後輩2



 大きな音で目を覚ました。ガシャンと何か割れた音、ドンと壁に何かが当たった音。女性のうめき声、男性の怒声。慌てて辺りを見回してもリビングルームには私以外にいない。飲みかけのコーヒーはとっくに冷めていて、ハムサンドは綺麗に平らげたのでお皿しか残っていない。
 事件はここではなく、玄関へ続く廊下で起こっているらしい。急いでそこへ向かおうと立ち上がると、左の足首に違和感があった。視線を下に向ければ、長い鎖の足枷がある。私の左足から延びるそれは、ベッドルームへと続いているらしい。ああいや、それどころではない。明らかに暴行事件の気配だ。鎖の長さからして室内は自由に動き回れるようなので、勢いよく廊下へのドアを開けた。
「な、なにして……!」
 割れた花瓶、踏まれた花、壁に押し付けられた柚、彼女の首を絞める安室さん。2人は私に気付き、同時に私を呼んだ。安室さんは柚から手を離して私に駆け寄る。彼は私の足枷に気付くと悲痛そうに顔を歪め、今外すからと手を伸ばした。私はそれを押しのけて咳き込む柚の傍による。安室さんが背後で何か言ったようだが私の耳には届かない。
「柚、聞きたいことは沢山あるけど……それよりも手当てが先だね。血がたくさん出てる」
 救急セットは有るかと問えばその所在が返ってきた。待っててねと声をかけ立ち上がる。振り返ると表情を無くした安室さんに通せんぼをされた。どいてくださいと見上げる。
「どうしてそんな女を気に掛けるんです? 放っておけばいいでしょう。残念ですが、死にはしませんし。ほら、帰りますよ」
「……嫌です。元とはいえ大切な後輩ですし、止血だけでもします」
 ちゃんと一緒に帰りますから少し待っていてくださいと強めに言えば安室さんは押し黙った。そして眉間に皺を寄せいかにも不服だという顔をしながら、体をずらして道をあけてくれた。すぐさま柚から聞いた救急セットの場所まで駆けていき、取って戻ってくる。タオルを柚の患部にあてて圧迫した。出血は派手だが見た目ほど酷い怪我ではないようだった。包帯を探して手を彷徨わせていると安室さんが隣にしゃがみこんだ。
「僕がやります。xxxは洗面所でその女の血を洗い流してきてください」
 でも、と反論しようとするがその前に手際よく包帯がまかれていく。きちんと手当する気はあるようで、悔しいが私よりも上手だ。そろりと立ち上がり洗面所へ向かった。綺麗に洗い流しておかなければ、後でもっと面倒なことになる。
 廊下に戻ると手当は終わっていたが、険悪な雰囲気に顔をひきつらせた。安室さんが私の傍へ寄る。いつ手に入れたのか、手に持った鍵で私の足枷を解除した。さあ行きますよと私の腕を引っ張る。力の差を考えて、抵抗するのは無意味だ。出ていく時に辛うじて「本当にごめん、またね」と柚へ声をかけた。柚は私と目が合うと、少し笑った。

 車に押し込められて家へ向かう。車内では不機嫌そうに「あなたには危機感が足りない」「俺を心配させるな」「誰にでも優しくするんじゃない」などとお小言を頂いた。素直にはいと頷いておけば悪化することはないので、家に着くころにはお小言が甘い口説き文句に代わっていた。こちらからもやんわりと、人に暴力を振るうなと注意しておく。やけにあっさりと承諾されたので心配だが、これ以上言っても意味はないだろう。ただ、いつその暴力が私に向くか分からないことが怖い。
 駐車の時、安室さんの袖口に血がついているのが見えた。おや、と思い車が止まったのを確認してから袖口を見せてもらう。
「手首、怪我していますね。自分で手当てしなかったんですか?」
「自分でするのは中々難しくて」
 利き手でない方では何をするにも難儀だ。暴行事件の犯人とはいえ、痛そうなその傷を放ってはおけない。仕方なく「帰ったら私がやります」と言えば安室さんは目を細めた。
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