ほだすは神聖

 今日は仕事で迎えが難しいので、その代わり知り合いに送らせるからと電話が入った。そこまでしてもらわずとも1人で帰ることくらいできると主張したが、結局推し負けてその知り合いに送ってもらうこととなった。
「xxxxさんですね」
 お店の扉が開いた音と、その後呼ばれた名前に反応してそちらを向く。高校生くらいの男の子がそこにいて、零さんから聞いた“知り合い”の特徴と一致していた。席を立ち、そちらの方へ向かう。
「はいxxです。工藤新一さん、ですか」
 確認すれば肯定が返ってきた。お互いに名前だけは知っているようだが、軽く自己紹介と挨拶を済ませた。では早速、とエスコートされるがまま彼についていく。歩かせてすみません、なんて謝る工藤くんは本当に良い子なのだろう。高校生なのだから車がないのは当然で、本来ならば「送りとどけてやるだけ感謝しろ」というような態度であっても不思議ではないのだ。零さんが甘やかしすぎてくれているだけで、ポアロから家までは決して歩けない距離ではなかった。
 工藤くんは人見知りせず社交的な性格のようで、初対面にも関わらず話が弾んだ。推理小説が好きらしい。画面を越えてきてから随分経つが、シャーロック・ホームズというのは聞いたことが無かった。彼が話し上手なのを良いことに、相槌と一緒にホームズについて質問すれば大量に答えが降ってきた。目を輝かせて喋り続ける工藤くんが微笑ましくなり、クスリと笑った。

 家まであと少しというところで、悲鳴が聞こえた。私も工藤くんも立ち止まる。どこからだ、と耳を澄ませていれば今度は助けを求める声が耳に入った。あっちか、と工藤くんが洩らした。その方向へ駆け出しそうになって、慌てて私の方に向き直る。
「xxさんはここにいてください! すぐに戻って来ますから、動かないように!」
 そう言って工藤くんは走り去っていった。少々心細いが、待つしかないだろう。知り合って数十分だが、工藤くんがヒーロー気質なのは感じていた。困っている人の気配がしたら放っておけないのだろう。
 言いつけ通りその場から離れず待っていると、路地裏から延びてきた手に腕を引かれた。
「うっわ、マジで書き込みどーりじゃん」
 ニヤニヤと下品な笑いを張り付け、手の主が言った。奥にもう1つ人影が見え、同調する男の声がする。外壁に押し付けられ、肩が痛い。振り払おうと力を入れてみても、びくともしなかった。
「こーんな可愛いコが夜道に1人なんて、襲ってくださいって言ってるようなモンだよな」
 ようやく自分の置かれた状況を理解した。やめて、と叫んだつもりだったが声帯は震えてくれずに空気だけが漏れる。碌な抵抗も出来ないまま羽交い絞めにされ、もう1人の男が私の内股を撫でた。そのまま屈んで太腿に頬擦りをされる。
「ひっ」
 引き攣った悲鳴と共に、反射で男の顔を蹴飛ばしてしまった。男から怒声が飛ばされる。怒り狂った様子の男は腕を振り上げると容赦なく殴りつけようとした。ぎゅっと目を瞑って襲ってくる衝撃に備える。
 たすけて、零さん。無意識に絞り出した声は、暴力の音で掻き消された。しかし、覚悟していた衝撃がない。組み付いていた腕の感覚も消えている。数度、鈍く重い音は続く。男のうめき声が聞こえた。不思議に思い目を開ければ、男たちを見下ろす零さんがそこにいた。
「零、さん」
 先ほどまでの恐怖や助かった安堵が入り混じってその場に座り込んだ。零さんは男たちを手際よく拘束すると、私の方へ駆け寄る。無事か、と優しく抱きしめられ一気に力が抜ける。
「れい、さ、怖かっ、あの、助けてくれて、ここに、どうして」
 震えて上手くしゃべることが出来ない。それでも零さんは言いたいことを理解してくれる。私がこぼした涙を人差し指で拭いながら、零さんはくらくらするような甘い表情で微笑みかけた。
「言っただろ、何があっても守るって」
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