60

「なあ、黄色と青色と赤色どれがええ?」

 部屋を訪ねてくるなり突然そう問うギンに夏樹は首を傾げる。

「何の話?」
「黄色はあかんな、赤…ん、青や青。青にしよ」

 夏樹が髪を切って以来、ギンは少しだけ過保護になったような気がした。
 時折部屋を訪れては、ご飯を食べているのか、怪我をしていないのか、そんなことばかり聞いてくる。二、三言葉を交わすとすぐにどこかへ消えてしまう日が多いが、ご飯を食べて行く日もあった。

「何だったの、今の…」

 気まぐれな猫みたいに、ふらりと現れてはふらりと消えて行く。昔からそれは変わらなかった。
 まぁいいか、と晩御飯の支度をしていた手を再び動かし始める。

「ほな、あとはよろしゅう」
「約束守りなさいよ!」

 外から話し声が聞こえてきたと思うと、扉が突然開けられる。ずかずかと無言で入ってきたのはロリ・アイヴァーン。どこか不服そうな表情のまま、夏樹の手を取ると鏡台の前で紙袋を無造作に置いた。

「え、っと。ロリちゃんなに…?」
「早く脱ぎなさいよ」
「へ!?」

 夏樹はあまりにも凄むロリを前に言われるがままに着替えさせられ、あれよあれよと言う間に気がつけば浴衣を着ていた。

「ほら、目を閉じて」
「う、うん」
「口、少し開けなさい」

 何故どうしてと思うも尋ねさせてくれる間もない。ほら、できたわよという声に目を開けると、化粧を施された自分が鏡に写っていた。いつもよりも顔色も良く可愛い自分に素直に感動する。着せられた淡い青の朝顔が咲いた浴衣に濃紺の帯がバランスよく映え、自分に似合っていた。

「わあ…化粧すごい…可愛い」
「やっぱアンタにはちょっと濃い色が似合うわね、グロス。元は悪くないし、私の手にかかればこんなものね」

 ロリは満足した顔で腰に手を当てている。最後に、とつまみ細工でできたシンプルな白と紫の髪飾りを付けて着替えは終わった。

「ロリちゃん、これは一体…」
「市丸があんたを着付けるように言ってきたのよ」
「ギンが?」
「何考えてんのか知らないけど。別に報酬は貰ったし」
「はぁ」

 急に何をと思い首を傾げるも、彼女も詳しいことは何も知らないらしい。どうしたものかと構えているとギンが部屋に入ってくる。何故かいつもの白い服ではなく濃紺の浴衣を着こなしていた。

―みんな勝手に部屋に入ってくるなぁ…ノックしてくれるの要くらいなんだけど

「おおきに。ほな行こか」
「いや、行くってどこに?」
「ええとこ。お兄ちゃんに任せとき。昔みたいにそう呼んでくれてもええけど」
「いつの話してるのさ…あぁっ、ロリちゃん!ありがとう!」

 ギンは特に説明をするわけでもなく、夏樹の手を引いて何処かへと連れて行く。とある部屋に入るとスタークがやれやれと言った顔で腰をあげる。ギンはお守りな、と夏樹の両腕に白いバングルをつけた。その瞬間、夏樹の霊圧が無理に抑えられる感覚に体が一瞬ふらつく。

「ちょっとしたら慣れるから我慢してな」
「なんで、これ…」
「今自分の霊圧、並の虚なら消し飛ぶくらい強なってるん気付いてなかったん?こんなんで現世行ったら大騒ぎやで」
「え、現世?」
「そ。今日は秋祭りやで」
「姫さん、綺麗だなぁ。似合ってるぜ」
「あ、ありがとう…?」

 スタークの手が空を切ると、くぱりと空間が歪んで裂けた。戸惑う夏樹を無視してギンは夏樹の手を取ると中へと飛び込んだ。
 暗闇を抜けて神社の裏手に出る。少し遠くから祭りのお囃子や活気ある喧騒、提灯が艶やかに境内を照らしていた。

