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 2週間に一度になりつつある尸魂界の訪問。今日は平子は急な遠征で不在、リサも新商品開拓の旅に出ていて不在となって、吉良が担当となっていた。

「今日はありがとうございました。疲れるようなことをお願いしてしまってすみません」
「いや大丈夫だよ。平子隊長の方が霊力がお強いから…ボクももっと精進しないとだね」

 疲労感の残る顔で吉良は穏やかに笑った。浮竹にもらった若鮎を口にしながら静かな時間が流れる。
 夏樹は2週間ぶりに平子に会えると思っていたのに、と内心残念に思ってしまった自分を叱咤する。

―どうしよう、本当は言うべきかなって思ってたけど…今週会えないんじゃ仕方ない、よね…気のせいかもしれないし

 自分の身体に僅かに現れ始めた違和感に夏樹は内心不安を重ねていた。今は静かに眠っているはずの天災が、時折寝返りを打つような微弱な挙動を示していたのだ。

ー涅さん怖いから平子くんいない時に話したくない…し、するなら浦原さんとかかな…良くないとは思うんだけど、怖いものは怖いんだもん…

「にしてもずっと何か堪えていたようだけど…その、ボクじゃやっぱり至らなかったかな…」

 夏樹は吉良の声に気付くと思考を断ち切った。

「そ、そんなことは…!その、イヅルさんの霊力って少し擽ったくって…」
「人によって違うのかい?」
「はい。平子くんの時はあったかくて眠くなるしリサの時はちょっとお腹が冷えます。あと一度にくる量とかも関係してて…」
「へえ。じゃあ平子隊長の霊圧が相性は一番いいんだね」

 そう言われて夏樹は顔に熱が集まる。照れを隠すように慌てて返事をする。

「そうかも、しれないですねっ」

―あぁあ!そうかもしれないですねって何!?は、恥ずかしい…

 夏樹は話題を切り替えようと思考を巡らしていると、ふとずっと聞きたかったことがあることを思い出した。平子には尋ねにくくて遠慮していた話題も、彼になら聞ける気がした。
 今なら、今なら向き合える気がしたから。

「その、イヅルさん」
「なんだい?」
「不躾なことを聞いてしまうんですけど…」

 夏樹は手を握りしめると、おそるおそる吉良と顔を合わせた。

「市丸ギンと東仙要のお墓ってあるんでしょうか」
「!」
「すみません…もう、名前も聞きたくないかも、しれないんですけど、その」
「…いや、そうか。もしかしてずっと誰にも聞けなかったのかな」
「はい…行くのも聞くのも、恥ずかしい話なんですけど、怖くて」

 吉良は穏やかな表情で二人の墓はあると答えた。

「罪人の墓を瀞霊廷内に建てるわけにはって許可が降りなくてね。流魂街に建てられたんだ。今日は…お二人の月命日だものね」
「恨んで、ないんですか…?」

 怨恨を隠したような表情ではなく、どこか懐かしむような表情に夏樹は思わずそんなことを聞いてしまう。

「あ、軽はずみなことを聞いてしまってすみません…」
「大丈夫だよ。そうだね…今でも何故という気持ちは消えないけれど。隊長のことは尊敬していたし、隊長との記憶はボクがボクとして生きてく上で捨てれない大切なものばかりだよ。表立っては言えないけれどね」

 彼が今も心のうちで慕われて生きている、そのことに夏樹は目頭が熱くなって慌てて目を擦った。

「お墓まいりに行きたいんだね」

 夏樹は大きくかぶりを振って頷く。

「じゃあ良かったら一緒に行こうか。今日はこの後ボクも行くつもりだったから」
「ありがとうございます…!」

 瀞霊廷から流魂街に出て向かうのは人里離れた丘だった。見晴らしが良い高台からは瀞霊廷が一望できる。

「ここが、東仙隊長のお墓だよ」
「あれ、吉良じゃねえか」

 二つの人影がこちらを向いた。二人とも東仙と最後に話し合っていた死神だと夏樹は記憶が掘り起こされる。

「お疲れ様です。二人もいらしてたんですね」
「今日は月命日だからな。って後ろにいるの…」
「その、お邪魔してしまいすみません。要に花を…手向けさせてもらってもいいでしょうか」
「貴公は確かあの日の…」

 夏樹は視線があってびくりと背を伸ばす。大きな狗の死神は膝をつくと夏樹と視線を合わせた。

「儂は狗村左陣。そう畏まらないで大丈夫だ。儂は東仙の…そうだな、友人だ。知ってはいるんだが、本人からきちんと聞きたくてな。貴公の名を教えて貰えるか」
「相模夏樹です」
「うむ、良い名だ。好きなだけ東仙に手を合わせてくれ。きっと喜ぶだろうから」
「ありがとうございます」
「儂等はもう済んだから、ゆっくりしていくといい」
「はい」

 夏樹はぺこりと頭を下げた。2人はゆっくりとした足取りで立ち去って行った。
 墓の前で手を合わせて黙祷を捧げる。目を開けると瀞霊廷が遠くに見えて、柔らかい風が夏樹の頬を撫でていった。

