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 平子は浦原に夏樹についての身辺調査を依頼していた。ただし、夏樹のことは一切仲間にはまだ伏せてあった。
 調査の結果、藍染に繋がるような確定的な情報は出ないが、彼女の経歴は非常にキナ臭いと思えるものだった。

 ―――現在相模夏樹は空座町に隣接する鳴木市に祖母と二人暮らし。もとは近隣の県に住んでいたが、7年前に両親が強盗により刺殺された為祖父母に引き取られて今に至るという。また、火事で3人の身元不明の死体が出てきたことから、犯人と両親の死亡が確認されている。
 確実に何かあると思ったが、この程度の情報ではどこから洗い出せば当たりを引くのか分からなかった。事故現場に行ったところで7年前、藍染が何かの証拠を残しているとは思い難かった。

「…喜助、この事件についてもーちょい詳しく調べといてくれ。オレも洗うわ」
「了解っス」
「人間が持っとるハズのないモン持っとる時点で何かあるんは間違いないんや…ただ何なんかぜんっぜんとっかかりが見えへん」
「もう直接聞くしかないかもしれないっスねぇ」
「警戒されるリスク考えてもそっちの方が早そうやな…」

 イヤなるわぁ、と頭を乱雑に掻く。彼女と接触してから半年が過ぎ、特に目立った成果があるわけでもない。ただただ焦燥感だけが募っていた。

―ええ加減何かボロが出てもええと思うんやけどなぁ

 浦原商店からの帰り道、夕暮れ時のひやりとした風が冬の始まりを告げているようだった。

「お、平子くんだ〜」

 スーパーの前で呼び止められ足を止める。ぶんぶんとこちらに手を振るのは夏樹だった。

「平子くんもお買い物?」
「いや、家に帰るとこや。相模チャンは買い物か?」
「うん!今日はね、鶏肉が安いよ」
「主婦みたいやな、自分」
「まー、私も晩ご飯作るしねぇ。うち、当番制なんだ」

 だから今日はホワイトシチューなんだよ、と持っていた買い物袋を持ち上げてみせた。
 平子はちらりと夏樹の頭上を盗み見た。いつも通り、綺麗に束ねる髪留めがそこにあった。嘗ては見慣れていた、今はもう見ることもないと思っていたそれ。叶うことならば今すぐにでも手元に、奪い取ってでも手にしたかった。

「相模チャンはなんや今日はえらく元気そうやな」
「ふふーん、なんと今日はお給料日でして!」
「なるほどそらご機嫌な訳やわ」
「ね、ちょっと寄り道付き合ってよ」

 夏樹はちょっと外で待っててと言って、帰路途中のコンビニに消えて行った。

「はいこれ、どっちがいい?」

 そう言って差し出されたのは、ほかほかと湯気の出るあんまんと豚まんだった。

「くれんのん?」
「いつもお世話になってるから。あとお腹空いちゃって」
「ほなこっち貰うわ」

 平子は豚まんを受け取ると、コンビニの前にある公園のベンチに二人で腰掛けた。白い息は出ないが、このおやつの温かさが少し心地よいくらいだ。
 ささやかで穏やかなやり取りに平子が費やした時間の長さを感じる。
 焦がれる姿と似ても似つかぬ彼女を見て、言語化し難い鬱々とした感情を抱く。
 彼女の正体は何なのか。向日葵を買った帰り道で出会った夏樹の様子は確かにおかしかった。殆ど感じない彼女の微弱な霊圧が僅かに揺れた。

「はー…冬のあんまんほんと美味しい…」

 夏樹は呑気にしみじみと呟きながら、美味しい美味しいとあんまんを頬張っていた。どう見ても、汐里と何ら変わらないどこにでもいる女子高生にしか見えない。

「………っ」

 思わず漏れそうになった心の声は夏樹の耳に届くことはなかった。
 願いを明確にしてしまえば何か道を踏み外すような気がして、平子は溜息と共に無駄な思考を吐き出した。希望ではなく、最も可能性の高い事実を見つけ出すために。

「平子くん…?」
「ん?」
「いや、こっち見てるからなにかと」

 夏樹はもぐもぐと口を忙しそうに動かすと、ごくりと最後の一口を食べ切った。指についたあんこをぺろりと舐める。お手拭きで手を拭いながら首を傾げた。

「すまん、ボーッとしとっただけや」
「うーん、平子くんって時々何考えてんのかよくわかんないよね」
「オレ、ポーカーとかめっちゃ得意やで」
「ふふ、でも今日は元気、なさそうだね?」
「顔に出とった?」
「うん、なんとなく」

