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 あの日決戦から2週間が経った。隊長格の殆どが四番隊若しくは十二番隊で今も入院生活を送っている。致命傷を受けた者も、とりあえずは山場を越えて容体も安定していた。
 仮面の軍勢もまた、一番大怪我を負ったひよ里はまだベッドから動けずにいたが、他のメンバーは普通に歩ける程度までは回復していた。もう退院しても構わないだろうと進言してみたが、この件に関しては完治が原則という卯ノ花の意見により却下された。
 ただ、ハッチだけは織姫に手を修復してもらい、現世に戻っていた。残してきたネコが心配だと言って。
 そうして先日には総隊長から直々に、現在復興中の護廷の空白となった隊長の席を埋めて欲しいと打診があった。101年前の事件についての謝罪と、今後の処遇については本人の意思を尊重するという旨と共に。
 平子は一人ため息をつく。四番隊隊舎内でしか行動を許可されていない平子は、十二番隊に入院中の夏樹のことを考えていた。

「シンジ、外出歩いていいて許可、総隊長から預かってきたぞ」
「ホンマか!」
「随分時間がかかったもんだね」
「四十六室がおらんようなって、これでもだいぶ早い方やろ」

 羅武とローズが書類をヒラヒラと靡かせながら病室へ戻ってくる。例の戦いの後、冤罪を証明する証拠等の手続きにより仮面の軍勢は四番隊以外の外出が禁じられていた。実際には虚の力を持った死神が復讐しに来るのではないかという懸念を貴族が抱いていただろうことは簡単に予想がつく。

「やっと顔見に行けるんか…」

 卯ノ花が最初に夏樹を診た時の容態は非常に深刻で、一刻の予断を許さない程だった。現在は浦原とマユリの二人掛かりで魂魄崩壊の阻止と崩玉の安定化を調整しているらしいが、未だに面会謝絶状態が続いていた。彼女の意識は未だ戻ってはいない。

「面会謝絶だけど入れてもらえるのかな」
「別に言えばなんとでもなるやろ。…オレ先行くわ」

 平子は羅武の手から許可証を引っ手繰ると、スタスタと外へ出て行ってしまった。

「ったく、しょうがねえな」
「ボク達は後で行こうか。シンジは彼女のことずっと気にかけてたからね…」
「自分の内側に入れたやつには過保護になるのは今も昔も変わらねえだろ」

 やれやれと羅武はため息をついた。

「そういやリサはもう勝手に出歩いてあっちこっちに行ってんだろ?」
「拳西も白のお守りでいないしね。許可証の意味あったのかな」

 ローズは苦笑いしながら外を見やる。平子が瞬歩で消えるのが一瞬見えた。今日まで司令通り動かなかったのは、交渉の為だろうと思案する。自身の立場と手札を明確にした上で、あの饒舌な話術で自分の意思を貫き通すのが彼の十八番だった。
自分にはそこまでの技量もないものだから、と入院して1週間後には彼方此方を歩いていたのだけれど。

「…ラヴ、君は今後…どうする?」
「そうだなァ…ひよ里は戻らねーだろうな。オレの居た隊は…まぁ見た通りだしな」

 問題ねえだろ、と羅武は修理してもらったサングラスををかけ直すと、窓の外から見える懐かしい景色に目を細めた。確かにあの日々に背負ったものは、今も尚朽ちることなく脈々と続いているのだから、と。

「うちはこっちに住むけど護廷には残らんで」
「うわっ」
「勝手に部屋に来るなよ…」
「扉開きっぱやったけど」

 クイ、と親指で指す方を見ると確かに扉は開けらていた。平子が慌てて出て行ったままだったのだ。

「真子は?」
「外出許可出たからって夏樹のとこに行ったよ」
「ふぅん」
「…終わったんだな」
「そうだね」

 見えない傷で溢れた瀞霊廷は、今もその穴埋めでてんやわんやに騒がしい。その喧騒が何故か懐かしく思えてローズは緩く笑った。


 = = = = =


 暖かな日差しが差し込む中、平子は傷口がまだ少し痛むのを無視して瀞霊廷内を歩く。知っているような、知らないような、ふわふわと地に足つかない奇妙な感覚だった。

―タイムスリップしてきたようなもんやもんなぁ

 知っている景色のはずなのに並ぶ店や街並みは何処か違っている。馴染みの店も潰れてしまったようだった。
 目立つから死覇装を着ろと言われ仕方なしに着てみたものの、久しぶりの和服はどうにも隙間が多くて落ち着かない。十二番隊の隊舎まで入ると、勝手にマユリの霊圧のある方へと足を向けた。

「マァユリ〜〜いてへんかァ!」

 すれ違った一般隊士が短い悲鳴を上げながら、自隊長を名前で呼ぶ平子を化け物でも見るかのような目で見る。

「ったく、マユリィ!聞こえてんねやったら返事くらいせえ!!」
「……喧しいヨ。100年経ってもその陳腐な脳味噌は成長しないようダネ」
「オマエこそ随分オモロイ頭なっとるやんけ」
「相模夏樹なら意識はまだ戻っていないし、霊圧の安定化も時間が必要だからさっさと消えたまえ」
「そこの部屋か?邪魔すんでー」

