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「で、どうするの?」
「…どうするの、とは?」
漸く学校の授業にもまともに参加できる体力がついた2月初旬。汐里は真剣な顔をして夏樹に迫る。が、思い当たる節のない夏樹は呑気に首を傾げた。
「…今何月?」
「2月だけど?」
「フーン?」
「あ…」
じとりとした視線にすっかり忘れていた行事のことを思い出す。
「どうするの?」
「どうするも何も…」
もう一度問われる同じ質問に、何もする気がないとしか答えようがなかった。そう返事をすると汐里は前のめり気味に夏樹に迫った。
「何も考えてないって本気で言ってんの!?」
「いや、うん…」
「渡せる時に渡した方がいいって自分で言ったの覚えてる!?」
「えーっと、それはちょっと覚えてないかな」
「言った!言ったからね!?アンタ!」
「そっか〜」
「そっか〜じゃないわよ!」
汐里はぷりぷりと夏樹の前で腕を組んで怒っていた。振られたんだよと言ってから半年近くになる。彼女の気持ちもだいぶ整理されたらしく、今では去年と逆の状態になっていて夏樹はなんだか可笑しくなってしまう。
「なんでそんな無計画なのよ!訳わかんない!!」
「あはは」
当然訳がわからないだろうと思う。夏樹が打ち明ける気が一切ないのを見て汐里はぶぅと唇を尖らせた。こうなった夏樹が頑固に口を開かないことはよく知っていた。
「…遠慮してるの?『おねーちゃん』に」
「遠慮とかじゃないんだけど。ん、言葉にするのって難しいね」
組んだ指をくるくると動かしながら夏樹は眉を下げる。
「私ともう作ってくれないの?」
汐里は机に顎を置くとこてりと顔を倒した。上目遣いに、まるでしゅんとしてる犬のよう。夏樹はそんな汐里が可愛くてわしわしと頭を撫でた。
「それは一緒にやろっか。汐里をほっとくと炭配られそうだし」
「ちょっと!?」
「今年は何作りたいの?」
「フォンダンショコラ!!!」
「……それは10年後の話?」
「辛辣!」
そんなやりとりに夏樹は笑いが溢れる。バレンタイン。誰もが浮かれるこの行事に夏樹はどう参加すべきか悩んでいた。悩みすぎた結果、忘れていたのだった。
―気持ち知られててチョコ渡すとなんだか催促してるみたい…だよねぇ
「バレンタイン、かぁ」
―渡さないのも変な話なんだけど、いやでも…あぁ、うん…迷惑、じゃないかなぁ
金曜日の夜に夏樹の家で作る事が決まった。去年はカップケーキ、今年はクッキーとガトーショコラの予定だった。もう少し簡単なレシピのものをお願いした夏樹だったが、結局汐里がそれを食べたいのだとゴリ押されてしまった。
「では、先生!お願いします!!」
「お願いだから言うこと聞いてよ?」
「はーい」
不安しかないスタートで、夏樹と汐里は菓子作りを始める。
―練習しといてよかったな…汐里、今回もはちゃめちゃだ…!
練習のおかげで出来た余裕を汐里のコントロールに全てあてる。どうにかこうにか大量のクッキーとガトーショコラを焼き上げて、息をつく。あとは冷めれば完成だった。
「明日部活のみんなに渡しておくね」
「うん、お願い」
「そっちはまた尸魂界でしょ?」
その問いに夏樹は首を縦に振る。奇しくもバレンタインは明日で、夏樹はどうしたものかと唸ってしまう。
冷めたガトーショコラを小分けにラッピングしている最中、汐里が箱を差し出した。可愛らしいベージュの箱に濃いピンクの麻紐が添えられている。
「これ、使えば?本命用」
「へ」
「アンタのことだから、箱も用意してなかったんでしょ。ほらこの型のやつ綺麗に入るから」
「…あんなワタワタしてたのにいつの間に…?」
「感想がそれ!?」
小分け用の大きな型で焼いたガトーショコラよりも小さな長方形の型で作ったそれは汐里に渡された箱にすっぽりと収まった。
「…少し、考えてもいいかな」
「うん、いくらでもどーぞ。あとは夏樹の自由だよ」
「………うん」
箱をぼんやりと見つめながら夏樹は頷いた。
夜、ベッドの上でぼんやりと月を眺める。ラッピングされたお菓子は冷蔵庫でおやすみ中だ。 瀞霊廷でお世話になっている人の分のクッキーと、平子用に包んでしまったガトーショコラ。渡す決心は未だにつかない。
―渡して…どうする?渡してもいいの?私なんか、
千代の命で繋がれたこと、藍染の娘であること。それを言い訳にするなと言われたものの、後ろめたさは消えやしない。
―迷惑じゃないかな…こんなの
どうしても鬱々と考え続けてしまう。好きなのに、嫌、好きだからこそどうしようもなく苦しい。好きだと言って近づく勇気なんてなくて、それなのに否応無しに毎週毎週顔を合わせている。手を握られるだけで何も考えられなくなる程に余裕も持ち合わせていなかった。
―あぁもう…!