―要、なかなか来る勇気が持てなくて、ごめんね。私、ちゃんと生きてるよ

ーやっぱり、どうして要が殺されなきゃいけなかったのかな。どうして、命まで奪ったの

 東仙との思い出が駆け巡って、涙が出そうになり慌てて顔に力を込める。理解できない父への憤りがざわりと内臓を燃やすような感覚に蓋をする。

「イヅルさん、ありがとうございました」
「いや、ボクは何も。市丸隊長のところにも行こうか」
「はい」

 墓から数歩離れたところで夏樹は空を見上げた。きっとここは、東仙の好きな星がよく見える。見えなくても感じるのだと優しく笑う表情が一等好きだったことを思い出した。

―また来るね、要

 移動してギンの故郷だという場所へとたどり着く。

「ここは市丸隊長の育った場所なんだけど…あまり治安が良くないから離れないでね」
「はい」

 あたりを見回すとボロついた家屋が目についた。時折野太い怒号が聞こえてくる。夏樹は恐怖を隠すようにしゃきりと背を伸ばして歩いた。

ーギンが、育った場所…

「吉良じゃない!遅かったわね」
「お疲れ様です、今日は別の用事があって」
「あら、この子確か…平子隊長の秘蔵っ子?」

 美しいブロンドの髪がさらりと揺れる。夏樹はこの人は空座町で藍染と対峙した時に出会った女性だと思い出した。彼女は上から下に夏樹を一度だけ見た。

「今日は平子隊長も八胴丸さんも不在だそうでボクが代わりに」
「そう。アンタ…怪我はもういいのね?」
「は、はい!」
「良かったわ。あの時酷い怪我だったでしょう」

 乱菊の纏う雰囲気は柔らかく、夏樹は緊張しながらも少しだけほっとしていた。もっと嫌悪の籠った視線が向けられると思っていたから。
 夏樹は花束を墓の前に置くと静かに手を合わせる。ギンの死に目を感じながらその場に行かなかったことに対して、後悔が少し残っていた。彼の最期が穏やかなものであったことを祈るばかりだった。

「あの時はありがとうございました」
「あの時?」
「空座町で…」
「あぁ!あたしは別に何もしてないわよ。あ、そうだ。あたし松本乱菊。お参りに来てくれてありがとね」
「いえ!そんな…私、ずっと来れなくて、来ていいのかも分からなくて」

 そんな弱気な夏樹を乱菊は思い切り抱きしめた。豊満な胸に顔を埋められ、夏樹は息が詰まって手をばたつかせる。

「来ていいに決まってんでしょ!あんなバカのために来てくれるだけで十分よ」
「ぷはっ」

―胸で溺れ死ぬとか、本当にっ、あり得る…!

 呼吸を整えながら、ギンと親しい仲だったのだろうこの女性に夏樹はひとつ思い出したことがあった。

「ま、松本さん…あの、聞きたいことがあるんですけど」

 乱菊の穏やかな目に促されて、夏樹はこの人がそうかもしれないと思って口を開く。

「…空座町の秋祭りに来ていました?」
「!なんで、アンタがそれを…」
「私もその日、来てたんですけど…ギンが会いたい人がいるって…松本さんだったのかなって、なんとなくなんですけど…」
「そう…ええ、会ったわ」
「そうですか…」

 ギンにも大切なものがあった。彼の願いも何も分からないまま、それでもささやかな願いが叶えられた事実に夏樹は胸がいっぱいになる。

「松本さんはギンの…」
「ん、そうね…幼馴染、ってとこかしら。何も言わずに出て行って、置いて行って。あいつのそういうところ、本当に嫌いだったわ。でも…そうね。全部ひっくるめてギンらしくて、嫌いになれないのよね」

 乱菊は優しい手つきで夏樹の頭を撫でた。乱菊は郷愁と哀愁の混じった表情で笑いながら、穏やかな口調で言葉を続ける。

「アンタにとって、ギンってどんなやつだったの?」
「意地悪だけど…優しいお兄ちゃんでした…!なのに、私っ…最期、怖くて、死んだなんて思いたくなくて、行けなくて…!!」
「ギンの最期、笑ってたわよ。穏やかな表情をして逝ったわ」
「!!」

 その言葉を聞いて、震える声でよかったと呟きながら夏樹の涙腺は決壊する。子供みたいに声をあげてわんわんと泣き声をあげてしまう。
 急な落涙に驚きながらもそんな夏樹を乱菊は優しく抱きとめた。
 例え一方的な感情だとしても、家族だと思っていたから。大切にしたい存在だったから。夏樹はギンや東仙に会えない寂しさが止まらなかった。
 泣き止み始めた辺りで乱菊はそうだ!と夏樹の肩を掴む。

「今日暇?」
「へ?は、はい」
「吉良、アンタ今日の仕事、この子の付き添いでしょ?」

 乱菊の言葉に頬を引きつらせながら吉良は今後起きるであろうことに冷や汗をかく。

「あの…松本さん、彼女未成年ですからね…?」
「今から飲みに行くわよー!」
「わっ」
「何かあったら平子隊長に怒られますって!!松本さんっ!」

 夏樹の手を掴むと意気揚々と歩き始めた。その後ろを吉良が慌てて着いて行く。

「修平も呼んじゃお。夏樹、面識ある死神って誰?仮面の軍勢の人以外で」

 突然名前で呼ばれて夏樹はびくりと反応する。

「えっと…ルキアちゃんと阿散井くん…それから雛森さんにも前お会いしました。浮竹さんと卯ノ花さんとかでしょうか。あの、私お酒は飲めませんよ…?」
「ふーん、そのメンツなら…朽木と恋次かしらね!適当に何人か呼んじゃいましょ〜っと」

 話を聞いているのに聞く気がないらしく、話をポンポンと進めていく。あれよあれよと言う間に瀞霊廷の酒場に連れ込まれてしまった。騒がしい夜が始まる予感がした。