 平子は目を閉じて逡巡する。馬鹿げた考えを捨て、未来を正しく見据えるために。必要なのは希望ではない、事実たりうる情報だ。

「…なぁ、いつもその髪飾り、付けてるよな」
「ん?あぁ、これ?」
「おん。それ、どこで買うたん」
「あー…っと、これ」

 言い澱む夏樹に平子は人知れず手を握りしめた。切り捨てきれない希望が平子の心臓を速く打たせる。

―ちゃうって言ってくれ。何も、オレらと関係がないって。頼む、

「お母さんの、形見なんだよねぇ」

 吹いていた木枯らしの音が平子の耳からスッと遠くなる。
 形見。予想外の答えに平子は生唾を飲み込んだ。
 彼女の母の名前は、と思考を巡らせる。冷静に考えようとすればするほど、頭の中はショートしてしまいそうだった。

―大丈夫、大丈夫や。必要なんは、情報や

 平子は逸る鼓動を悟られぬよう、作った笑顔を顔を張り付けて言葉を続けた。

「母ちゃん亡くなってるんか。名前聞いてもいいか?」
「?…香澄だけど」
「ええ名前やなぁ…父ちゃんは?」

 訝し気な表情を浮かべる夏樹は、口を開きかけてまた閉じた。

「…なんでそんなこと聞くの?」
「え、別に理由なんてあらへんけど」

 平子は調書通りの母の名前に安堵しつつも、未だ取れぬ不安を拭いきるためここぞとばかりに問いただす気でいた。
 目に見えるものだけが、真実ではない。嫌というほど骨身に染みた教訓だ。
 夏樹はいまだ怪訝そうな顔のまま、渋々と口を開いた。

「…惣右介、だけど」

 平子は硬直した。あまりに予想外の、憎悪しか抱けない男の名に深く眉間に皺を寄せる。

「嘘、やろ…」
「いや、嘘って…平子くん?」

 思わずぽつりと溢れた感想に夏樹はがたりと反応するも、平子に構う余裕は残されていない。
 珍しい名前でもないのだから、他人の可能性もある。そう考えたかった。
 けれど、彼女の戸籍上の父親は―――いないはずだ。

「こんなん、有り得へんわ…」
「ねぇ、私のお父さんについて何か知ってるの!?」

 杞憂であれば、勘違いであればと願ったがその希望は潰えた。
 繋がってほしくない点と点が、今繋がってしまった。嫌な予測の的中に頭を抱えたくなる衝動を堪えた。
 間違いなく、この少女はこちら側の事情に絡む何かがある。偶然で片付けるにはあまりにも、出来すぎている。

「いや、知らん」
「じゃあなんで」
「知り合いに同じ名前の奴がおっただけや」
「っ、そんな顔して全然説得力ないんだけど!!」

 夏樹は平子の肩に掴みかかる。彼女にとっては未解決である両親惨殺事件の、何か手がかりかもしれないのだから必死になるのも無理はなかった。
 けれど、そんな夏樹の心中を気遣える思考の余白がなかった。

「知らん」

 苦虫を噛み潰したような顔をする平子に夏樹はさらに噛みつこうとするが、平子は制するかのように夏樹の手を肩からそっと外した。

―”藍染惣右介の娘”が”アイツの物”を”母の形見”として持っている。これ、最悪な奴やろ…

 考えられる最悪の可能性は、彼女の母親は…もし仮に違ったとしても、どちらにせよもう死去しているということだ。真実を洗い出すには時間が経過しすぎていた。

「平子くん!!」
「豚まん、ごちそーさん。美味しかったで」

 話す内容とは裏腹に突き刺さるような怒気を放つ平子を、夏樹は追いかけることができなかった。
 平子はその場からある程度離れると、滅多に使わない瞬歩で大きく離れた。
 胸ポケットから煙草を取り出すと、慣れた手つきで肺を煙で満たす。体に害をなす白が、気休め程度に頭の中をスッとさせていく。
 ぐしゃりと無造作に自分の前髪を掻き上げると、虚ろな目で空を見上げた。
 そうしてどのくらい時間が経ったかも忘れたころ、平子は重たい足を漸く動かした。古き友人の元へ、考えられる最悪の顛末を受け入れる覚悟と共に。