創のピリオド

「……レイさん?」
 気が付けば目の前にレイさんがいた。いきなり膨大な量のデータが侵入し、私は追い出されるように出てきてしまったのかもしれない。あり得ないことだと知ってはいるのだが、現実に起こってしまっているので否定のしようがない。
 ヘッドセットをつけたまま私を探している様子のレイさんに返事をする。私の方を向いているのに見えていない彼が少し可笑しかった。レイさんが自分の耳に手を当てる。ようやく私の声がイヤホンからではないと気が付いたらしい。しびれを切らして彼の頭からヘッドセットを取り外して微笑みかけた。
「だから、ここですって、レイさん」
 取り上げた機械を胸に抱いてレイさんと視線を合わせる。レイ先生よりもずっと柔和でたれ気味な目、すっと通った鼻筋、形の良い唇、健康そうな肌。私の担当医はこんな顔をしていたのか。想像よりもずっと素敵だ。
 彼は目をいっぱいに見開き、口を何度か開閉させた。それからどこから出しているのか分からない声をあげる。接近モード中など、マイク越しに何度か聞いたことのある声だ。
「レイさんに逢いたくって、来ちゃいました」
 語尾にハートマークをつける勢いで、しかし照れたように言う。以前、私に言われたいと画面の前でぼやいていた台詞だ。シチュエーションもばっちり。期待した通り、レイさんは瞳を潤ませ心臓のあたりを手でぎゅっと鷲掴んだ。ありがとうございます、と細い声でお礼を言われた。
 そのままレイさんは数分間動かなかった。私はどうすれば良いかわからず、そわそわとレイさんの前でずっと正座をしている。あの、と声をかけようとしたところでレイさんの腕がゆっくりと此方に伸びた。よく見れば震えている。彼の中指と人差し指が私の手の甲を滑った。
「さ、触れる。あったかい」
 感動したようにレイさんが言った。あまりにそっと触れるので、少しくすぐったい。身じろきをすれば、慌てたように謝罪の声があがった。すぐに指が離される。
「ほんとうに、xxか……?」
 疑念と期待が混ざり合った視線をレイさんが向ける。たぶんきっと、と頷く。それから軽い自己紹介と、モニタ越しにずっと見ていたことを伝える。おそらく今の私とレイさんが知っている私との間に僅かな齟齬があるだろうことも。私が言いたいことを言い終えると、レイさんは深く頷いた。
「じゃあ、ここにいるのは俺だけのxx……」
「そういうことになりますね」
 嬉しい、とレイさんは頬を染めて笑った。こんな話を受け入れるなんて、思考が柔軟すぎではと思わないでもないが、その方が望ましいのは確かだ。私も釣られて微笑んだ。
「次は俺の番だな。安室レイではない、俺の自己紹介をしよう」
 居住まいを正して彼が説明を始めた。レイさんは、降谷零というらしい。安室透という名前も持っている、とも教えてくれた。前者はちょっと言えないところに所属する警察関係の人間で、後者は探偵兼アルバイター。外の世界についての知識が乏しい私にとって、零さんの話には知らないことが多すぎた。分からない単語が出てくるたびに質問し、その度に零さんは根気よく解説をしてくれた。元データである私の知識は偏りが激しい。
「――さて、このくらいか。知りたいことがあれば全部俺が教えてあげるし、xxの希望は出来るだけ叶えるようにする。もちろん生活の事は気にしなくて良い。余っている部屋が無いから、寝室は俺と一緒になるが、もしxxが嫌なら別の案を考える」
「私、ここに住んでも……?」
 こんなにあっさりと受け入れてくれるとは思わなかったので、驚いて尋ねる。当たり前だろう、と即答された。行く当てもないので大変ありがたい。素直にお礼を言って、よろしくお願いしますと頭を下げる。零さんも「よろしく」と返してくれたが、何か思いついた様子で言葉を続けた。
「こういう時は、“不束者ですがよろしくお願いします”だ」
「あ、はい。不束者ですがよろしくお願いします」
 零さんの言葉を復唱すれば、彼は満足そうに私の頭を撫でた。
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