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 あの決戦から1ヶ月の眠りを経て、数ヶ月の謹慎と療養を尸魂界で過ごし、現世の日常生活に戻って初めての週末。
 浦原商店の勉強部屋から穿界門をくぐり、十二番隊の隊舎へと降り立つ。

「お、元気そうやな」
「あれ、平子くん…?」

 穿界門を出た先で待っているのは平子だった。

「なんや、死覇装で来たんかいな。色気なあ」
「洋服着てたら目立つじゃん…」
「オレは今日はマユリの監視役。オマエが解剖されてまわんようにな」
「解剖!?」
「全く、経過観察のみの利用とは総隊長も人が悪いネ。折角の貴重な被験体のデータを取りきらないとは時間の無駄でしかない」

 マユリは平子にゴミを見るような目線を向けながら吐き捨てる。ついて来たまえ、とマユリの研究室へと連れて行かれた。
 顔面が妖怪のような装飾をした隊長の姿に夏樹は萎縮してしまう。彼からの刺さるような視線から逃れるように半身を平子の後ろに隠した。

「さて、鬼道は撃てるのカネ」
「浦原さんにやめておけと言われまして…撃てる気もしないんですけど。霊圧が上手く込められなくて」
「まぁ器の維持に霊力が殆ど持っていかれているのだろう。霊力吸収の能力を持つ斬魄刀はきちんと機能しているのなら死神の力も完全に消失した訳ではない。崩玉と斬魄刀の二つの能力が合わさることで、生身の人間が他者から霊力を吸収できているのだヨ」

 マユリの話はやけに早口で小難しい。夏樹はおっかない顔のマユリが楽しげに話すのを視界の片隅に置きながら、怪しげな器具が並ぶ研究室を見ていた。マユリへも研究室へも恐怖は拭えず、隣に立つ平子の羽織の端をそっと握る。

「で、オレが供給係」
「回道とも似ているが根本的な仕組みは異なる。意識が覚醒してからまた仕組みが少し変わったようダネ。何、解析が終わるまでは強い薬剤投与はしないでやるから安心し給え」
「ずっとあかんに決まとるやろ、アホ!」
「電池に口は不要だヨ。だからこの虫けらを研究室に入れたくはなかったんだが…」
「マユリ様、準備が整いました」
「ふむ、そこの台に横になりたまえ。準備が整い次第平子隊長は霊力の供給開始ダヨ」

 台に横になると涅ネムと名乗った女性が自分の体のあちこちにコードが繋がれたシールを貼っていく。正直くすぐったくて外してしまいたかったが、なんとか堪えていた。

「…夏樹、ちゃんと寝れてるか?」
「うん、お薬効いてるから大丈夫だよ」
「夢見は?」

 平子が心配げにこちらを覗いて来て、夏樹は返事に詰まる。大丈夫だと言おうとしたが一瞬の揺れを悟られてしまった。

「あんま良さそうやないな」
「時々、ね」
「ホラ、さっさとしたまえ、電池クン」
「誰が電池や!ったく…」

 夏樹の右手を慣れた手つきで取ると霊圧を込め始める。意識がはっきりしている時に他人に手を繋いでいるのを見られるのは恥ずかしく、夏樹は思わず視線を逸らした。
 マユリに霊圧の微調整を指示される中、夏樹の意識は心地よい温かさに包まれてうとうとと微睡み始めた。

「夏樹、これ終わったら大福食おか」
「大福…?」
「せや、浮竹サンがぎょーさんくれてなぁ。あの人ほんま人に菓子やるん好きよな…ええとこのやから美味いらしいで」
「だいふくかぁ…おばあちゃん…つぶあん…いと…おこられちゃ…」

全て言い切る前に夏樹は規則的な寝息を立てて眠りに落ちてしまった。

「なんでばーちゃんやねん」

 平子は楽しそうにくつくつと笑った。肌寒そうに身動ぎするのを見て、ネムに言付けて夏樹に毛布をかけさせる。

「フム、興味深い結果ダネ」
「なあこれまだやんの」

 霊圧を込め始めてからゆうに1時間は過ぎていて、平子にも流石に疲労の色が見えた。

「経過は順調。しかし崩玉を相殺するのにはこれじゃあ埒があかないナ…霊力増幅器の構造をこの娘の構築パターンに当てはめれば或いは…」
「おーい、マユリィ。自分の世界入らんとオレにも分かるように言えや」
「……チッ、あと30分そのままダヨ」

 自身の熟考を邪魔された事に気分を害したらしいマユリは平子を睨み付けながらそう言った。
 平子は穏やかな表情の夏樹に視線を戻す。意識が戻ったばかりの頃に比べて顔色も随分いい。

