないよ」
「……うん?」
「犠牲の連鎖をのさばらせる世界を、赦して安寧を得ることこそが私は悪だと思う。だから私は私の復讐という大義の為に、藍染様に全てを捧ぐと決めたのだ。私の大義なんて、藍染様の路の礎のひとつにすらならないけれどね」

 夏樹はご飯を食べる手を止めて、東仙の言わんとしていることを理解しようと耳を澄ませる。

「あの人の正義には、悪も善もない。純然たる意志を貫かれる前に、そのような二元論は無意味だ」

 すらすらと綴られる彼の言葉はまるで詩のようで、その輪郭を掴むのは難しい。

「君の命も、多くの殺戮の上に成り立っている。それすらも悪とするのかい?」

 東仙の問いに夏樹は間髪入れず、強い意志を宿した瞳で答えた。

「するよ。いけないことだよ」
「断罪する為に此方に来たのか」

どこか怒気の篭った声色に夏樹は眉を下げる。仇をなすもの全てを切り捨てる、それに自分も含まれているのだろう。

「お母さんはお父さんのこと、大好きだったんだよね。お父さんがどうかは知らないけど、でも、私の運動会にも参観日にも来てくれて、お誕生日はお祝いして。そういうの、お母さんが繋いでくれたものでしょ?」

東仙は夏樹の言葉を黙って聞いている。夏樹はうーん、と辿々しく言葉を探す。

「そういうの、嘘だとか、なかったことにしたくないなぁって。お父さんのこと好きだよ。だから、お父さんを止めたいって。あの丘の上で何も出来なかったから。今度こそ、止めたいなって」
「母と…同じことを言うんだな」
「え?」
「君の母も、藍染様を悪だと言ったのさ」

 東仙は静かに、その声に義憤も叱責も含ませず、ただ淡々と過去の事実を述べている様子だった。

「悪だと言った上で、愛していると言っていた」

 少し話すぎてしまったね、と東仙は席を立つと部屋を出て行った。夏樹は追うことなくその背中を見つめる。それ以上彼に掛ける言葉が見つからず、夏樹は残りの朝ごはんをかきこむと、武者修行をすべく広大な砂漠へと飛び立った。
 脚に力を入れた瞬間、パキリと小さく身体の奥が音が鳴ったのを無視して。


 = = = = =


 彼はお喋りなようで、大切なことはあまり話してくれない。秘密主義なところは持ち主によく似ていた。

「オレに聞くなや」

 砕けた薄氷が頭上に浮かぶ中、こぽりと口から漏れた空気は空へと登る。
 減らず口を叩く相棒は、虚圏に来てから1週間と少し。会う度会う度不満をぶつけて来る彼に少し夏樹は辟易してきていた。拗ねると暴言をぶつけてくるのにも、慣れてしまったような気がした。

「お姉ちゃんに会いたいのに、全然答えてくれないの。翠雨なら何か知ってるんじゃないの?」
「…あんなアホ知らん」
「翠雨の持ち主じゃん、何をそんなに…」
「ちゃう、オレの主人はオマエや、夏樹。あいつからオマエにオレは託された。せやったらオレが一番守らなあかんのは夏樹やろ」

今更当たり前のことを言わせるなと言わんばかりの視線に夏樹は思わず照れてしまう。

「あンのアホ…今は崩玉の制御に手一杯なんやろ。この前の事は千代が悪い。夏樹が気にする事ちゃうわ」
「でも…」
「オレを呼んだんはそんな用事とちゃうやろ」
「お見通しかぁ…うん。教えてほしい事があるの」

 今日は崩玉の覚醒の仕方を尋ねたところ、酷く不機嫌そうに顔を歪めて言葉を吐き捨てた。夏樹はやれやれと言った顔で唇を尖らせる。

「何怒ってるの?」
「お前それ本気で言うてんのん?」
「……ごめん」

 彼が怒る理由くらい夏樹にも理解できていた。崩玉を覚醒させるという事は、人間には持て余す力に手を出すという事。

「知っとったとしても、教えへんわ。主人が死にに行くの喜んで助けるアホがおるか。背負いきれんもん、背負うてどないすんねん」

 時折自分の身体が軋む感覚があった。それが意味することを考えたところで策は何もない。自分の体は過ぎた力を使いこなせるほど頑丈にも特異的にもできていないのだから。

「どっちか、選べればよかったのかなぁ」
「できへん癖に言うんやないよ」
「そだね」

 ふわふわと浮かぶのは心地が良い。どちらつかずの自分の足は地に付かず、ふわふわと紐を失った風船のように流れるがままに揺蕩う。

「だけど、どっちつかずでも選んだのは私。どっちにも付かないって決めたの」

 力、貸してよと笑う夏樹の頭を翠雨は鞘で叩いた。

「他力本願かいな」
「そりゃあ、頼れる相棒は翠雨とお姉ちゃんだけだもん。それに…あと私がいつまで動いていられるか」

 お腹にぐっと力を込めて、震えそうになる声を押し込める。このまま過ぎた力を解放し続けることが正解だとは夏樹も考えていなかった。力は、きちんと制御してこそ力なのだからと。

「…夏樹、髪伸びたんと違う?」
「ん?急になに?」

 言われてみると確かにいつもよりほんの少し伸びるペースが早いかもしれないと、夏樹は自分の髪を触った。胸よりも少し長い髪は、いつもの切る長さよりも随分と伸びている。

「霊力に呼応して髪が伸びることはあんねん。髪に霊力が貯まるからな」
「へえ」
「オレに預けぇ。オレが余剰分ある程度は蓄えたる。今出せる霊圧、何割なら制御効くんや」
「ん、良くて七割ってとこかな」

 翠雨は腕を組んで、ぽつぽつと崩玉との付き合い方を述べ始める。夏樹は真剣な顔で聞き零さぬよう相槌を打つ。夏樹のやるべきことは、少しずつ具体的に形を成していく。

「ほな、霊力預かろか」

 すらりと刀を抜くものだから夏樹は慌ててそれを止めた。

「刀で髪切るのは流石に…!」
「せやかて刃物他にないやん」
「これ、現実に反映される?」
「されるなぁ」
「えぇ…」
「誰かに整えてもらい、ほらいくで〜」
「出来るだけ綺麗に切ってよ!?」

 髪を解かれて、下の方で掴まれると、ざくりと切れる音がした。ふわりと切られた髪が水になびく。夏樹はふと、こんなに短くしてしまったら髪を結うこともできないかと少しの寂寞を感じた。

「もし、もしもの話やねんけど。頼みがある」

 夏樹の髪を片手に持って、いつになく真剣な顔をする翠雨に夏樹はへらりと笑った。

「翠雨のお願いなら、なんだって」

 翠雨も肩の力を抜いて懐から煙管を取り出すと、一口気泡を水面へ吐き出した。水中で煙管なんて吸えるのだろうかと夏樹は首を傾げながら、彼の言葉を待つ。

「もし―――」

 夏樹は相棒の申し出に、泣きそうな顔で笑って頷いた。絶対に叶えてみせるから、と。