そんな風に悩みながらも夜は更け、いつものように尸魂界へ行く時間がやってきてしまう。
クッキーは浦原商店の人たちに大変喜ばれた。明日の帰ってきた時にこちらからの分も渡しますねと言われて、料理上手のテッサイに渡したクッキーが彼に美味しいと思ってもらえる出来である事を祈るほかなかった。
平子とは朝から目を合わせるのも緊張してしまう始末で、平子のいない隙を塗ってはクッキーをお世話になった人に配っていった。
―涅さんにも渡したけどあの人ご飯とかそもそも食べるのかな…いや、人だから食べるんだろうけど…ていうか受け取ってもらえるとは思わなかったよなぁ
―それで、もう夜なのに結局渡せてない…いや、もう渡さなくても…ううん…
手に持った箱を恨めしく睨む。綺麗にラッピングされたそれは明らかに本命のものだと主張している。
―なんかもっと慎ましいのにしたらよかった…あ、みんなと同じクッキー渡せば良かっただけの話なんじゃ、これ…!?もうクッキー全部渡しちゃって残ってないよ…
ぽつねんと残ったガトーショコラ。よくよく思い出せばガトーショコラは殆ど自分が作ったものだった。つまり最初から汐里にハメられていたのである。そう気付いた時にはもう遅い。
―他の女の子からもチョコ貰ったりしたのかなぁ。平子くんって、モテるのかなぁ
襖を開けて縁側に出ると凍てつくような風がひゅるりと足元を通り過ぎ去た。口から漏れる吐息は白く闇夜に浮かび上がる。
「さむっ」
シンとした寒さで頭が少しずつ冷静になっていく。
―…気持ちを知られてても、好きだなんて言えないや
平子の隣には千代がいる。それは今だって変わらない。その場所に自分が入ろうだなんて、とても思えない。
―遠慮でも勝てないからでもなくて。2人が2人のままでいて欲しいと思うから。私なんて、邪魔なだけだ
膝の上に乗せた包みの紐をするりと解く。チョコのほんのり甘い香りが漂う。
「お、わりと美味しい」
惜しみなくバターと砂糖を入れた菓子の出来栄えはなかなかなものだった。濃いチョコの味が口に広がる。
―お菓子作る才能も結構あるな、私
そんな事を呑気に考えながらもう1つ、とガトーショコラに手を伸ばす。
―あれ、なんでだ。ちょっと泣きそう
夏樹は鼻の奥がほんの少しツンとする感覚に慌てて口を一文字に結んだ。
―ん、誰か近付いてきて…この霊圧、平子くん…!?
瞬歩の速度で近付いてくる気配に夏樹はわたわたと膝に散らかした包みを片付けようとするも手が悴んで上手く掴めない。フォークをどこに置こうか、包みに置こうかと首が左右に揺れる。
「あーーーーーーっ!!!!」
突然の雄叫びに体が跳ねて持っていたガトーショコラが地面に落ちかける。
「おまっ、何1人で食うてんねん!!」
「きゅ、急に大声出さないでよ…!」
「…オレ今日ずっと待っててんけど」
「う…」
「それ誰にもろたん」
それ、と言うのは最後のガトーショコラ。平子にあげる予定で包んだガトーショコラ。
「………えーっと、」
「皆んなにクッキー配ってたやろ」
何と答えれば良いか、夏樹は顔を僅かに背けた。夏樹の横に平子はしゃがむと視線を逸らす夏樹の顔を覗き込む。明らかに不機嫌なオーラが伝わってくる。
「クッキーないのん」
「…もう全部配っちゃった」
平子の視線は散らばった包装紙にいく。明らかに丁寧に包まれていたであろうそれを摘まみ上げる。
「これは?」
「んと…」
貴方にあげる予定でしたがあげる勇気がなくて食べちゃいました、なんて台詞が言えそうな雰囲気ではない。ちらりと視線をあげると責め立てるような瞳とかち合って思わず逸らしてしまう。
「……これ、夏樹が作ったん?」
「そう、だけどその、あの、」
「ふぅん」
ぐい、と突然フォークを持った方の手首が掴まれる。驚いている間に強い力で引かれて、平子の髪が鼻に当たるほど近付く。髪の隙間から一瞬だけ覗いた瞳はどこか獰猛さを孕んでいた。
