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 夏樹はテッサイと台所に立つ。今日のおかずは夏の始まりを告げるメニューだと、夏野菜カレーを作っていた。手羽元はごろりと大胆に、ズッキーニやナス、トマト、オクラと夏の代名詞が台所に並んだ。

「先に切れ目を入れておくと火が通りやすくなりますぞ」
「なるほど…」
「相模殿は手際が良いですな」
「テッサイさんに比べたら全然ですよぉ」
「よく作られているので?」
「はい。おばあちゃんと交代ばんこです」

 肉や野菜を炒めて水を入れて。隠し味の話で盛り上がりながら、付け合わせの調理も進んでいく。

「ツナ缶混ぜちゃうんですか?」
「そうしないとジン太殿が野菜を召し上がらないので」
「あー…なるほど」

 コールスローサラダにツナ缶も混ぜながら、夏樹はスープ用の玉ねぎを刻んだ。

「学校は楽しいですかな?」
「はい!一護の他にも知ってる子がたくさんいて…みんなほんとに良くしてくれて、恵まれた環境にいると思います」

 夏樹が仕上がったカレーをちゃぶ台に並べていると人の姿で夜一が現れた。

「相模が作ったのであれば食わねばならんのう!」

 嬉しそうにちゃぶ台の料理を見つめた。ジン太も雨も帰ってきて、ぐるりと人が食卓を囲む。

「平子サンなら8時頃に大体来られるので先に食べちゃいましょ」

 夏樹の頭の中を読んだような浦原の台詞にしどろもどろ気味に、はいと答えた。久しぶりの大人数の食事で話に花を咲かせながら、ジン太のカレーおかわり!の掛け声に笑みを零す。

「あー美味かった!ッシャ!次はデザート!!冷蔵庫にゼリーあったろ」
「もうないよ…」
「ハァ!?」
「だってそれ私のゼリーだもん、食べちゃったよ」

 雨が髪の毛を触りながらもジン太に言い返す。その一言にいつもの光景である喧嘩が始まるが、テッサイがジン太を竜骨な筋肉で締めて終結させた。

「ハイハイ、喧嘩はそこまで!今日はお客サンもいることですし、何かデザートを買ってらっしゃいな。ほら、みんなの分買ってきて」
「わ、私の分はいいですよ!?」
「子供は遠慮しなくていーんですヨン」

 よしよしとあからさまな子供扱いを受けたまま、夏樹は追い出されるように浦原焦点を出た。歩いて10分のコンビニ。雨と手を繋ぎながらコンビニからの帰り道をのんびり歩く。ジン太もデザートを新たに買ってもらえてご機嫌だった。

―あれ、平子くんもう来てる?

 浦原商店に戻ると平子の霊圧を店の中から感じる。居間に戻るとちょうどテッサイが料理を一式乗せた盆を手にしていた。

「おかえりなさいっス。これ、平子サンのところに持って行ってもらっても?」
「げ、アイツまた来てんのかよ」
「ジン太君話聞いてなかったの…?」

 雨の言葉につっかかろうとするジン太に、何を買ってきたのだと聞いてテッサイが気を逸らさせた。

「ほらほら、冷めちゃわないうちに早く」

 ぐいぐいと背中を押されるがままに部屋の方へと足を運んだ。待ちたいと言ったのは自分の癖に、いざ扉を前にすると緊張感が募る。
 無言で扉をノックすると気の抜けた返事が返ってきた。

「いつもすまんなー、キリええとこまで読んだら食う、わ…?」
「お疲れ様です、平子くん」
「へ、なんで…おるん?」

 死覇装のまま床にあぐらをかいて紙の束や本を散らかしている。ポカンとした表情で平子は夏樹を見上げた。持っていたペンがかたりと机を叩く。

「えっと…今日は夏野菜カレー、です!」

 平子は夏樹から目を離さずガサガサと器用に紙を一箇所にまとめた。

「あ、うん、美味そうやな。やなくてな!?」
「えへへ」
「えへへとちゃうわ!可愛い顔して笑たらなんでも誤魔化せる思うなや!?喜助のアホは何しとんねん!?」

 平子は怒りを露わにしつつも散らかった机を片付けていく。その隙間にカレーやスープを置いた。平子は夏樹が文字を読まぬよう手早く片す。

「読みなや」
「…なんで隠すの?崩玉…のこと?」

 文字を追う夏樹の眼前にひらひらと手を振った。

「おま…はぁ。資料読まんでも知っとったけど知れば知るほど嫌ンなるわ。こんなもんおいそれと学んでええもんと違うし研究してええもんでもない」
「ふぅん…」
「別にオレが理解できへんのはアホやからやないからな!?」