―こんな小さい手ェで、刀なんて握らんでもええはずやったのに。これからは死神になんてならんでもええんや、ほんまによかった

 夏樹の手にできた豆は少し薄くなって来ている。これでいいのだと平子は安堵する。

―こっちに来たりせんでもええくらいに体調が回復して、そしたら…まあちょっと寂しいわな

 終わりダヨ、という声と共にネムがコードを外していく。

「これで夏樹の体調はよーなるんか」
「現状はただの対症療法であって解決方法じゃない。死ぬまでの時間を伸ばしてやるのが精々ダネ」
「!?死ぬて…」
「一度壊れた器がこうして形を成しているだけでも奇跡に近いことだヨ。霊力補給の効率は上げられても器がこうじゃ根本的解決は諦めた方が早い」
「なんでや!」
「壊れたものが全くの元どおりになる訳がないだろう」
「…っ」
「あの女が崩玉の仕組みを弄ったようダネ。…私は心の広いからネ。凡人にも分かるように説明してやるヨ」

 くるくると指を回しながらギョロリと目玉を回して眠る夏樹を見やる。

「崩玉の放つ膨大な力で器が崩壊していく現状を、他者が霊力を供給することで崩玉の霊圧を相殺し、器を補強できるようにしている、と。全く…崩玉にすら干渉するとは忌々しい女ダヨ。定期的な補給で器の破損くらいは先延ばしにできる。それがせいぜい今できる治療ダヨ」

 マユリはやれやれと首を振りながら平子を手で追い払った。

「解析データは十分取れた。霊力の容量はまだ余剰があるから足りないようであれば追加するといい。さて、研究材料にならない被験体にもう用はないヨ。さっさと出て行きたまえ」

 平子はマユリを殴り飛ばしたい衝動を抑えて、気持ち良さげに眠る夏樹を抱えた。今、衝動に任せたところで何も解決しやしない。

「…世話ンなったわ」

 平子は十三番隊へと足を運ぶ。五番隊や四番隊では十二番隊から遠く、浮竹が十三番隊舎内に建てた別邸を借りることとなっていた。移動の負担が少なく人も来ない場所だからという点に加え、千代の親戚である浮竹が是非とも力になりたいと進言してくれたのも理由になっていた。夏樹の存在は秘匿事項であることには変わりなく、 瀞霊廷内でも存在を知る人間は限られていたほうが都合がよかった。
 静かな部屋の中で気持ち良さそうに眠る夏樹を布団に寝かせた。床に寝かせた拍子に夏樹はうめき声をあげる。小さな唸り声と共に震える手が何かに縋ろうとするように動く。それが助けを求めているように見えて、平子は思わずその手を取った。
 ぎゅうときつく縋るように握られた手を強く握り返して、彼女の眠りが少しでも安寧なものになるように祈ることしかできなかった。


 = = = = =


 ゆるゆると目を開けると見知らぬ天井が飛び込んでくる。夏樹はぼんやりとしたまま何度か瞬きをする。

―ここ、どこ、尸魂界、そうだ、

 ぼんやりとした頭で記憶を辿り、尸魂界であることを認識する。霊力の供給が始まってすぐに眠気に襲われて寝てしまったらしい。
 ふと左手に何かを握っていることに気付いて頭を横に向けた。

「!!?」

 気持ちよさそうに眠る平子と繋がれた手を目が往復して、どうにか理解しようとしたが何が起きているのかさっぱり分からなかった。

―な、なななんで!?

 思わず解こうとした手は思いの外がっちりと繋がれていて外れそうにない。

「ん…ぅ、おはようさん」
「お、おはよう…」

 身動ぎで目が覚めたらしい平子がやや舌足らずにおはようさんと言う。夏樹は真っ赤なった顔を隠すこともできず唇を内側へ巻き込んだ。

「ん?あぁ。これな、夏樹が離してくれへんから」

 平子は上体を起こすとにやりとしながら繋がれた手を持ち上げた。よう寝たわぁと伸びをするも左手は解放されない。

「あの、手!はなして…?」
「んー?もうええの?」

 平子は揶揄うようにニヤニヤとしながらするりと指を絡ませた。

「いいいいよぉ!」
「ふはっ、めっちゃ吃ってる。その様子やと夢見も悪うなかってんな」
「へ?」
「魘されとったんやで、自分。ちょっと茶ァもーてくるわ」

 平子は障子を開けて出て行く間際に、んな残念そうな顔しいなや、いつでも手ェくらい握ったるわ、と揶揄い文句を残していく。

「うぅ…」

 夏樹は耐えきれず布団に潜る。繋がれていた左手を握って開いて、それからゆっくりと握りしめた。まださっきの熱が残っているようで、心音は速いままだ。

「大福ももろてきたで〜」

 顔の熱が冷めた頃、平子が盆に茶と大福を乗せて戻って来た。

「補給前に話してたん覚えとるか?大福の事」
「そうだっけ?」
「やっぱ覚えてへんか。寝ぼけてばーちゃんがどうのこうの言うてたしな」

 夏樹は布団から起き上がると茶に口をつける。四番隊に入院していた頃から毎度毎度差し入れをもらうので申し訳ないからと断ろうとした。けれどあれは浮竹の趣味だから諦めろと平子に言われてからはありがたくいただいている。
 