「…あま」
「………はぇ」
掠れた低音が耳に響く。ごくりと喉仏が凹凸に動くのを見届けて、夏樹はようやく持っていたはずの菓子が消えた事を理解する。
「ん、なんや。美味いやん」
ぺろりと唇を舐めて平子はしかめ面のまま夏樹を見た。
「…食べちゃった」
「おん、待てんくて食べてしもたわ。…そんだけ綺麗に包んであって、みんなと同じやなくて。オレのて思うて良かった?」
そこまで言われて夏樹は顔に熱が集まる。悴んだはずの指先にまで血が巡るようにぶわりと背筋が粟立つ。
「か、勝手に食べないでよ…!」
「ンな顔してよう言うわ。てかサッブ!手ェガッチガチやんけ!早よ中入れ、風邪引きたいんか、アホ!」
「わ、わ、押さないで!」
背中をぐいぐい押されて部屋の中に戻る。火照った顔を隠してくれた暗がりから追い出されて、夏樹はなだれ込むように部屋に戻る。
「オレ、待っててんけど」
平子はもう一度同じ言葉を夏樹にぶつける。叱咤ではなく寂しさが含まれた声色で。
「…まぁ、好きにしたらええ言うたんオレやもんな」
「ちがっ、」
夏樹は立ち上がりかけた平子の袖を思わず掴む。自分でもどうしていいのか分からずすぐに手を離した。平子はそんな夏樹を見てもう一度腰を下ろす。
「さっきのは、平子くんに渡そうと思ったやつ」
「うん」
咄嗟に出たのは素直な言葉。けれどその続きを上手く紡げない。
「…残りも貰てええ?」
その申し出に夏樹は小さく頷いた。もっぺん包んで、と言われて夏樹は包装紙を手に取った。手が悴んで上手く動かず、はぁと息を吹きかけて擦ってみる。
「あんな寒いとこおるからやん」
アホやなぁと続けて夏樹の両手を取ると、じんわりと熱が伝わるのと同時に顔から火が出そうなほど熱くなる。
「体温高いねん、ええやろ」
「からかわないでよ…」
弱々しい声で真っ赤な顔を隠すこともできずに夏樹は俯くしか出来なかった。
「オレのチョコ食べた仕返しですゥ」
パッと手を離されても心臓は五月蝿いままで、音が平子に聞こえやしないか視線は右往左往する。急かされてどうにか元通りに包み直せても、平子の手に渡すだけの事がなかなか行動に移せない。
「くれへんのん?」
「………どうぞ」
おずおずと視線を背けたまま箱を差し出す。羞恥心で死んでしまいそうだった。
「ん、おおきに」
一瞬視線を戻すと嬉しそうに目を細めた平子がいた。ぎゅう、と心臓が搾り取られそうな感覚に夏樹は口を一文字に結ぶ。
「なんやねん」
「ううんっ、なんでもない」
「ほな貰うもんもーたし帰るわ」
立ち上がって夏樹の頭にぽんと手を置くと、微動だにせず押し黙る。何かと思って顔を上げようとしたらぐぐぐと押さえ付けられて見上げることは叶わない。
「平子くん…?」
「あんな」
「うん」
「オレ、本命チョコ誰からも貰うてないねん。全部断ってきた。…夏樹のこと考える、言うたやろ。他の奴のことなんか考えてる暇ァないんや」
「……っ、それ、は」
「せやのにチョコくれへんねんもん。貰いに来てしもたやん、アホ夏樹」
「いたっ」
ぺしっとデコピンの乾いた音がして、夏樹は思わず額を押さえる。平子の手が夏樹の頭から離れると、耳元でおやすみ、と囁かれる。
ぱたりと障子が閉まる音に夏樹は我に返る。平子を感じた耳が、指先が、ぞわぞわと血が巡る感覚に目眩がした。布団に身体を預けて丸く縮まりこむ。
臍の奥が締め付けられるような、身体が溶け出してしまいそうなほどの熱に夏樹はきつく目を閉じた。
見たことのない平子の笑った顔が脳裏に焼き付いてしまって離れない。去り際に言われた事がぐるぐると頭の中を巡る。
―あの時、どんな顔してたの。いいの?私、好きでいて、もっと近くにいたいって思っていいの…?
―どうしよう、止まらない
―好き、だ