 平子が凄みを出した顔で迫るものだから思わず笑ってしまう。不服そうに顔を顰めながら、読んだらあかんで、と重ねて言うと資料を夏樹の視界から遠ざけた。

「私に関係することなのに私が読むのダメなの?」
「あかんわ!あかんに決まっとるやろ。オマエの本業は高校のベンキョやろ。またテストあるんとちゃうのん」
「ヤなこと思い出させないでよぉ」
「こっちの世界のことは死神に任しとき。っし、いただきます」

 むくれる夏樹を笑いながら平子はカレーに口をつけた。

「お、美味い。尸魂界おると洋食あんましあれへんのよなぁ」
「そっか」
「…何嬉しそうな顔しとん」
「今日はテッサイさんのお手伝いしたから」
「さよけ」

 夏樹は立ち上がると扉に手をかけた。

「食べ終わったらお皿貰いに来るね」
「ん?」

 本当はお礼を言いたかった。生きる事を願ってくれたことを。けれど照れ臭さも相まって上手く気持ちを紡げない。このまま居座るのも居たたまれなくなって夏樹は平子に背を向けた。

「飯食うとる時くらい紙モン触らんわ。話し相手におってえな。ぼっち飯せえってか」

 ちょいちょいと手招きされて、夏樹は迷いながらも平子の向かいに座った。

「今日はなんでここ来てたん」
「一護のアレ…研究のお手伝いだよ」
「ああ。死神の力取り戻させる〜言うてたやつか」
「うん、そう」

 本当は夕方には終わっていたのだけれど待っていました、なんて言葉は出せるはずもなく夏樹の内側でだけ発せられた。

「体調は大丈夫か?」
「うん、変わらずだよ」
「しんどい時はちゃんとしんどい言わなあかんねんで」
「はーい」

 変わらず悪くなりつつあることも隠した罪悪感も笑顔の下に埋めてしまう。死んだら消えてしまうなんて事、平子を前にするとやはり言える気がしなかった。
 学校のことや尸魂界のことを話しながら穏やかな時間が流れる。話をしていながらも頭の片隅に募る罪悪感が苦しくてたまらない。

「崩玉の研究、しちゃダメなのに…その、色々と大丈夫?平子くんもだけど、涅さんとか、浦原さんとか」
「ああ、そら気にせんで平気や。ちゃんと建前も裏事情も整えてある。他の貴族や何やを黙らせるんにな」
「なんて言ったの?」
「…ん、そらァ大人の事情やし内緒や」
「私別に子供じゃないんだけど…浦原さんもそうだし、すぐ子供扱いする」
「アホォ、オレらから見たら人間なんてみんなガキみたいなもんや」

 平子は顔を顰めながらもこれ以上深く追求されずにホッとしていた。

―藍染惣右介を殺せる可能性がある、万が一のための抑止力。なんて流石に言えへんわ

 平子は数々の書類の山やら貴族とのやりとりやらに辟易とした感情を思い出しつつ、表にはおくびにも出さずに内心でため息をついた。

「ごっそさんでした、美味かったァ」
「あ、プリン買ってきたのあるよ。食べる?」
「食う!」
「取ってくるね」

 空になった食器も持って廊下に出る。扉を閉めて夏樹はフゥ、と息を吐く。

―やっぱり、言えない。なんて、言えばいいの?もうすぐ死ぬかもしれないって?死んでも尸魂界には行けないって?そんなの、

 不意に足元を温もりが通り過ぎて夏樹は視線を下に投げる。

「浮かない顔じゃのう。どうやら言えんかったようじゃな」
「夜一さん」
「乙女じゃのう」

 猫の姿なのに何故かニヤニヤとしている表情が見て取れて夏樹は顔を顰める。

「別に、そんな顔してませんし」
「強情な奴め。平子に会いたかったんじゃろ?」
「それは…その、」

 否定しようにもその通り過ぎて否定すらできない。

「意地悪言わないでくださいよぉ…」
「カカカ、この程度で意地悪か!青い青い!愛い奴じゃ!」
「うぅ…その、私そんなに顔に出てます…?」
「態度でバレバレじゃの」
「嘘、いや、そんなはずは…」