 平子はマユリが嫌味を言い続けるのを無視して横にある部屋に入った。薬品の匂いが漂う狭い殺風景な空間に小窓が1つ、冬の柔らかな日差しが差し込んでいた。中央に置かれたベッドに夏樹は横たわっている。
 顔を覗くと青白く生気は薄い。今にも消えてしまいそうな魄動のせいで、目の前にいるのは夢か現か分からなくなる。それほど、命の灯火は生と死の間で揺らめいていた。

「夏樹…」

 霊圧制御の装置を付けられた夏樹の手をゆっくりと握る。自分より少し低い体温に、生を感じてホッと胸をなで下ろした。

「オレ、オマエにまだ礼するんも叱るんも出来てへんねんぞ…」

 握り返してくれる反応はなく、平子はしばらく逡巡しながら夏樹の顔を眺めていた。何を伝えればいいのか、何を聞けばいいのか。

「ん…」

 夏樹が一瞬身動ぐ。慌てて立ち上がって顔を覗き込むと、僅かに開けられた瞼から覗く瞳と視線が交わる。

「夏樹っ…!」

 ぼんやりとした様子で何度か瞬きをするとそのまま眠りについてしまった。

「マユリ!夏樹の意識が!!」
「五月蝿いヨ。バイタル管理しているんだから言われなくても分かっている。峠も越えたのだから遅かれ早かれ意識も戻るだろうヨ」
「ホンマか!」
「そもそもこの程度の起伏なら3度目だ」
「ハァ!?なんでオマエ言わんねん!?」

 平子はマユリにツカツカと歩むと酷いしかめ面でマユリを強く睨んだ。そんな平子にマユリは心底面倒臭そうに溜息をつく。

「意識が戻ったら呼んでやるから二度と勝手に来るんじゃないネ、殺すヨ」

 平子はそんなマユリの返事も聞かず、夏樹の元へと戻る。もう一度くらい目を開けやしないかと暫く話しかけてみたりしたが、反応はなかった。

「…うし、行くか」

 そのまま四番隊には戻らず、真っ直ぐな足取りで一番隊隊舎を目指す。平子は総隊長から話があると言われた時点で察していたし、覚悟も出来ていた。
 ただ事を決める前に、自分を確かめる為にも夏樹の顔を一度見ておきたかった。覚悟を改めると、威厳を示す巨大な扉を見上げてため息をつく。

「はー…何遍来てもここの仰々しいとこ、嫌いやわ…」

 平子は白い羽織を羽織っていた頃と似たような台詞を呟く。最も、その独り言に小言を言う部下は隣にいなかったけれども。


 = = = = =


「オレ、じいさんの話受けるわ」

 病室に戻るなり、そう平子は拳西と羅武とローズに告げた。特に驚く様子もなく、3人はそうか、とだけ返す。

「えらい反応薄いなァ」
「何年の付き合いだと思ってんだよ」

 拳西は苦笑いを零しながら、平子の肩をバシッと叩いた。

「ボクは…もう少しだけ考えるよ」
「昨日の今日で決めていい事じゃねーしな。シンジの決断が早すぎんだろ」
「…ジイさん、夏樹の事はどうするつってんだ?」

 平子は羅武の視線を躱すと自分のベッドに仰向けに倒れた。

「夏樹の治療と人権の保障、それから夏樹の崩玉と藍染との関係は特記秘匿事項にする。それがオレがじいさんに出した復隊の条件や」

 頭の後ろに腕をやって、天井を見つめたままそう答えた。

「治療って…今も治療中だろう?」
「そら四十六室が崩壊してじいさんとこにまだ代理で権限がある程度降りとるからやろ。今後どうなるかは分かったもんやない」
「あー…」
「あの機関が戻ったとして、夏樹のことをやれ叛逆者や危険分子や言うて殺しかねん」
「それは千代が残したからなん?あの子に頼まれたから?」

 リサがつかつかと病室に勝手に押し入ると、平子のベッドの横で険しい目つきで睨んだ。

「…それもあると言えばあるしし、関係ないっちゃ関係ないわ」

 そっぽ向いたまま平子は答える。

「まだ内部もゴタついとるし反対意見も多いからホンマに復隊するにしても年明けてくらいからやと」

 それまでに全員結論出せよ、とだけ言うと平子は部屋を出て行った。

「…なんか外、騒がしくね?」

 平子が居なくなって5分も経たないうちに外が騒々しくなり、羅武が首をかしげる。怒鳴り声の響く喧騒の中心にいる霊圧に、その場にいた全員は顔を見合わせると重いため息をついた。

「…誰が行く?」
「ほっときゃよくね?」
「行かねえとオレらにもとばっちり来るだろ…」
「ひよ里のお守りはラブの仕事やろ」

 リサは三つ編みをくるくると指で弄りながら、全く行く気のない意思を示す。

「おっまえなぁ…」
「あっ、マシロも加わったぽいね」
「じゃあ今回は拳西よろしく」
「オレだけで抑えれる訳ねーだろ!オラ、行くぞ!」

 拳西は羅武の襟首を掴むと強引に病室を出て行った。どこに居てもいつもの光景で、ローズは苦笑いを零した。

「ヒヨリにも戻るって伝えたんだろうね」
「暴れるの分かってんねやったら言う場所くらいちゃんと選べ言う話や」

 呆れたようにリサはため息をつく。
 そうして、卯ノ花にこってりと絞られた平子はげっそりとした顔で病室に戻ってくる。ローズがこの戦争が終わったんだな、と改めて思うのは平子の顔にひよ里の殴ったいつもの跡が付いているのを見た時だった。