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最近、少しだけ夏樹の態度は軟化した。会話にぎこちなさが残るものの、回復の傾向も悪くない。戦争が終わって2ヶ月が経とうとしている中、漸く手に入れた許可印の入った書類を持って平子は廊下を走る。
「夏樹!」
「うわっ……ノックして入ってっていつも言って、」
「ここ出れるぞ!ほれ!許可出た!」
「え」
夏樹はフリーズしてぱちぱちと瞬きだけを繰り返す。
「どないしてん、嬉しないんか…?」
「あ、あぁ、ちょっとびっくりしただけ。そっか、ありがとう。平子くん、色々してくれたんだよね?」
その表情は驚きよりもどちらかというと困惑の方が強い。
「…出たないんか?」
「……そんなこと、ないけど…いいのかな、って」
「何に遠慮しとんや」
「…うん、ほんとだね」
呆れたように笑う表情にどこか痼が残る。何か、見逃しているような。
平子は不意に秋祭りの日を思い出す。あの時のボタンを掛け違えたような違和感に今感じているものはよく似ている。嘘はついていないが心中と合致しきらないズレのようなもの。
「なぁ、夏樹」
「何?」
「いや…」
この違和感が何か分からず、上手く言語化されない。彼女に正面切って問い質しても恐らく何も答えはしないだろう。そう考えた平子は懐から別の紙束も出した。
「せや、またばーちゃんと汐里から手紙預かってきたで。今回は織姫チャンもや」
「わ、ありがとう!」
本来の規定では手紙などの差し入れは許可されていない。精神疲弊の酷い夏樹のためにと卯ノ花も許可を進言してくれたおかげで、こうして手紙のやり取りが許されていた。夏樹は少し目を細めてその手紙を丁寧に読んでいた。
校閲も入るため当たり障りのないことしか書けないが、それでも彼女の心の励みにはなっているようで、この時間だけは表情に少しばかり生気が戻るのだった。
「早く帰って来いってまた書いてある」
「そらそうやろ。ここ出て、もう少し霊圧が安定したら現世に戻れるわ」
夏樹の状態は魂魄の崩壊をどうにか繋ぎ止めただけの現状で、何一つ根本的な解決はされていない。霊子濃度の薄い現世では霊圧の回復が遅く、生命維持が困難だというのが十二番隊の見解だった。
「ほなまた明日な。手紙の返事取りに来るわ」
「うん、ありがとう」
平子がもう病院生活も終わったにも関わらず瀞霊廷と現世を行ったり来たりしているのは、夏樹のことだけでなく復隊における手続きも数多く残されていたからだった。同じく復隊予定のローズと拳西も往復組だ。
「夏樹、もう出れるんやて?」
「お、こっち来とったんか」
「死神に戻る気はないけどコッチには住む予定やしな。商売始めるんや」
リサがキメ顔でゼニの形を指で作る。彼女もまた、住まいをこちらに構えているが現世と行き来している。どう考えても業突く張り商人の予感しかしない。
「で、夏樹の様子は?」
「あー…まぁ体調もだいぶようなったし飯食える量も増えたは増えたけど…」
「けど?」
「まぁ心までハイ元気、とはいかんわな」
夏樹は虚ろな瞳で窓の外を眺めていることが多かった。人がいると取り繕うように笑顔を向けるのだけれど、その姿は痛ましい。
「寝てる時はよう魘されとる。トラウマになって残っとるもが多いンやろうなァ。本人は何も言わんけども」
「ふぅん」
「…なんやねん、その視線」
リサがじとりとした物言いたげな視線を送ってくるので平子は思わず眉根を寄せる。
「あたしの言うたこと忘れてへんかなと思うただけ」
「…忘れてへんわ」
平子は視線を逸らしながらそう言った。
「あたしらはいつ会えんのん」
「出たら面会は自由やと。せやから来週や」
「ひよ里らにも言うとく」
「おん、頼むわ。…にしてもほんま、ひよ里もよう我慢できたな。面会」
「貴族と四十六室を徒らに刺激すんな言うたんアンタやないの」
「そうやとしても、や」