 夏樹はウンウンと唸りながらリビングに戻る。夜一はやはり楽しそうにカラカラと笑った。

「テッサイさん、さっきのプリンください。平子くん、完食です」
「綺麗に食べられましたな」

 食器を見て満足そうにテッサイは頷く。そのすぐ横で雨とジン太が喧嘩を始めて夏樹は慌てて仲裁に入る。ようやく落ち着いた頃には、洗おうと思っていた食器も全て洗われていた。部屋に戻ると話し声がする。

「お待たせしましたー」

 浦原と平子が何か真剣な表情で話し込んでいた。

「お、さんきゅ」
「さて、アタシは自室で続きしてますので。お邪魔なようですし」

 語尾を上げて楽しげに平子にウインクをかます浦原を見て、平子は心底嫌そうな顔をした。

「ウッッザァ」
「何話してたの?」
「よう分からんとこ多いから聞いてた。彼奴ほんまようこんなん思い付くし解析するし頭どないなっとんや…」
「天才って怖いねぇ」
「ほんまな」

 書類を置くと夏樹からプリンを受け取る。夏樹の選んだプリンは季節限定の夏みかんがあしらわれていて、酸味と甘みのバランスが絶妙でこれはアタリと呼べるものだった。その美味しさに頬が緩む。

「おいし〜〜!」
「おー、こらお上品でええな」
「季節限定なのが惜しい…」

 夏樹は空になったプリンを眺めながら暇つぶしに材料名に目線をやる。

「そういやもう9時やけど家早よ帰らんでええのん」
「あっ!あー…」

 祖母に帰ると伝えたのは8時過ぎ。慌ててケータを出すと着信履歴が残っていた。メールにも『早く帰って来い』の文字が並ぶ。

「やばーい、かも…?」
「あんましばーちゃん心配さしたあかんで」
「うん、もう帰るね」

 急いで荷物をまとめると店の入り口に平子が立っている。

「お、来たな。ほな行くで」
「へ?」
「何アホな顔しとるん。普通に帰ったら1時間くらいかかってまうやん」

 やれやれといった表情で立っている平子を見て、送って行くから早く乗れ、と言っているのだと気付く。平子はそれが当たり前だといった態度で手招いている。

「えっ、と…その、よろしくお願いします」

 やや尻すぼみになりながらも、夏樹は素直に甘える事にした。甘えてもいいのだと平子は言ってくれるから。その心を無碍にしないように考えられるようになったのは夏樹の成長とも言える。

「じゃあまたお手伝いお願いするときは連絡するっスね」
「程々にしとけよ」

 平子は気に食わないといった顔で浦原を睨む。そんな平子を浦原はけらけらと笑った。慣れた動作で夏樹をおぶると平子は鳴木市へと足を動かした。
 夏樹は平子の体温を感じながら、慣れたはずの移動にも毎回心拍数が上がって仕方がなかった。

―自惚れちゃ、いけないのに…こんなに沢山の、沢山の気持ちを貰って、自惚れちゃいそうで、怖い

 好きだと思う気持ちが止めどなく溢れて、理性で蓋をしないと口に出してしまいそうだった。遠くない未来で、自分は消えてしまうかもしれないのに。

―多分、私もう我慢できなくなってる

 触れていたいと思ってしまう、もっと知りたいと思ってしまう。欲は際限なく湧いてきて、苦しくて。終わりがあるのなら早く終わらせて欲しいと願ってしまうほどに、平子に焦がれてしまっていた。

―でも、言えない。好きだなんて、言えないよ…

 消えてしまうだなんて言えなくて。残される辛さを分かってしまうからこそ、この気持ちをこれ以上大きくしてはいけないと平子に気付かれぬよう手を強く握る。
 その拍子に涙が一粒、平子の羽織に落ちてしまう。

「あっ」
「ん?」
「なんでもないよ!」

 家に着くとやはり祖母はお怒りモードで、軽い拳骨が頭に落ちた。平子を玄関で見送ると夏樹は静かにため息をついた。どうかあの涙を平子が気付くことがありませんように、と。

―どうしたら、どうしたらいいんだろう

 寿命の事を秘匿した罪悪感と自分の弱さへの自己嫌悪が心をぎゅうと締め付けた。ベッドにごろりと寝そべってゆっくりと打つ自分の心臓の音を聴く。

―生きてる。私はまだ、生きてるから