堅忍アカイア

 零さんに助けを求めた日から、ぱったりと例の封筒は見かけなくなった。数日後、犯人は無事に捕らえ事後処理も全て終わったと零さんから報告があった。私は何もしていないし、何も知らないままだ。聞こうとすれば、xxは何も知らなくていいと穏やかな口調で諭された。せっかく離れて暮らしているのに、彼に頼りきりで全く意味がない。むしろ一層迷惑をかけているのではと申し訳ない気持ちになった。
 今後このようなことがあっても困るので、外出するときには零さんが安室透として送り迎えをしてくれることになった。流石にそんな手間をかけさせるわけにはいかない。全力で遠慮をしたのだが「俺が安心したいだけなんだ」と言われてしまっては何も言い返せない。まったく、ずるい言い回しを知っている。
 仕事を終えて安室さんを待つ。梓さんと楽しく会話していれば、ポアロの前に白く背の低い車が止まった。梓さんとマスターにお先に失礼しますと会釈をして店を出る。車の中にいる安室さんと目が合った。
「お疲れ様です、xxさん」
「安室さんこそ。お迎えありがとうございます」
 お願いしますと声をかけて助手席に座る。最近の零さんは忙しいようで、デートも延期がちだった。そんな中でもこうして迎えに来てくれることに恐縮する一方、車内では2人きりだと密かに嬉しく思っている自分がいた。
 隣に座る彼をちらりと盗み見る。長期休暇がとれそうなのでどこか行きたいところはあるか、なんて尋ねていた優しい顔が一変した。ふにゃりと上がっていた口角は、唇が噛みしめられることで消え失せている。目つきも普段見ない険しいものだった。
「気分でも悪いですか?」
 心配になって声をかければ、母音だけの言い淀む声が返ってきた。質問を重ねて運転の邪魔になってもいけない。いや、体調が優れないのならすぐにでも車を止めてもらうべきなのかもしれないが。黙って言葉を待っていれば、硬い声で短く名前を呼ばれた。安室さんモードは終わりなのかと茶化す雰囲気でもない。
「今日は家まで送れそうにない」
「それはどういう……」
 答えになっていない返答に戸惑う。やはり気分が悪いなら、と言おうとしたが零さんによって遮られた。
「シートベルト、しっかりと締めていてくれ」
 零さんは私の方を一瞬だけ確認すると、アクセルを踏み込んだ。シートに身体が押し付けられる感覚がする。目まぐるしく変わる景色が怖くて、視線を自分の膝に固定する。それでも車が曲がる度に視界と身体が揺れた。時折零さんが励ましの言葉をかけてくれるので、警報を鳴らす心臓はなんとか爆発していない。
 しばらくそうしていれば、車の速度が落ちてやがて道の端に停車した。恐る恐る顔を上げ、ほっと息を吐く。
「すまない。怖かっただろう」
 頷く。零さんを見上げれば、先ほどの険しい表情ではなくなっていた。気遣うように上から覗き込まれ、思わず彼の服の裾を掴んだ。
「追われていたの? だれかに」
 出そうと思ったよりも小さな声になってしまった。零さんは私から視線を逸らす。答えないつもりだろうか。零さんは優しいから、言うことで私に負担をかけはしないかと気をまわしているのかもしれない。
「私がまた、迷惑を持ち込んだのね」
「迷惑だなんて思っていない。あなたを守るのが俺の役目で」
 そこまで言って零さんははっと口をつぐんだ。誘導されたことに気付いたらしい。やっぱり、と呟けば観念したらしい零さんが説明をくれた。
「あなたの周りで最近よく見かける車だったから警戒はしていたんだが、今回はぴったりと後ろをついてきてね。嫌な予感がしたから、多少無理をしてでもと思って撒いた。顔はバックミラーで確認したし、ナンバーもきちんと控えてある。すぐに片付けるから、xxは何も心配することはない」
 ああまたこのパターンだ。私は一体、何度彼に助けられれば気が済むのだろう。自分の身も守れないのが情けなかった。それと同時に、零さんの頼もしさが一層胸に沁みる。とりあえず今日はここに泊まろうと案内されたホテルを見て、本当にごめんなさいと頭を下げた。
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