嘘びたしの光

 外出から戻り、郵便受けを覗くとチラシに混じって封筒が入っていた。何だろうと矯めつ眇めつしてもまっさらで、中に入っているらしい紙が透けるだけだ。差出人も何も無い。とりあえず部屋でゆっくり調べようと持って帰った。
 さてこれは何だと封筒を開ける。便箋が数枚入っていた。手紙だろうか。びっしりと書かれた文字を追っていくうち、冷や汗が背中を伝った。
 私が外出してから家に帰るまでの様子が事細かに書いてある。昨日の行動そのものだ。何時に家を出て、どの道を通ったか。接客の様子や、誰とどんな会話をしたのか。お昼には何を食べて、帰りにはどこへ寄ったのか。私が覚えていないようなことまで詳細に書かれている。加えて“もっと道の端を歩かないと危ないよ”“栄養バランスをきちんと考えていて偉いね”などのコメント付きだ。気分が悪くなるのを我慢し、なんとか最後まで読み切る。“今日もお疲れ様。いつも見守っているよ”と締めくくられていた。
 これは、俗に言うストーカーというものだろうか。便箋を握る手が震えた。家の中の様子が書かれていないので、見られているのは外にいる間だけなのだろう。しかし、家まで特定されているので油断はできない。
 携帯電話が鳴った。タイミングがタイミングなので、異常なほど肩が跳ねる。まさか手紙の、と恐る恐る確認すれば零さんだった。良かった、と安堵の声を洩らす。もしもし。震えを悟られないように電話をとった。
「今、大丈夫か? 特に要は無いんだが、声が聞きたくなって」
 零さんの声に安心する。いくらか他愛ない話をしていれば、緊張が段々と和らいでいった。
「何だか元気がないな。悩みでもあるのか?」
「え、そうかな。……たぶん、少し疲れているだけ。大丈夫だよ、ありがとう」
 声だけで感づかれてしまったらしい。心配かけまいとトーンを上げて返せば、体調管理のコツを丁寧に教えてくれた。
「零さんも、無理しないでね。うん、おやすみなさい」
 幸せな時間はあっという間で、気づけば良い時間だ。明日もお互いに仕事だろうからと電話を切った。
 忙しい零さんに、手紙の事を言って余計な心配はかけたくない。相談せずこのまま事件に発展した方が迷惑だろうが、被害はまだこの手紙のみだ。それも1日だけ。零さんに頼るのは、もう少し様子を見てからでも良いだろう。これ限りでありますようにと願いながら眠りについた。


 これ以上何も起こってくれるなという願いも虚しく、あの日から手紙は毎日送られてきた。これでもう2週間目だ。そのまま捨てられたら良いのだろうが、後に証拠品となる可能性があるものは処分できない。見ずに放置しようにも、殺害予告などが書かれていては拙いので読むしかない。胃に穴が開きそうだ。はあ、とため息をつき本日の封を開けた。
「あれ、おかしいな」
 気の進まないまま読もうとしたが、封筒から便箋を上手く取り出せない。紙同士がくっついてしまっているようだ。隙間に指を入れて動かしてみれば、簡単に接着面は剥がれた。取り出してみる。便箋が、少しふやけているようだった。心なしか生臭い。汗を発酵させて薄めたような臭いで、不快感に眉を顰めた。パリパリと音を立てて折り曲げられた便箋を開く。所々固まった液体がまず目に飛び込んできて、小さく悲鳴をあげ反射的に手を離した。便箋が床に落ちる。やだ、やだ、なんなの、気持ち悪い。生理的な涙で視界がじわりと滲む。パニックに陥りながらも、何とか携帯を手にとり零さんへ掛けた。
 零さんは丁度帰宅したばかりだったらしい。要領を得ない私の説明も理解してくれたようで「今すぐ行くから」と駆け付けてくれた。
 鳴ったインターホンをすぐさま確認し、零さんだとわかるとドアを開けて飛びつく。びくともしないで私を抱きとめた零さんは、怖かっただろうと私の頭を撫でた。ずるずると零さんに引っ付いたまま、リビングへと移動する。床に落としたまま触りたくなかった問題の便箋を零さんに示せば、彼はあからさまに眉を顰めた。
 どこに持っていたのか、手袋を嵌めた零さんはその便箋を回収する。今まで送られてきたものも差し出せば、なぜ今まで黙っていたのかとこちらが辛くなるような声で責められた。
「解析して犯人を突き止める。内容、筆跡とDNAの型から絞り込めばすぐだ。もう心配することはない。捕まえて、2度と手出しはさせない。大丈夫、何があっても俺が守る」
 震えが止まらない私を、零さんは辛抱強く励ましてくれた。ぎゅっと彼の胸元へ顔を埋めれば、知った匂いに緊張の糸が切れて意識が遠のいた。
- 14 -
*前次#
表紙へ
トップへ