「ん、美味しい…!」
「やなぁ」

 流れる時間は穏やかで、つい先日戦争があったことが信じられない程だ。
 今のところこのドナーは平子が担うことになっているが、都合が合わない時はリサが来ることになっていた。

『指紋と同じように霊圧にも波長があるのはご存知だと思うんスけど。相模サンはその波長が自分に近い程吸収しやすい性質を持っているみたいなんス。で、前までは崩玉もきちんと機能してたので誰のものでもそれなりに吸収できたんスけど、今はそれも厳しく…平子サンも八胴丸サンも波長はそこまで近しくないんスけど、以前に精神世界を繋いだ関係か吸収しやすいみたいなんスよねェ』

 浦原に一度霊力を試しに分けてもらった時は波長の違いからか、酔って嘔吐してしまった。その上半日以上寝込むことになる。

『他人の霊圧を変換して吸収する、なんて解析できたらトンでもないことッスよぉ…これは相模サン独自の能力と言いますか…ええ。霊圧を吸収して自分のものにする能力を持つ斬魄刀はありますが、それとも根本的に仕組みが異なるんスよねェ』

 怪しく目を光らせながら早口にそう漏らした浦原に何故か危機感を覚えて思わず距離を取れば、浦原は夜一に厳しい蹴りをお見舞いされていた。

―うー…あの時は何か怖かったなぁ…浦原さんも涅さんと同じ科学者だから気は抜けないとこあるよね…

「何顔顰めてるん」
「あ…浦原さんに霊力をもらった時のこと思い出して…ちょっと怖かったなーって」
「喜助もマユリと同じ穴の狢やからな。そういや隊長格でドナーおらんか探したけど1人おったみたいやで」

 波長が合う以外にも霊力が多い者となると必然的に隊長格が候補として上がったのだった。

「へえ」
「名前なんやったかな…片目隠れた金髪の根暗そ〜〜な若い男やってんけど…」

 そこまで特徴を言われて夏樹は苦笑い気味に1人の少年を思い浮かべた。

「それ、イヅルさん?」
「あぁ!せやせや、そんな名前やったわ。知り合いなん?」
「うん」
「なるたけスケジュールは調整するけど都合あわんかったらすまんな」
「ううん、疲れる事ずっとお願いする事になってごめんね」
「自分はそんな事気にせんと元気に過ごすんにどうしたらええか考えとったらええわ」
「…うん」

 この休息の後は卯の花の診察を受け、一晩経過を見た後現世に戻る手筈になっている。霊力の回復は現世よりも尸魂界の方が効率がいい。
 夏樹はこれから繰り返される週末の治療にほんの少しため息をつく。予定が治療で埋まってしまうのは仕方ないのだが、平子と毎週これを続けるということは、

―正直心臓が保たない…眠気が来ることだけが幸いなような…

―好きにしていいって言われたけど、好きに…好きに?うぅ…

―いつまで生きてれるかも分からない私が、好きで居続けるのってかなり身勝手なような

「霊力まだ落ち着かんか?」
「ん?いや、多分大丈夫」
「ほんまか?んー…ほれ、手ェ貸し」

 ぼんやりとしているとあっという間に手を取られてしまう。体の芯がじんわりと温かくなっていく感覚が擽ったい。

「顔色あんま良うないで」
「そうかなぁ」
「1週間現世で過ごしてどうやったん」
「正直体力ガタ落ちで全然動けなくて…やっと外に出れるくらいになったから来週からは学校に行くよ。まだ午前中だけなんだけど」
「そーけ、そらよかったわ」

 また瞼が重たくなってきて、夏樹の首は時折かくりと落ちる。

「もうちょい寝とくか?」
「…おきてるよ……このあと、卯ノ花さん…きてくれる、でしょ…」
「ほな来はったら起こしたるし、寝とき」
「ん…」

 後悔も哀しみも心の中に置いたまま、限りある未来をどう歩くのかも決まらない。それでもこの温かさに触れている今だけは確かに幸福で満ち足りていた。