「ここ、空座神社…?」
「せやで。ほな何食べる?」
「あれ、ギンだけ義骸に入ってない!?」
「そら入らな屋台で何も買えへんやん。霊圧がアホみたいにでかなった君のは用意できんかったけど」
「て言うかこんなところ誰かに絶対会うじゃん!?何考えてんの!?」
「こないに人がおるねんから会わへんって。そもそも知り合いは霊圧探ればわかるやん」

 ギンは気にする様子なく、ほら行くでと夏樹の手を引いて人混みの中を進んで行く。人混みを縫うように歩くと屋台の匂いが空腹を刺激する。

「何食べる?」
「う…からあげ」

 そういえば夜ご飯を作ろうとしていたところだったのを思い出して、夏樹は急に空腹を訴えるお腹を押さえた。

「なんでお祭りなんてきたの…?」
「気分転換やん」

 からあげを食べる傍らで、ギンはラムネを手渡す。夏樹は焼きそばも欲しいとギンの食べているのを強請る。欲張りやなぁと片眉下げて笑いながら焼きそばを渡すと、新たにフランクフルトに手を伸ばした。
 モノクロな虚の世界よりも、1ヶ月ぶりの現世は色とりどりで眩しく目に映った。肩の力が抜け、ラムネのビー玉が瓶の中でころりと立てる音に頬を緩ませる。

「祭りのお囃子はええなぁ」
「賑やかだね」

―少しだけ、今だけでいいから

「次、なんか買いに行こうや。遊ぶんはできへんけど」
「隣で見てるからやったらいいんじゃない?射的とか」

ー忘れてもいいかなぁ

 夏樹がニヤリと笑えばギンは不満げに唇を尖らせた。

「えー、夏樹の下手くそなん見るんやったらええけど」
「酷い!じゃあかき氷、食べたい。あ、…今日は何個まで?」
「…せやね、1個だけオマケしたる。今日は内緒やで」

それはいつか、2人で祭りを回った時のいつもの約束。ご飯ひとつ、おやつをひとつ、それから遊ぶ屋台をひとつ。母から許されたのは3回分の遊び。夏樹はいつも真剣な表情で大切な三回を選んでいた。そんな懐かしい約束を不意に思い出して、夏樹はギンの手を強く握った。
 夏樹はギンに誘われるがままに屋台を回る。色とりどりな風車が道の脇に飾ってあって、風が吹くたびにカラカラと音を立てる。
 かき氷の屋台で『かけ放題!』と書かれた張り紙を睨みながらシロップをあれこれ指差す。

「んん、いちご…とメロン!に練乳かけて、いっぱいね」
「甘すぎやろ…」
「その透明なの、何?」
「みぞれ」
「味ある…?」
「あるある、ほら」
「ほんとだ、おいしい!」

 シャクシャクと冷たい氷が口に運ばれる度に、残暑を少しばかり和らげる。

「ギン、誰か探してる?」
「ん?なんで」
「なんか少しそわそわしてるから」

 ギンは少し驚いた表情をしたがすぐにいつもの何を考えているのか分からない表情に戻った。

「会いたい人がいるの?」
「…せやね」

 素直に肯定されて夏樹は戸惑いながらも、会えたらいいね、と返事をする。ギンが想い描く人が誰なのかは分からない。ただ、ギンにも大事にしたい人がいるような気がして、そう答えたのだった。
 かき氷が半分になってきたところで、ギンは急に顔を上げた。

