後輩



 商店街のパン屋さんに行き、安室さんが監修したというハムサンドを買った。仕事をしないというのは案外暇で、警察庁が少しだけ恋しくなってきた。暇をもて余していることだし、時間が経っても本当にこのハムサンドが美味しいのか検証するのも良いだろう。そうするとこれはお昼ではなくおやつになるなあ、と紙袋を抱えて歩いた。
「xxx先輩!?」
 ふいに懐かしい声が聞こえたのでそちらに体を向ける。視界に捉える前に声の主が私に突進してきた。辛うじて見える明るい茶色のボブカットをぐりぐりと押し付けられ、抱えていた袋がくしゃりと音をたてた。潰れていないか心配だ。
 それにしても先程警察庁が恋しくなったばかりで、さっそく彼女に遭遇するとは。xxx先輩xxx先輩と何度も私の名前を呼ぶ柚の肩にそっと手を置いた。
「久しぶりだね、柚」
 元気だった? と努めて柔らかい声で尋ねた。柚は顔を勢いよく上げると、泣きそうな顔でひとしきり喚く。それなりに声が大きいので、他の通行人も何事だとこちらを気にし始める。慌てて道の端に寄り、よしよしと彼女を宥めた。
「心配したんですからね! いきなり居なくなるし、連絡もとれないし……誰に聞いてもよく知らないって。xxx先輩のいない毎日が地獄のようでしたよ。私がどれだけ探したか分かります? xxx先輩の家も別の人が住んでいましたし、先輩のよく行く場所とか先輩の知り合いの所とか色々駆け回ったんですから! それでもxxx先輩はどこにも居ないし、もしかしたら何か事件に巻き込まれたのかもって思って捜索依頼したんですけど、何故か受理されなくって。もう本当無事でよかったですxxx先輩」
 柚の喋りに気圧されて相槌しか打てなくなってしまった。突然音信不通になって申し訳ない。私のせいではないんだけどね。それを苦笑いに閉じ込め、心配かけてごめんねと謝った。柚は全くですよと頬を膨らませた後、嬉しそうに笑ってお詫びにこれから一緒にいてくださいねと私の手を引いた。今日は暇だし良いか。ああでもこのハムサンドどうしようかなと思っていると、それを察した柚が「私の家でお昼にしましょう」と提案した。

 柚の家につき、そういえばここに来るのは初めてだなあと部屋を見回す。柚は私からパン屋の袋を受け取り、お昼の準備をしている。仲が良いとは思っていたがお互いの家にお邪魔したことはない。あれ、じゃあどうして柚は私の家に別の人が住んでいると分かったのだろうか。自分の家を知らない間に把握されていることに軽くデジャヴュを感じて記憶を遡るが、何も出てこないので気のせいかもしれない。
 お待たせしましたと柚がハムサンドとコーヒーを持って戻ってきた。ソファとローテーブルしか無いので、ソファに並んで座る。温かいコーヒーの香りが漂い目を細めた。いただきます、と手を合わせてハムサンドを頬張る。柚が軽く温め直してくれたので、まるで焼き立てのようだ。
「このメニューって、何だかポアロみたいですね」
 柚が懐かしむように言った。そうだね、と頷いてコーヒーを啜る。ポアロで飲んだものとは違うが、こちらも美味しい。どちらかというと、以前の私が家で飲んでいたものの味だ。慣れ親しんだ味がすると呟けば、私の行きつけだったお店のストロングブレンドだと教えてくれた。通りで知った味だなと納得する。勤めていた頃のように柚と会話をしながら昼食をとっていると、段々と眠くなってきてしまった。いけないとは思いつつ睡魔に勝つことは出来ない。「ごめんね、10分だけ」と柚の肩を借りた。
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