その日の晩、つつつ、と湯呑みの淵を指でなぞりながら月を見上げる。満月が雲間から見え隠れして冬の寒空を彩っていた。灯の少ない尸魂界の満月は現世よりも優しげに辺りを淡く照らす。
―なんか、なァんか引っかかるんよなぁ
夏樹の昼間の様子を思い返しては、何処か違和感のある態度だったと平子は首を捻る。
―何がおかしいんや…何をオレは見落とした
背後からじとりと迫り来る嫌な予感は大体的中する。それも最悪な方に。
平子は酒を飲む気にもなれず、重たいため息を吐き出した。
「ん?」
不意にかさりと手元に当たったのは控えめな花束。ガーベラが数輪とかすみ草だった。ルキアと織姫が選んだのだと現世で預かっていたのを忘れていた。
―あー…しもた。これ明日持ってってもええけど花瓶に挿すんやったら早いほうがええしなぁ
平子は腰を上げるとコキコキと首を鳴らした。今は四番隊の空き部屋を借りて寝泊まりしている。五番隊への復隊が正式に決定されるまで、出入りするなと言う総隊長の意向だった。
夏樹のいる隊舎牢はすぐそこだ。起こしてはいけないと思い、音を立てぬよう扉を開ける。月明かりが差し込んで部屋はほんの少し明るい。
「……夏樹?」
もう日付も変わっている時間なのだから、寝ているのだと思っていた。夏樹はベッドに三角座りに蹲っている。
月の光を反射した虚な瞳と視線がぶつかり、平子は抱えていた花瓶を落としそうになった。深く深く恐怖と絶望が刻まれた表情にかけるべき言葉が見つからない。
夏樹は無言で膝に頭を埋める。身体は震えていて、この世の全てを拒絶しているように見えた。余りにも小さく見える身体が胸が痛む。
「…何が、怖いんや」
絞り出せたのは掠れた声。花瓶を置くと夏樹の横に腰掛ける。
「…………夏樹、頼むから手ェ伸ばしてくれ。でないと、オレは何もできへん。助けてってそう言うてくれ」
その言葉に夏樹はピクリと反応すると重たい頭を持ち上げた。
「おね、ちゃ……」
夏樹は憔悴し切った顔でぽつりとそう呟いた。瞬きを数度して漸く焦点が合った。
「……ひらこ、くん?あれ、」
へらりと笑ってどうしたの?と聞いてくる。顔は青ざめているのに笑顔で全てを隠そうとしていた。
「しんどい時まで笑いな」
眉間に皺を寄せて平子は思わずそう返す。夏樹の上がっていた口角が下がるとまた瞳は虚ろに戻った。平子はどうしたものかと小窓から見える月を見上げる。
―元気になんてなってへん、元気になったフリだけが上手くなってんのや
平子は見落としていた事実にじくりと胸が痛む。
「ねえ」
「ん?」
「虚圏なら…みんな、」
夏樹は満月を眺めながらぼんやりと呟く。感情の乗っていない無機質な声色にほんの少しだけ寂しさが混じる。
「朝が、来るのがこわい」
「…夏樹?泣いて、」
「泣いていいわけ、ないじゃん」
余りにも悲痛な震える声にに平子は強く手を握る。夏樹はまた膝に顔を埋めていた。泣けないという答えがシャボン玉が弾けるように違和感の塊を壊す。
―あ、そうか…そうやわ。こない簡単な事見逃すてアホか
平子は静かに腹の底に沈んでいた憤りを吐き出すように息を吐いた。今のままではいけない、と今後の自分の立ち回りを思案する。思考を巡らせながらも、ようやく夏樹が手を伸ばしてくれた事が妙に擽ったい。
自分はどうやら長々と考え込んでいたようで、後ろから規則的な寝息が聞こえる。そっと体を倒して布団を掛け直す。
―コイツにとって、藍染も市丸も東仙も破面も、きっと大事なもんやった。それはなかったことにできるもんやない
今だって藍染の事を思うと腑は煮え繰り返るし、遠い未来でも赦せる日は来ないのだろう。けれど、自分の怒りと彼女の心は別物だ。
朝が来ることが怖いと言う嘆きにどれほどの感情が詰められているのか。それは不器用な彼女が漸く零せた助けを求める声だった。
複雑に絡んだ因縁は簡単には割り切れない。それでも守りたいと強く願うのは、何の為か。未だ答えは出ない。それでも、平子は夏樹の手を掴みたいと願うのだった。