「夏樹、ちょい待ってて。あと1時間もせんうちに帰りの黒腔が行きしと同じ場所に開くことなってるから」

 返事を聞く前にギンは喧騒の中へと消えてしまった。どうしたのかと思って周囲の霊圧を探ると、一護の他に何人か尸魂界で会った死神がいるようだった。

―誰に会いに行ったんだろ。…会えるといいね、ギン

 自分が今霊体で一般人には見えないとは言え、知り合いに見つかると面倒だと夏樹は人の少ない方へかき氷を食べながら進んだ。

―平子くん達も来てたりするのかな…アジトを空座町に移したって言ってたし

 来た時と同じ場所まで戻ると、夏樹は人に見つからぬよう木の上に飛び移った。喧騒が少しだけ遠のいて、その静けさが夏樹の孤独を助長する。

―今日すごく可愛くしてもらったから…って何考えてるの。気を抜きすぎでしょ、…見て欲しいとか、バカじゃないの

 ぷらぷらと足を揺らしながら、平和ボケした自分の考えを嗜める。現世に残した想いの数々を思い出してしまい、胸がまたじわりと罪悪感に苛まれた。短く切りそろえられた髪の先をいじくり回す。

―去年に戻れたらいいのに、なんて

 部活に勤しんで、親友の恋路を応援したり揶揄ったり、自分には想い人なんていなくて、幽霊も見えなくて。そんな当たり前の日常から随分遠く、戻れないところまで足を踏み入れてしまった。自分の選択が間違いだとは思っていない。それでも、この道を寂しいと思わない訳ではなかった。

―ギン、早く帰ってこないかなぁ。独りにしないでよ

「…ギンのバカ」
「夏樹!」

 ギンが戻ってきたのだと声の方に視線を向けると、衝撃のあまり周囲の音が一瞬で消え去った。暗がりでも目立つ金色に視線が釘付けになる。

「…っ!?きゃ、」
「夏樹っ!!」

 全身が熱くなるような感覚と動揺に強張った夏樹の体はずるりと枝から落ちた。
 思っていたよりも痛みの少ない衝撃に、夏樹はきつく瞑った目を恐る恐る開ける。半分立ったような体勢で抱きとめられていて、そっと地面に降ろされた。夏樹は自分の背中に回された熱を意識して、顔は火がついたように赤くなる。

「夏樹か?ほんまに夏樹やな?」
「ひらこ、くん」

 掠れた声で確かめるように頬に手を当てられて、平子の不安と安堵の入り混じった感情が指先から伝わる。息切れして肩で呼吸する平子の髪は汗で頬に張り付いていた。

―怖い、どうしたら、やだ

「よかった……」

 平子は夏樹をきつく抱きしめる。夏樹は状況の把握が全くできず、余裕のない平子の声に意識全てを絡め取られて声を出すことすらままならない。

「めちゃくちゃ心配したんやぞ…何も言わんでおらんようなって」
「ごめ、んね」
「アホ、ほんまにアホや」

 平子は漸く抱きしめていた腕を離すと夏樹と改めて顔を見合わせる。よく見ていたはずのしかめ面は焦燥の色が濃く、初めて見る表情に夏樹は戸惑いを隠せずにいた。

「すまんかった」
「え…?」
「オレのせいで、夏樹に行くしかない状況作ったやろ。しんどかったやろ」
「ち、違う!」
「夏樹は夏樹やのにな」

 そう言われて夏樹の表情はまた強張る。そんな寂しそうな表情をさせたくないから離れたのに、と心臓が締め付けられるような痛みに思わず目を逸らした。いっそ責めてくれた方が気が楽なくらいだった。

―私が向こうに行ったのは、私が臆病だったからなのに

 今でも平子と目すら合わせられない。

「どないしてん、これ」
「へ?」

 平子は突然、いつもの調子の声色で夏樹の髪を摘む。何を、と平子の顔を見ると気の抜けた表情で髪先を見ている。首を傾げる平子を見て夏樹もへにゃりと肩の力が抜けてしまった。

「えっと、…破面の人が、してくれたの。自分で切ったらぼさぼさになっちゃって。あ、今日のは化粧だけじゃなくて、着付けも、えっと、別の子が」

 また気恥ずかしくなって夏樹は視線を横に反らした。ふうん、と答える平子の手が頬に当たって擽ったい。

「えらい別嬪さんなっとって誰か分からんかったわ。ってそうやなくて、ほんまは誰に切られてん言う…夏樹?」
「へ、変じゃ、ない…?」

 聞く気なんてなかったのに、思わずそんな事を口走る。

「…短いのもかわええわ」

 そう告げられた瞬間夏樹の体は面白いくらいに固まってしまう。口元をきつく結んで感情を押し殺すも、耳まで赤く染め上がっていた。
 忙しなく鳴る自身の鼓動が指先を歓喜で震わせる。気付かれないように手を握る力を強くした。

