Re:小さなレディ



 買い物くらい俺が付き合うのに。xxxから送られてきたメールを確認し、心の中で呟く。多忙な日々をおくってはいるが、xxxの頼みであれば何とかして半休くらいは作れる。相変わらずワガママを言わない婚約者は、自分にはもったいないくらいだ。だからと言って手放す気は毛頭ないが。
 繁華街の片隅に止めた車の中で、ノックだという疑いのある組織の男を見張る。バーに入ったきりまだ出てこないが、入り口は1つしかないので逃すことはないだろう。ジンが「ユニコーンの威を借るネズミ」と言っていたのでMI6か。ある意味では同士だが、よろしくしている場合ではないので少しでも怪しい素振りを見せたらズドンだ。もっとも、命を奪うのは俺ではなくキャンティだが。大義の為とはいえ、人殺しやその手伝いにはいつまで経っても慣れない。それどころか気が滅入る一方だ。
 男が出てきた。昼過ぎから見張ってはいるが、数時間してやっと移動した場所は何の変哲もない住宅街だった。セーフハウスにでも向かう気かと、車から降りて慎重に後をつける。もうすっかり日は暮れてしまっている。何が悲しくて半日も男を見つめていなければならないのか。耳につけたイヤホンからGOサインを急かすキャンティの声が聞こえた。
 その辺のアパートに入るのだろうと思っていた男は、予想に反して、あまり大きくはない倉庫へと消えていった。ガレージと言った方が近いだろうか。窓がなけりゃ狙撃が出来ないとキャンティが悪態をついた。この女はいちいち文句を言わないと気が済まないのか。キャンティを無視し、半開きの入り口からそっと倉庫の様子をうかがう。追っていた男が1人いるだけだ。中に入らない事には、これ以上の情報は得られないだろう。入口の近くにあった障害物に身を潜ませ、倉庫へと足を踏み入れた。倉庫内にはガラクタが多いが、壁際だけ異様に綺麗だった。壁自体もペンキを何度も塗り直されたような違和感。一体どうして、と考え込んでいるうちに男がガラクタを漁り始めた。ここへ来るのも時間の問題だ。そろりと移動しようとすれば、またキャンティが耳元で怒鳴った。
「チンタラしてんじゃないよ! さっさと獲物をアタシの前に寄越しな!」
 彼女の声量と倉庫の構造が相まって、イヤホンから漏れたその声は男の耳にも届いてしまったようだった。舌打ちをしてキャンティに小言をぶつける暇もなく、男が「誰だ」と叫んだ。明らかに動揺したその男は、叫んだあと出入り口へと走り出した。みすみす取り逃がすわけにはいかないので、咄嗟に足払いをする。転んで俺を見上げた男は「バーボン」と驚愕の表情で呟いた後、睨みつけてきた。取り繕うなり何なりすれば良いものを、その反応では自らノックだと言っているようなものだ。この場所を探れば男がノックだという証拠が出てくるのだろうが、それまでの時間稼ぎにはなるだろうに。なんにせよ、男をポイントまで運ぶことができれば任務は完了だ。
 打ち所が悪かったのか、転んだまま動かない男を一瞥しキャンティに連絡をとる。どうしますか、と判断を仰いだところで視界の男が動いた。気絶したフリだったか。どこかに隠し持っていたらしい銃を突きつけられる。これは参ったな、と両手を上げた。
「バーボン……お前に特別な恨みはないが、お前とそのイヤホンの向こうにいる女には死んでもらわなければならない。この場所を知られてしまったからな」
 両手を上げたところであまり意味はなかったらしい。この状況を打開する方法を考えるため、時間稼ぎに挑発をしてみる。
「知られて困るのなら、もっと隠す努力をお願いしたいですね」
 目を細めてそう言えば、男は簡単に挑発に乗ってくれた。何だと、と眉を吊り上げた彼は怒りでうまく俺の心臓を狙えないらしい。発砲される確率は上がったが、銃弾が当たったとしても死ぬことはないだろう。ケガをしてxxxに心配をかけたくない――いや、心配してもらえるならそれはそれで本望だ――がやむを得ない、と一歩踏み出したところで声が聞こえた。
「そんなんじゃないわよ!」
 声の高さからして、少女だろうか。聞き覚えがある気もしなくはない。それに続けてxxxの笑い声が聞こえる。こんな所で何をしているんだ。男はそれに一瞬気を取られたようで、俺へ向けていた意識がそれる。その隙を見逃さない手はなく、素早く拳銃を蹴り上げた。地面に転がった拳銃を踏みつけて確保する。さて、と男の方も同様に確保しようとしたが腐っても秘密諜報員と言ったところか。すでにそこに男の姿はなかった。イヤホンの向こうで銃声がしたので仕留めたかと思ったが、その後聞こえたキャンティの不機嫌そうな声に事態を把握した。ジンからの嫌味は避けられないな。
 せめてもの収穫にと倉庫の中に入り、壁を念入りに調べる。xxxがこの近くに来ているようだし、早めに終わらせて迎えに行こう。偶然居合わせたのかもしれないが、わざとこちらへ聞こえる音量で会話をして俺を助けようとしたに違いない。気持ちは嬉しいし、結果的に助かったが危険この上ないのでよく言っておかなければ。
 ペンキが何重にも塗ってある以外、壁に不審な点はない。ガラクタの山を見渡せば、照明器具が目に入った。なるほど、と呟く。倉庫の電気を消して照明器具の電源を入れる。青い光が壁を照らし、そこにはびっしりと文字が浮かび上がっていた。書いてあるのはAからZまでの26種類だが、暗号だろう。携帯で写真をとり、その場を後にした。
 ジンに事のあらましと撮った写真を送り付けると、俺を罵る言葉と共に今日は解散だという返事があった。添付写真の効果はあったらしい。車に戻って、GPSでxxxの居場所を確認する。進んでいる方向からして帰ろうとしているのだろう。愛しい顔を思い浮かべ、彼女のもとへ向かった。
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