「似合うとる、ほんまに」

 ニシシと笑われて、夏樹は気恥ずかしさに思わず顔を逸らしてしまう。自分で聞いたくせに、聞くんじゃなかったと少し後悔した。

「なぁ、大事な話ある、言うたやろ」

 大事な話、と聞かされて体がびくりと跳ねる。聞かなくてはいけないのに、聞きたくないと心臓がばくばくと騒ぐ。
体が半歩後ろずさって今すぐここから逃げ出したい衝動に襲われる。そんな夏樹を見透かしたように平子は夏樹の手を取った。

「夏樹に聞く準備ができとるんやったら話す。今は…やめとこか。大まかな話はもう知っとるんやろ」

 確信めいた声に、夏樹は頷くしかなかった。

―平子くんの、一番大切な人。それを、お父さんが、私が、奪った

 そのことをどんな顔で話されるのか…責められるのか。恐怖で今すぐにここから逃げ出してしまいたいのに、繋がれた手がこの場所に夏樹を押し留める。

「なんで、向こう行くって決めたん」

 夏樹の両手を握る手がほんの少し強まる。その声色には叱責も怒りも含まれていない。

―そうだ、平子くんは、こういう人だ。いつも、私を待ってくれる。だけど…

「……オレ、エスパーちゃうからな。夏樹が何考えて、何を選んで、そう決めたんかなんて分からへん。せやけど、分からへんまんま藍染とこにやるほど付き合い浅いと思うてへんで」

 夏樹は平子の言葉を上手く受け止められず顔を上げられない。

「何するつもりなんや」
「…言いたく、ない」
「…………ほな、藍染のする事に賛同したから行ったんか」
「ちがっ」

 ただ、誰も傷つけたくない、責められたくない。そして、自分のやろうとしていることは間違いなく平子の賛同を得られるものではない。それなのに否定されたくないなんて、何処までも傲慢な自分に気が付いて胸が痛む。
 何も切り捨てられず覚悟も持てず、己を保身する為に選んだ道を口にすることなど到底できそうになかった。

「夏樹、帰って来ィ。千代やなくて、お前に言うとるんや。夏樹ンこと大事やから言うとるねん」
「………っ」

 自分の為に紡がれる言葉が嬉しいだなんて思っていけないのに。

「私は、平子くんの一番大切な人の、仇なんだよ?わかってる?」

 夏樹は自分を戒めるかのように、二人の因縁を繋ぐ事実を告げる。

「今そんな話してへんし、おまえが殺したんと違うやろ」
「違うくないよ」

 声が震えてしまうのがバレてしまわぬよう、できるだけ気丈に振る舞う。自分の命が続いているのは彼女のおかげであり、自分が生きている限り彼女の死を肯定し続けてしまう。

「夏樹、この戦い、死んでもかまへんって思ったりしてへんやろな」
「!!」
「藍染を止められるなら、死んだってええって」

 突如切り出された核心に夏樹は間髪入れずに嘘が混じった本音を吐く。

「そんなの、死にたくないに決まってる」
「ふぅん、オレに嘘吐いてバレんと思うとんのか」

 怒気を含んだ声に夏樹の身体は縮こまる。鋭い視線を感じながら、夏樹は何と答えるべきか迷っていた。

「オレがオマエを鍛えたんは、死なせるためとちゃうぞ」

 平子の真剣な表情に、ぐらりと夏樹の心臓が大きく揺れる。心配も安堵も自分に向けられた感情だったことが何よりも嬉しくて夏樹は泣きそうになる。手を小さく握り返すとおずおずと目を合わせると数度瞬きをする。

「平子くん」

―嘘はいらない。入れちゃいけない。思ったことだけを、平子くんに

 夏樹は何度か口を開けては閉じて、漸く少しだけ纏まった言葉を恐る恐る紡ぐ。

「わたし、したい事があるの。だから、平子くんのところに戻るまで、死なないよ。ほんとに、死にたくなんかないよ」

 言葉にすると、すとんと不思議な程に気持ちが整理されていく気がした。嘘じゃない、本当にそうなればいいと願っている。

「だから…ありがと、平子くん」
「夏樹…?」

 忘れそうになっていた。目的を達成することだけに必死になって、そのあとのことを考えることを。

「ごめんね、心配かけて」
「っ、あかん」
「私、お父さんも大事なの。血が繋がってなかったとしても、愛情なんてなかったとしても、全部を嘘にしたくないの。だから、お父さんを止めたいの。ギンにも要にも、酷いことしてほしくない」

―この気持ちは嘘なんかじゃない。大切だから、みんな、みんな

「あかん…!!」

 夏樹は繋がれた手を解くと一歩離れた。心臓は静かに、穏やかに脈打つ。

「私、自分で選んだんだよ。臆病だからさ、誰にも刀を向けたくなかった。怖かったの」

 誰も傷つけずに、なんて都合のいい道はないけれど。自分が守りたいものを守れる唯一希望のある道。

「後悔してない。大好きなもののためなら、惜しくないって思える。守りたいって思うの」
「夏樹!!行くな!」

 平子の方を向いてへらりと笑う。

―お父さんが止まらないのなら、私が止め続ける。要もギンも、だってやっぱり、家族なんだもん

 平子が夏樹の手をもう一度掴もうとした瞬間、突風が巻き上げて二人の距離は離れる。とん、と夏樹の前に降り立ったのは銀髪の狐顔の男。

「遅いよ、ギン」
「堪忍。にしても、なんで湧いてくるんかなァ。しつこいわ」
「市丸…!」

 へらへらと笑っているものの、その声色には怒気が含まれている。夏樹は戦いが始まらぬようギンの手を取った。時計に目をやるとちょうど迎えの来る時間を指している。

「ギン、帰ろう?あんまり遅いと要に怒られちゃう」

 不気味な凹凸が空間を突如引き裂く。
 夏樹はギンの手を引っ張って、開いた黒腔に躊躇いなく足を踏み入れた。中から覗くようにスタークが夏樹に声を掛ける。

「姫さんおかえり、楽しめたか?」
「うん」
「行かす訳ないやろ!!」
「縛道の一、塞」

 夏樹は振り向きざまに縛道を飛ばすが、平子は予想通りそれを飛び退ける。一歩近づきかけた瞬間、夏樹は両腕のバングルを外した。

「今まで、ありがとう」

―好きになったのが、貴方でよかった

 言葉は音にならず、夏樹の心に穏やかに響く。
 解き離れた霊圧が巻き起こす突風に平子は腕を翳す。平子が呼んだ彼女の名前は突風にかき消され、異界への門が閉じることで終息した。

「…姫さん?よかったのか?」
「うん、大丈夫。早く帰ろう?」

 スタークの背中をぐいぐいと押して、一行は虚圏へと帰還する。

―さよなら、平子くん

 殺風景でモノクロな世界に着いた途端、夏樹は絶望感と虚無感が心中を占めている事に気付き乾いた嗤いが溢れた。蓋をしてきたたくさんの気持ちが止め処なく溢れて心が追いつかない。大切で、大好きで、守りたくて。そんな気持ちが言葉にもなれず、涙にもなれず、行き場を失って澱んでいく。

「こんなつもりやなかってんけどなぁ」

 ぽつりと。誰に向けた訳でもない声色で、ギンは遠くを見ながら呟いた。

「ごめんな」

 その声に夏樹はギンの手を強く握る。現世のお祭り、楽しかったよ。そう言いたいのに言葉は喉に張り付いたまま出てくることはなかった。
 きっと、どちらの手を取っても、地獄でしかないのだから、と夏樹は乾いた空気と一緒に言葉を押し込めた。